1.それぞれのファン
どんな者にだって、一人ぐらいファンはいるものだ。
初めてのファンレターがよほど嬉しかったのだろう。ティナは毎晩、寝る前に読んでは幸せそうな笑みを浮かべ、ベッドに入る。
そしてその表情のまま、すうすうと寝息を立てる。
【ティナ選手、初めまして。
正直言って、貴女の試合は認められるものではありません。
しかし、あの牛の化け物を倒した時に見た貴女の姿は、今も胸に強く残っています。
あれから姿を見せなくなり、耳に落胆する声を重ねるたび、あの不埒極まりない戦いも人の心を揺さぶったのだ、と思うようになってきました。理解まで至っておりませんが。
先日、娼館で働いていると聞き、私は目の前が真っ暗になりそうになりました。しかし、想像していたようなことではなく、しっかりと地に足をつけて働いていると知り、ほっと胸をなで下ろしています。
貴女は時々、傷んだ物を口にするチャレンジ精神を見せること、寒いのが苦手であると聞き及んでいます。差し出がましいようですが、薬とローブを贈らせて頂きました。
決して無茶をせず、お身体を大切に――貴女のファンより】
これで気付かないのはどうなのだ、と羅刹は首を振る。
夜が更けつつあるが、この街はこれからが盛り。
行きつけの酒場に足を運び、いつものようにワインを五本ほど開ける。ワインでは十タルくらいなければ酔わないが、それではいくら繁盛しているボーインの娼館でも傾いてしまう。
時には浴びるほど呑みたいものだ。
そしてそれをするなら、米で醸造した日本酒がいい。つい口が懐かしいものになってしまい、ブドウの酒は三本目で止まってしまった。
次から麦にしようか。そう思っていると、いかにも高級感漂う橙のローブを羽織った男が、真っ直ぐ羅刹を見つめながら歩み寄り、躊躇うことなくその隣に腰をかけた。
「夜の相手を探すならば、ケツの穴が二度と使えなくなるのを覚悟することだ」
「そ、そんな趣味はございませんよ。……実は折り入って、貴方に相談したいことがございまして」
「耳だけなら向けてやる」
男はキザな口調だった。
四本目のワインの瓶をあおる横で、男は美しい声の醜女・プリスカについて話し始める。
「私は彼女に心から惚れています」
「目が腐っていれば最高の相手になれるな」
「私もそう願ったことがございます……吐瀉物みたいな顔で、も私は彼女に惚れていた。しかし、あの吐瀉物みたいな顔が、どうしても私の心を近づけさせない……!」
「お前の心は何なんだ」
「だが、どうか、どうか彼女の身体を堪能したい。あの声を堪能したい……いったいどうすれば良いのか、悪魔の知恵を拝借できないかと……」
「鬼だよ。顔が妨げになるなら後ろからするか、枕を顔にかぶせるか、ずだ袋をかぶせてヤればいいだろうが」
男はまるで思い付かなかったのか、おおっ、と喜色満面に頷き拳を握り締める。
去り際、倍の酒代を置いていったので、羅刹はブドウ酒をたらふく堪能することが出来た。
◇
ティナはこの日も娼館の仕事に精を出す。
シスターたちの噂はミズーラ域の外まで広がり、オープンにはまだ時間があるにも拘わらず、通気のために開かれたままの扉には人が列を作っている。
今日はどの子にしようか。入り口から覗く、娼婦のポートレートを眺めては鼻の下を伸ばす。
しかし一部は違い――、
「ティナちゃーん、今日こそ店に上がってよー」
「相場の二倍出す、いや三倍だ!」
「ああー、いい尻だあ……」
ロビーのテーブルを拭くティナに、客たちは好き勝手な言葉を投げかける。
「お前たちが騎士の家柄になれば考えよう」
男たちが肩をすくめる。あしらい方も手慣れたもの。
ふふっと口元を緩めるティナであったが、おや、と客の一人に片眉を上げた。
(確か、ヒンチと言う名の絵描きだったか)
見すぼらしい格好をした痩せぎすの男。
変な客の中も多い中、彼は特に異彩を放つ存在であった。
店がオープンすると、急く気持ちを顔や肩に現しながら、
「ロッティさんはっ、空いていますかっ?」
「は、はい……。二階の四番の部屋です」
奉公人も顎を引きながら鍵を渡す。
彼は他の客とは違い、娼婦であるシスターを買っても抱こうとしない。小脇に真っ白なキャンバスを抱え、ただひたすら、彼女らをモデルに絵を描くだけなのだ。
『これが、僕の追い求めていた美だ……!』
初めて訪れた日、彼はそう叫んで真っ裸のまま娼館を飛び出した。
それ以降、キャンバスを持って通うようになったのである。
抱くも抱かぬも自由。ただ絵を描くだけ、淫靡な恰好やポーズを要求する以外は何もしないので、誰も咎めることはしないた。持って生まれた才を揮うその絵は、娼婦となったシスターたちを満足させているのもあるだろう。
その絵を欲しがる者もいるが、彼は頑なに売ろうとはしない。無論そうなれば、娼館側も相応の取り分を要求せねばならないのだが――。
噂では毎日固くなったパン一枚を囓る生活をし、今では家財道具やら形見の品まで売り払ってでも娼館に通っていると言う。
自制出来てないと心配になったティナは、羅刹に相談したことがある。
『遊郭の川底には亡者が蠢くぞ』
捨て置け、と言うのが鬼の答えだった。
女を抱かないことは関係無く、ここでは金の有無がすべてとなる。色狂いの果てに身を破滅させる者も少なくない。手を差し伸べれば亡者の川に引きずり込まれるため、見捨てるのが色町の常だ。
しかし食い詰め以外にももう一つ。シスターたちは“あること”を案じていた。
――ここ最近、スランプに陥っている
その原因こそ、彼が指名したシスターのロッティにあるようだ。
いつも悔しそうに出てくる彼の背中に、ティナは『早く描き上がればいいな』としか思っていない。この日もそう思っていた。
だが彼が部屋に入ってから何時か――突然の女の悲鳴と共に、事件が起きた。
『な、何をするの! や、止めなさいっ!』
物が倒れ続ける音と並々ならぬロッティの声に、奉公人やティナは、得物を持って駆けつけた。
ティナの合図で扉を蹴破り、一斉に部屋になだれ込むとそこには、
「……何をしているんだ?」
想像していたのとは違う光景に、ティナは思わず眉を寄せる。
頼りない橙火の中。ヒンチは勃起した己のそれを左手に握り、右腕には胸をはだけたロッティがしがみついている。ヒンチの右手に、ギラリと光るナイフが握られていることに、ややあってから気付く。
「こ、この方が突然、ナイフを取り出して……!」
「は、離してくれ! これが、これが僕の筆を乱れさせるんだ……!」
ティナはナイフを剥ぎ取ると、ヒンチは床に両手をついて苦悶の嘆きをあげ始めた。
「どうしてっ、どうしてだ……! 僕の劣情が、いつも彼女の美を妨げる……!」
ロッティを描いている間ずっと、彼は勃起し続け、その手を狂わせた。
描こうとする美に邪な感情が交じることに憤り、何とそれを切り落とそうとしたのだと言う。
(確かに彼女らは美しいが)
ティナは彼が描きかけの絵に目を向けた。
修道服姿の娼婦が胸をはだけ、股を広げて秘所を露わにする姿がそこにある。
視線を下げ、むせび泣くヒンチの背中をさするロッティと、キャンバスの絵の女を見比べる。
いったい何が気に食わないのだ、と下唇を出し、首を傾げていた。




