17.猫被りの皮を剥げば……
ライコーンの街に到着したのは、明け方未明の頃。
まだ寝ぼけ眼の商い通りを跳び抜け、三つの街の中心にそびえるダロスの塔に侵入する。
(もうここに来ることはないだろうと思っていたが)
秋の訪れを感じさせる風も相まって、静まりかえった塔の中・通路の空気は、寒気を感じそうなほどひやりとしている。
あまり気分のいい場所ではないので、出禁になったのは好都合だ。
だが、主人はどうだろうか。
家や家族のしがらみから解放し、ようやく己の足で立てるようになったとは言え、このままでは庶民の中の一人のまま終えることになる。生来の悪癖ゆえに、伴侶も期待できない。
(復帰の機会を窺ってみるかね)
かつて主人が夢見た栄華の道を眺め、鬼は反対の、地下への階段を降りてゆく。
階段を降りきった先に、まるで牢扉にも思える鉄製の扉が一つあった。
何らかのプレートが掲げられているが、文字は読めない。
厚い扉の向こうに女の気配を感じ、羅刹はノックもせず無作法に扉を押し開いた。
「――だ、誰っ!?」
中には長い青髪をした女がいた。
入り口に立つ大柄な影に構えるよりも早く、近くにあった覆面を掴み――それを猫を模しているが、慌てていたせいか、上半分しか顔を隠せていない。
「……プリスカ、でいいんだよな?」
羅刹は眉を思い切り寄せた。
一瞬であったが、想像していた人物像とは天と地ほど違う。
その“地”も、地獄の最下層・阿鼻地獄 に近い場所にある。
「ふぁ、ファンの方の来訪は禁じているはずです!」
傍で詩を読ませてやりたくなるような美しい声。
確かにスタジアムで聞いたのと同じものだが――
「う、うーん……」
腕を組み、“くの字”を描くくらい身体を傾ける。
プリスカはここで初めてハッと、覆面から覗く瞳を開いた。
見覚えのあるその姿。かつて試合中に女を辱めた異形の存在と気付いたらしく、背後のテーブルに乗り上げるほど後ずさりしてしまう。
「考えているようなことをするつもりはない。本当は娼婦にとスカウトに来たが……」
「しょ……!?」
プリスカは絶句したが、すぐに目に落胆の色が浮かび上がる。
娼婦に興味を抱いたのではなく、“真実”を知ったであろう羅刹の反応を見たからである。
「悪魔でも、私の顔を忌避するのですね……」
「悪魔じゃなくて鬼だ。しかしまあ、悪魔や悪霊祓いにはいいかもしれんが」
歯に衣着せぬ物言いに、プリスカは覆面の下で微笑んだように見えた。
潰れた団子っ鼻、左右不均等の厚ぼったい唇。顎は太く、肌も岩肌のよう――顔の下半分を一瞬見ただけだが、とんでもない醜女だったのだ。
「この醜い顔ゆえ、真っ暗な世界でしか生きられないのです。街の方に『聞く者を魅了するセイレーンの声だ』とスカウトされ、私もこれが天職だと思ってました。しかし……」
「しかし?」
「スタジアムに足を運ぶファンの皆さんが、回を追うごとに増えていることは非常に嬉しいのですが、みんなを欺しているようで申し訳なく……」
「そんなの、勝手に向こうが姿を妄想しているだけだろう」
「そ、そうですが……」
外に出ないのは、人に姿を見せたくないからのようだ。
羅刹は足先から覆面頭のてっぺんまで眺めてみたが、何も問題はない、むしろ肉付きのいい、そそる体型だ。
「神が少しバランス調整を失敗しただけだ」
「ファンの方から姿を見せて欲しいとの手紙だけでなく、求婚の手紙まで沢山頂いています。私はそれは非常に嬉しくもあるのですが、熱心な方による応援団らが、試合が終わっても長くスタジアムの出口で待っているらしく……」
「平たく言えば、追っかけ連中に迷惑してるんだな」
「い、いえっ!? 迷惑だなんてそんな……! ですが、姿を現したらきっとみんなを落胆させてしまいそうで……」
彼らの前に姿を現したい、との気持ちはある。
しかし、その顔が二の足を踏ませていると思った羅刹は、
「檻にいた時、“オタサーの姫”なる存在聞いた。もしかすれば以外と、お姫様になれるかもしれんぞ」
「ほ、本当ですか!」
プリスカは覆面を外し、期待に目を輝く目を向けた。
◇
ウグイスも鳴くのを止める声であるが、次にその顔を見れば喉を潰すほど絶叫するだろう。
「……いやあ、エグイッス」
「いきなり何を言い始める」
ティナの部屋に戻るや、羅刹は開口一番そう洩らした。
天は二物を与えず。下半分も酷かったが、上半分も相当なもので、“神による前衛芸術”と思わねば、鬼ですら顎を引いてしまうものであった。
鬼も笑顔と言うが、あれは無理だと羅刹は思う。
「今ではお前が天女に見える」
「おかしなキノコとやらでも食ったのか……?」
無駄足だったと思いたくないので、商区で何か美味い物を食おうと足を運んだそこで、見覚えのある壮年の淑女を発見した。
青いローブ袖に金帯を二本。しかし手にしていたのは朱色の、時季としてはまだ早い厚手のローブである。似たローブを長い時間をかけ、やっと見極めたそれを包んでもらう。
想いを残したのは彼女も同じようである。しかし、その娘はと言えば――。
「ホント、クソだなお前」
「だからさっきから何なのだッ!」
言いたいことがあるならハッキリ言え、と憤るティナ。
鬼が一日空けた部屋は、糞便の臭いに満ちきっていた。
便所に籠もりっきりだったので仕方がないが、寝室の方からも臭いがする。しかもそこにはオスの臭いも残る。丸洗いしたシーツを窓に干しているが、粗相の跡が薄らと描かれていた。




