13.通告と決意の涙
騎士の服を着た女・ティナはフートラン修道院に向かっていた。
約一ヶ月ぶりの訪問である。滴る汗を拭いながら、灰色の雲空を見上げた。
(風も生ぬるい……。今夜は内も外も荒れるな……)
どんな顔をして会えばいいのだろう。
彼女らがミズーラを訪ねてきた時、ティナが近くにいると知りつつ挨拶をしなかった。礼に欠いただけでなく、神に身を捧げると誓いを立てた者が、身元も分からない薄汚い男に身体を許したのだ。
傷は癒えても心の傷は癒えない。
何より、今回の訪問は彼女たちに覚悟させるもの――それは遅かれ早かれ、誰もがリサと同じ思いをすることになる。
考えるほどに足取りは重くなる。
引導をティナに渡させたいのか、適役のはずの鬼・羅刹の姿はない。
「くそっ、使えない奴め……っ、適材適所という言葉を知らんのか」
足下の小石を蹴っ飛ばす。他の石にぶつかり大きく跳ねた。
いよいよ修道院の鉄柵門が見え、自分も腹をくくらねばと思ったその時、見慣れたそれとはまるで違う光景が広がっていることに気付いた。
修道院を忙しく出入りしている青いサーコート姿の者たち。暑い最中、鈍色に光る鎖帷子に身を包むそれは騎士だった。中には知っている顔もあり、ティナは慌てて近くの茂みに身を潜め、肩にかけた荷袋からフードを取り出す。
(娼館で働き、借金の取り立て人をしているなんて知られれば、お母様から何を言われるか分かったもんじゃない!)
しかし、修道院へは正面の鉄柵門を通らねばならない。
修道院には軍属の騎士もいた。ウォール・フラン・ライコーンの三つの街のそれが満遍なくいることから、預けていたラッシャ聖堂修繕にあたり集められた勧進を取りに来たことは想像に難くない。
重そうな箱を軍馬車に積み込んでゆく。各街三台ずつ、この中で本物の“宝箱”を積んでいるのは三台だけ。他はなまくら鉄を敷きつめたダミーで、運び手もどれが正解か判らない。
騎士なら徹底して教え込まれる、貴重品を運ぶ方法の一つだ。
(陽が出ている内に出発するはずだな)
暑いから早く行け。そう願いながら、ティナは近くの茂みの中に身を潜める。
予想通り、昼の鐘から少しすると軍馬車が走り出した。
この輸送任務は、ダミーの馬車すら欠けてもならない。賊を撃退できなかったと見なされ、街の恥とされてしまう。厳しければ極刑すらもあり得るものだ。
全員が緊張の面持ちで出立したのを見届けると、ティナは修道院へ駆け向かった。
重く軋む鉄柵門を押し開くと、ホリーが中から、パタパタと足音を立ててやってくる。
「あ……ティナ!」
思っていた者と違う。そんな反応だった。
それに少し遅れて騎士が一人姿を現す。まだ若い青年だった。
突然の来訪者に警戒を露わにすると、腰に据えた長剣の柄に手を添えた。
「――くそっ、もう来たか!」
「バーナードさん。この方が修道院を守っていたティナ様です」
慌ててホリーが諫めると、バーナードと呼ばれた青年騎士は眼前の女の姿を検める。
金帯二本……、と呟くなり、慌てて姿勢を正して非礼を詫び、修道院の中に引き下がった。
積み込んだ正解の箱は、総指揮を担う者と金を預かっていたシスターだけが知る。
彼女らを襲って正解を聞き出す恐れがあるため、兵士を若干名残してゆく。――しかしこの修道院の“特異性”ゆえか、残されたのは彼一人だけのようだ。言わば時間稼ぎの捨て駒である。
そんな青年騎士は、去り際、ホリーに視線を残していたところからして『まだ新兵だな』と、ティナは思った。
「勧進の金は、全部手元から離れたようだな」
「ええ。これで大丈夫ですっ」
意外にもホリーの声は明るく、弾むようなものだった。
それは彼女だけでなく、修道院の中、全体が明るくあり思わず首を傾げてしまう。
肩からすべての荷が下りたような喜びだ。リサだけ空元気なのは仕方ないが、その他のシスターたち皆がそうなのが気にかかる。
「ティナお姉ちゃん、騎士の人いっぱい来たよ!」
「恰好よかった!」
「おお、そうかそうか!」
唯一、心から明るく振る舞っているのは子供たちだけである。
多くの騎士を間近で見たことが嬉しいのだろう。口々に語るのは、離れていた間に何があったかではなく、先ほどまでいた騎士の話ばかりである。
騎士は子供たちの憧れ。元々騎士であったティナも、中にいた新米であろうバーナードも、嬉しそうに耳を傾けていた。
「騎士だったと窺っておりましたが、まさかフォード家のご令嬢でしたとは……」
バーナードは言う。
「ええ。しかし今はこうして、恥を晒して生きております」
「とんでもない。子供たちから修道院を守る貴女の話を聞き、私は身につまされる思いです。外道非道の女淫魔――そう聞き及んでいましたが、微力ながらその汚名を晴らさせてください」
何と言う呼ばれ方か。ここに来た目的を知れば、彼はどれだけ失望するだろう。
ティナはそれとなくはぐらかし、今後について話そうとリサの下に向かおうとした時、後ろからホリーが追いかけ呼び止めた。
「バーナードさんって、優しそうな人ですよねっ」
「私からすれば気弱だ」
「そうですか? でもその、騎士と元騎士でも……ロマンスとか、あるんですか?」
「ふふっ、安心しろ。生憎と私は男に興味ないからな」
「え……?」
ホリーはどう反応していいか分からず、固まったまま動けなくなっていた。
◇
「不履行となった場合、ここフートラン修道院のシスターたちは娼館に身を移してもらう。いいな?」
シスター・リサに最終通告をしたのは、それからすぐだった。
返済日の延長は一切認めない――それらを記した書類を提示しながら、ティナは言う。
しかし、リサはこれを、
「はい。分かりました」
と、逆にティナが虚を突かれてしまうほど、あっさりと受け入れた。
役目はそこまで。ここからは娼館勤めの取り立て人でもなく、修道院を守る騎士とシスターでもない。年の近い女同士となる。
灰色の石室はたちまち華やいだ。――が、ティナが案じていた通り、話の合間に重い沈黙が挟まれる。
場を繋ぐために何か。ティナが話題を探していたその時、リサの方から件の話を切り出した。
「……私は娼婦になる覚悟はできているわ」
「え? そ、そうか……」
「実はね、この前、見知らぬ男に身体を許したの」
ティナは大げさに驚いた。
我ながら下手くそな演技だ、と思ったがリサは自分のことを話すのでいっぱいらしく、気にしていない。
「やってみればあっさりしたものよ。裸になって身体を触らせて、その……ベッドの上で横になっていれ、ば……男が勝手に……う、ぅっ……」
リサは精一杯強がって見せたが、次第に言葉は弱く、ぽつ、ぽつと大粒の涙を落とし始める。
辛くとも、心に溜まる黒いもやを吐き出したいのだ。顔を歪めながら話し続けようとする彼女の肩を抱き、ティナは話を聞き続ける。
話している内容はよく分からなかった。
けれど薄汚い男に貫かれたこと、誓いを破った後悔と痛みは理解できる。
そしてティナの肩に顔を埋めながら、娼婦になるのは自分だけ、と身体を震わせながら借金は己の身体一つで返す覚悟を告げた。
「――リサ、お前は美しいが、とても一人で返せる額ではない。そんなことをしたら、己の身を破滅させてしまう。ここは辛くとも皆を頼れ」
リサは首を振って、構わない、壊れていい、そうなって欲しい、と自棄になって答えた。
彼女が落ち着いた頃にはすっかり辺りが暗くなっていた。
燭台に火を灯し、今日の明かりは少ない方がいいな、とティナが冗談を言うと、リサは口元に笑みを浮かべた。
すべての想いを打ち明けたためか、初めて見る、心からスッキリしたような笑みであった。




