12.堕落
その翌日。
自己嫌悪に陥るティナの下に、赤い鬼・羅刹が訪ねてくる。
「堪え性と節操の無さは、もはや病気だな」
「う、うるさい! まだ何もしておらぬわ!」
やれやれと首を振ると、羅刹は修道院の様子を訊ねた。
これにティナは顔を憂いに変え、包み隠さずすべて、羅刹の言葉の意味を理解しつつあると明かす。
静かに聞いていた羅刹は、そうか、と言って少し間を置いた。
「三年ほど前、ここから十六歳の少年が巣立った。里親はフランの街にすむ牧場を営む中年夫婦だ。――しかしその半年後、ガキは路地裏でのたれ死んでいた」
「まさか……ど、どうしてだっ、虐待されたのか!」
「追い出されたんだよ。“何も出来なかった”との理由でな」
「な……そんな馬鹿な! 最初から完璧に出来るかッ、許せん、どこのどいつだッ!」
憤怒に顔を歪め、腰の長剣に手をかけたティナに、おっ、と鬼の目を開いた。
しかし頭痛がするのか、ティナは空いた手・掌底で眉間を抑えて頭を振る。痛みと怒りに堪える表情は、普段の世間知らずのお嬢様とはほど遠い。
羅刹は表情を戻し、筋違いだ、と首を振った。
「タダで働く奉公人が欲しいのに、逆にタダ飯喰らいを送り込まれりゃそうもなる。ここのシスターは育てているのではなく、憐憫の情で生かしているだけにすぎんのだ」
親鳥がヒナに飛び方、餌の獲り方を教えていない。
ティナは何も言えず、治まりきれぬ怒りで頬を震わせながら修道院を見上げた。
大きくなりすぎたヒナは、零れるか巣ごと落ちるしかない――。
「彼女らは嘆いているだけで、気付いていない……!」
「その通りだ。こんな辛気くさい辺鄙な町では教育者も少なく、治安も悪い。世知に長けたシスターはまず選ばないし、来るのは教会の中しか知らない者ばかりだろうよ」
「お前はそれを知っていたのか?」
「来た時に感じた。何かはミズーラの裏通りの連中に聞いたがな」
自身を救うには、正しく堕ちる道を堕ちきることが必要となる。
一生を正視するに堪えられないのであれば、美しいうちに死ぬべきだ、と羅刹は言う。
それは何だとティナが訊ねれば羅刹は、堕落だ、と答えた。
そしてこの日の夕方、ティナは羅刹と共にミズーラ域へと戻った。
子供たちはみな悲しんだ顔をしていたが、『ちょっと働いていた所に顔を出すだけだ』と言うと、安堵した表情でティナを送り出す。
元気に手を振る姿に、ティナは胸を痛ませながら修道院を背に歩き出した
◇
それから一週間。
ボーインの娼館に戻ったティナは、これまでのように下女としての仕事に精を出していた。
寮の拭き清掃を終え、モップを片手にふうと息を吐く。窓から空を望めば、薄雲が藍色に染まろうとしている。
(子供たちは元気にしているだろうか)
掃除中もそれが気になって仕方がなく、その度に苦い笑みを浮かべた。
女たちの居室の掃除にゆこうと、窓からの街並みを見ながら移動していた時、その端に奇妙な一行の姿を捉えた。
五人の女たち。薄い朱色のローブやフードを目深に被り、人の多さに驚きを隠せずキョロキョロと周囲を見渡している。見た目は一般的な格好・旅衣装だが、どこか場違いな雰囲気を漂わせた。
「まさか、あの背が高いのはホリー……後ろにいるのはリサか?」
この町の夜は、歩き慣れているものでなければ危険だ。
ティナは一行の下に行こうとしたその時、ぐっと肩を掴まれ引き戻される。
振り返り見れば、いつの間にか真っ赤な肌をした鬼・羅刹がそこに立っていた。
「行けば、あいつらもガキどもと同じになる」
ティナはぐっと奥歯を噛みしめた。
肩で鬼の腕を払うと、見守るぐらいならいいだろう、と背を向けながら寮の廊下を歩き始めた。
シスターらは奇妙な行動を取り続けた。
ここはガラの悪い者が蔓延るような場所、悪人が悪人を律するような地である。彼女らはその中でも特に危険な、裏通りを徘徊し続けているのだ。
路肩に並ぶ売女に、ホリーなどは顔を真っ赤にして俯く始末。彼女らは足元がおぼつかず、何度も転びそうになる。そんな日を四日も続けた。
ティナは尾行を続けている内、『彼女らは何かを探している』と知った。
裏路地の更に奥まった場所にあるゴロツキどもの巣窟とも呼べる酒場を訪ね、いかにも悪辣な男たちに声をかけては退散してゆく。
幸いこれまで何も起こっていないが、下卑な男に尻を撫でられたり、腕を掴まれ連れ去られようとする危なっかしい場面を何度も見てきた。
いつか悪魔の牙にかかるぞ。
そう思っていた、六日目の昼のことである。
(リサだけ残るのか?)
滞在費が底をついたのだろうか。
ホリーら四人がここを発ってゆくのを、ティナは遠くから見送っていた。
そして、リサはこの夜も裏道の酒場を訊ねる。
――イイ女が男を捜しにきている
娼館にもそのような噂が届き、裏路地には、隙あらば食らおうとする飢えた獣たちが増えていた。
尾行するティナにも声をかける男がいたが、その度に小さな呻きと共に地面に転がる。
リサは不用心にも、そんな男たちに声をかけてゆくのだ。
(果敢の意味をはき違えている。何を探しているか分からぬが、リサ、もう諦めてくれ頼む……)
見守ることしかできないティナは、奥歯を固く噛みしめる。
女を嬲るような目にも遭い続けるのは当然。女が一人なので、その回数も内容も特に酷いものであった。羽交い締めにされ、飲みかけの酒を強引に口に注がれ、胸を鷲掴みまでされた。
心身の限界が浮かび始めたその時、大柄な男が一人、彼女に声をかけた。
これまでと雰囲気が違う。
双眸を開き、やがて怯えにも似た表情を浮かべる。
モジモジとしばらく地面を見つめ続け、意を決した表情で男に向き直ると、男は卑しい笑みを浮かべ、肩を抱かれながら酒場を離れた。
周りのゴロツキが羨ましそうな目で見送る。
ティナは止めるべきかと、何度も砂利道の上で脚の力を溜めていたが、ついにそれを蹴ることは出来なかった。
(あの顔、探しているのを見つけたような顔だった……)
向かった先は、薄汚い連れ込み宿の方面だ。
宿の中に二人が入ってゆくのを見たティナは、ああ……と嘆きが漏れ出た。
リサが宿を出てきたのは、夜明けの頃――。
涙で目を赤くし、自身の身体を抱くようにして宿に戻る。
そして休む間もなく、すぐにこの街を走り去った。




