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11.夜の声、夜の息

 この数日後。ティナの不安が現実のものとなる。


「何をやっているんだ!」


 朝早く、修道院の通用口にティナの厳しい言葉が飛んだ。

 物売りから野菜やパンを買っていた最年長のシスター・ホリーは、驚き、目を震わせながらティナの顔を覗き込んだ。


「か、買い付けをしているのですが……」

「そうではない。いったいいくらで買うつもりだ! これら全部買っても、小銀貨二枚がいいところだぞ!」

「え……」


 身体の幅よりも広い籠には、色とりどりの野菜が乗せられている。

 ホリーは物売りへ、真偽を問う目を向けた。


「ば、馬鹿言っちゃいけませんぜ。今年は野菜の値が上がっているんでさ」

「馬鹿を言うのはどっちだ。このピーマン一つでもミズーラ域では豊作で、農家が悲鳴を上げていると聞いているぞ」

「うっ……」


 物売りはたじろぎ、一歩後ずさりした。

 ティナは間髪入れず、長くまだら模様のパンを指差す。


「パンも妙だと思っていた。失敗作か何かを安く買い、ここに流しているだろう」


 それに乾物もカビた、と言うと物売りは喘ぐしか出来なくなっていた。

 ティナから差し出された小銀貨を奪うように受け取るや、物売りは逃げるように出て行った。


「こんなものに小金貨一枚なぞ、おかしいと思わぬか馬鹿者!」

「す、すみません……っ!」


 何度も頭を下げるホリーに、呆れ果ててしまっていた。

 最年長ですらこうだ。修道院しか知らぬ彼女らは世間や世情に疎く、人を疑うことを知らないため、こうして簡単に騙されてしまう。今ではミランダやキャトリンの気持ちがよく分かった。

 運営が苦しい原因の一つは、ここにあるに違いない。


勧進(かんじん)の金の件もある今、ここに来る者は全員、正直者だと思うな。悪人は神に嘘をつくことを恐れないのだぞ」

「は、はい、すみません、すみません……」


 ホリーは何度もぺこぺこと頭を下げる。

 子の手本になる大人が情けない、とティナは再び頭痛を覚えてしまっていた。


 ◇


 時の流れを堰き止めることはできない。

 ティナがやって来てから一ヶ月が過ぎ、夏の盛りがピークに達した頃になると、シスターたちの表情に不安の色が滲み始めていた。

 連日、夜更けになると奥にあるダイニングの中に、不安に苛む声が連日飛び交う。


『カルガの町から寄進でも、利子すら……』

『不安になるようなこと言わないで! まだ日がある、大丈夫よ』

『そ、そろそろ現実を見なきゃいけないと思います……。あと一ヶ月と半分しか……』

『じゃあどうしろって言うのよ……!』


 ティナは近くの廊下の角にて、じっと聞き耳を立てていた。

 夜回りの途中だった。静かな夜のせいか、そこと少し距離があっても明瞭に聞こえてくる。

 ヒステリック気味に、泣き出しそうな声をあげるのはロッティだろう。シスターの中ではしっかり者で、まだ気が強い方だ。


『リサ、どうしよう……』

『私に言われてもそんな……』

『もう、身売りするしかないのかも……』

『馬鹿なこと言わないでよ! 私たちがそうなったら、子供たちはどうするの……! イアンみたいな目に遭わせたくないわよ……!』

『ロッティ、それは』


 初めて聞く名前に、ティナは片眉を上げた。


(孤児で間違いないようだが……)


 真っ暗な暗闇の壁の向こうから、ひたひたと、近づいてくる小さな足音に気づいた。


「む? アンディか?」

「ティナ、お姉ちゃん……?」


 金髪の小さな男の子。アンディと呼ばれたその子は、ティナを見るとびくっと身体を震わせた。

 まだ甘えん坊の六歳で、特にホリーにべったりと懐いている。

 ティナが身を屈めると、つんと酸っぱい臭いがしていることに気付き、ははあ、と意地の悪い笑みを浮かべた。


「さては、またやったなぁ?」

「あ……!」


 アンディは慌てて股間を隠した。

 ほんのりとした月明かりが、濡れた寝間着の一部を照らしている。

 ティナの口調は柔らかく。ぐりぐりと頭を撫でる。


「ホリーに、こっそりシーツとか変えて貰おうと思っただろう?」

「ご、ごめんなさい……」

「まったく、そんな小細工をしてもバレるのだぞ。ほら私がやってやるから、部屋に戻れ戻れ」

「え、シスター・ホリーは」

「今込み入った話をしている」


 アンディの背を押し、孤児たちの眠る部屋に足を進める。


『勧進のお金は来月――』

『リサ、何を――』


 シスターたちの会話を背に受けながら、そっと闇の中に消えて行った。


 ◇


 孤児たちの部屋は修道院の二階にある。

 掃除がゆき届いた大部屋には、孤児たちのベッドが横一列に並ぶ。

 すやすやと穏やかな寝息を立てる子供たちに、ティナは目尻を下げつつ、奥の毛布が跳ね上がったベッドへと向かった。


「これはこれは、また盛大にやったな」

「ごめんなさい……」


 アンディは身を縮ませ、しゅんとなっている。


「今日だけだからな」


 そんな姿に笑みを浮かべながら、ティナは手際よくシーツを変え始めた。

 娼館で磨いたそれはとても早く、ぐっしょりと濡れたシーツは、あっという間に白い雪原に姿を変える。


「ほらこれで――って、まだパンツを履き変えてないのか」

「え……あ、ご、ごめんなさい……」


 ティナの手際に見とれていたのだろう。

 いそいそとパンツに手をかけるが、恥ずかしそうにもじもじとするだけで、なかなか下に下がらない。

 その様子に、ふふっと笑みを浮かべ、ティナの細くしなやかな手が伸びた。


「お、お姉ちゃ……!?」


 静かにしろと注意され、アンディは慌てて両手で口を押さえた。

 パンツをずり下げると、むっと温かい臭気が顔に浴びる。娼館にやってくる男のとは違い、健康的な子供の匂いであった。

 薄暗い中でもティナの目にはハッキリと、皮被りの小さなものが映っている。はぁ、と生暖かい吐息を感じたのか、それはびくっと震え上がった。


「……!」


 ティナは伸ばしかけた手を別方向に延ばし、枕元の飲み水で湿らせた手ぬぐいで、丁寧に汚れを拭き取ってゆく。


「てぃ、ティナお姉ちゃん……?」


 ティナは途中からじっと黙り込んだ。

 だがその手は、小さく震えるものを入念に拭いている。いつの間にかシャツのボタンを二つ外し、生暖かい吐息を吐きかけ、爛々と目を輝かせながら愛おしそうに何度も磨き続ける。

 見たこともない妖しい女の顔は、普段慕う“お姉ちゃん”ではない。アンディは怖く、震えて続けていた。

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