10.光を遮る修道院
三日後の朝。ティナは大きなリュックを背負い、フートラン修道院を訊ねた。
服は娼館の下女ではなく、白いシャツに青いスカートで固め、その上に革の胴鎧を、腰には新たに調達した長剣を携えている。一般的な騎士の姿だ。
この姿に、シスターたちは大いに感激した。
先日の化け物はタブレットを破って出てきたもの、自身はその飼い主。今回の騒動には反対の立場を取っていると知れば、彼女らは笑みを浮かべ、どうぞどうぞとティナを招き入れてくれる。
『主人の居ぬ間に大掃除したい』
行っても警戒されるだけ、羅刹はそう言ってミズーラ域に残っていた。
ティナは修道院に入ると、賊が偵察・侵入して来そうな場所のチェックする。
そしてその日から早速、揚々と周辺の警戒にあたり始める。
「ふぁ、ああ……」
早めの昼飯・パンを食い、日陰の中で大きなあくび。
気配があるのは野犬をはじめとした野生動物ばかりだ。
山から吹き下ろす柔らかな風は、強い日差しで火照った身体を冷ましてくれる。葉擦れさざめく平原の青草は、静かな荒れ地が生きていることを現している。
こんないい場所だ。泣く者を出してはならない、とティナは改めて決意を固めた。
「しかし……」
首を捻り、天に伸びる修道院を眺める。
受け入れてくれただけで、心から歓迎はされていないようだ。
案内された場所は勝手口や食料庫、便所などの必要最低限な場所のみ。その他多くの部屋、孤児たちは紹介されていない。またシスターたちも、仕事の話以外、口にしようとしなかった。
まだまだ時間がかかりそうだ、と思ったその時、ティナはふと、窓に人の影が差したのに気付いた。
何だと目を凝らそうとした直後、
「ぐッ、ぅ……!?」
ずきり、と頭に鋭い痛みが走った。
一瞬捉えたその姿は、金髪の可愛い男の子だったと思う。
(孤児か? ああくそ、頭がずきずきする……!)
再び窓に目をやった時には、もうその姿はなくなっていた。
痛むのは瞼の上か。しかし額を抑えると、逃げるように痛みが後頭部を這い回る。
うー、と唸りながら頭を揉み続ける。
日差しのせいか、それとも労働の疲れが出てきているのだろうか。最近、いきなり視線を上げ下げすると頭痛がする。
ここでしばらく骨休めするのもいいかもしれないな、と痛みを堪えながら、視線を平野に戻した。
「カルガの町も、ミズーラ域とそう変わらぬと言うのに、随分とうら寂れているものだ」
治安はあまりよくなく、経済もあまり回っていないと聞いている。
晴天の空の下。ティナの目には、灰色の町がよりいっそう暗く見えた。
◇
修道院の中で寝食を共にしているためか、一週間もすると、我慢できなくなった孤児たちが顔を見せ始めていた。
「ティナお姉ちゃん、おはよう!」
「おお、おはよう! ちゃんと眠れたようだな!」
ティナを『お姉ちゃん』と呼び慕い、爛漫な笑顔と共に、朝からまとわりつくよう集まってくる。
男児が六人、女児が四人。最年長は十一歳、最年少はまだ七歳。みな元気で可愛い盛りだ。
シスターたちはよく騎士の物語を読み聞かせているからか、やって来たのが元騎士だと知るや、子供たちは眩いほど目を輝かせた。
「ねえねえ! 僕、剣を振っているところが見たい!」
「ダメよ! 素敵な王子様の話を聞かせてもらうもの!」
右に左に、前に後ろに引っ張られ、修道院の外に出るだけでも一苦労である。
「ほらほら、ティナはこれからお仕事なのですから邪魔をしてはいけませんよ。それにあなたたちも、もうすぐお祈りの時間なのですから」
シスターの言葉に、子供たちは「はぁい……」と残念そうに返事をし、気持ちを遺したまま奥の礼拝堂に向かっていった。
「すまない。シスター・リサ」
「いえ。こちらこそいつもお邪魔してごめんなさい」
折り目正しく上半身を曲げる姿に、ティナは手を前に振った。
子供に慕われ、愛情を注いでくれる。これがシスターの警戒を解いていた。
「なんの。子供たちからの苦労は幸せのおすそわけだ」
「ふふっ、そうですね」
リサと呼ばれたシスターは、頭のクロブークを揺らし、柔和な笑顔を浮かべた。
彼女はシスターたちのリーダー――羅刹と共に、借金とその不履行のことを伝えた際、対峙した女である。当初は芯の強い者と思っていたが、心許すにつれ、彼女のそれは精一杯の“強がり”であったと判明した。
「今日も見回りのほど、よろしくお願いします」
「うむ。子供たちのため、ネズミ一匹通さぬ」
子供たちの笑顔を見ると、ティナは心安らぎ、この日も頑張ろうとの気持ちになれる。
しかし勧進のお金のことや、それを狙う賊のことを知らないはず。――なのに、元騎士だと知った時、ほっと安心した表情を浮かべたことが気にかかっていた
(この修道院にある宝は、勧進の金ではない。子供たちの笑顔だ。これを絶対に顔を曇らせてはならん)
顔を引き締め、修道院の外見回りを始める。
――しかしそれが、ガキどもにとって最善の道なのか
羅刹の言葉が頭をよぎり、ティナは足を止めた。
修道院を見上げる。太陽を隠し、濃い影が色塗られている。
“ようちえん”とは何なのか、ティナは未だに分からないが、漠然とした形は理解しつつあった。
(ここのシスターたちは、若すぎる……)
シスターは子供たちに溢れんばかりの愛情を注ぎ、子供たちもそれに応えた笑顔を見せる。
だが、それだけなのだ。
ティナは幼い頃、よく家族で礼拝に向かっていた。今でも年に一度は足を運ぶ。
どの記憶を辿っても、そこには厳しいシスターが一人は居た。自身も怒られたことがあり、思い出すたび身が縮ませる。
今眺めている修道院にはその存在どころか、中年のシスターすらいない。
最年長は二十五歳、リーダーのリサは二十三歳。最年少に限っては、何とまだ十四歳なのである。
(最年少のエイミーはここの孤児。二年前に神に身を捧げたらしいが……)
それ以外の子供らはどうなのだろう。
これまで事件らしいことが起こっていないが、有事の際、果たして若いシスターたちは対応できるのだろうか。
いや、恐らく出来ない。現にティナが元騎士だと知った時、子供たちは安堵の表情を浮かべた。大人の頼りなさ、不安を無意識下で感じ取っているのだ。
(ここは子供たちの“楽園”に違いない。しかし十歳前後の子供と言えば、騎士の子は本格的に剣術と心得、学を修める。商人の子は店先に立ち、学者の子は学問所の等級を上げる……)
若いシスターに庇護されたこの修道院は――。
考えると同時に、ティナは言いようのない不安に襲われた。




