5.主人のいぬ間に満喫
羅刹は二週間、ずっとライコーンの街・高級宿に留まり続けていた。
日が昇ってからしばらく。良質なベッドの上で腕を組んでいると、部屋に控えめなノックの音がした。
「おう、きたか」
訪ねて来たのは小さな男の子・ロアンであった。
鬼の姿の羅刹に怖々としながら、黒いカバンからぶ厚い封筒を差し出す。
「ミズーラ域の人から、これを渡して欲しいと……」
「よし。やっと来たか」
ご苦労、と羅刹は声をかけた。
「ところで、うちのご主人様の様子はどうだ?」
「あ、えと……いつものように、元気に働いてます」
ティナの元住居に手紙を入れていたのはロアンであった。
それに気付いた羅刹は、主人が働く娼館と新居を伝え、様子を見に向かわせていたのだ。
三角巾に茶色のワンピースと恰好は見窄らしいが、彼女は元令嬢。客から指名されることも少なくなく、その都度ボーインや従業員らが『まだ娼婦ではありませんので』と答えている、と気が気でない様子で報告をする。
「それと、金を早く返せ、と怒ってました……」
「それなんだが、金を全部使い切ってしまってな。いよいよ娼婦として暮らす覚悟をきめておけ、と伝えておいてくれ」
えっ、とロアンは青ざめた顔で、受け取った封筒を開く羅刹を眺めた。
羅刹はそれを無視し、封筒の中にあったぶ厚い冊子をめくりながら、ふむと鼻を鳴らす。
「それは帳簿……ですか? 背表紙がまだらに赤いですが――」
「配達人は守秘義務を遵守しろ。余計なことを考えれば、冷たい川底を泳ぐことになるぞ」
ぐっ、と悲鳴を飲み込む音が部屋に響いた。
「――よし。ロアンよ、もう一仕事頼みたい」
「は、はい……!」
「我が主人を訪ね、こちらに来るよう伝えてこい」
そう言って、中銀貨を三枚握らせる。
「次は家にいる時に訪ねろ。痴女のお姉ちゃんと会うのもあと数えるほどかもしれんからな、今を大事に思い出を作っておけ」
ロアンは何か言いたげであったが、受け取った銀貨を固く握り締め、挨拶もままならならず駆け去った。
羅刹はその背に向かって、ヒラヒラと赤い鬼の手を振る。
「お前の仕事は伝書鳩、そしてご主人様の“やる気”を引き出す当て馬だ。たっぷりと精を出してこい」
◇
ティナがやって来たのはそれから六日後のことである。
連日の真夏日の中、ローブを目深に被ってきたせいで汗だくになっている。だが顔に疲労と言うものはなく、逆に肌つやの色が良いほどであった。
「栄養剤が効いたようだな」
「な、何のことかな?」
目を泳がせるが、口元は綻んでいた。
「して、初めての労働はどうだ?」
「ここまで大変だとは思わなかった。水の濾過が必要なことから始まり、初日から娼婦たちに叱られっぱなしだ……」
差し出された手は、水仕事で荒れた以外に包丁使いに失敗した痕も残っている。
苦笑しながら失敗談を語るも、そこには刻苦の感情は無く、逆に充実感を味わっているような口ぶりだった。
「娼婦たちは淫奔で陰険で殺伐としている、ゆえに下に見られても当然だ、と思っていたが、その偏見はすぐに改めることとなった。逆にそんな風に見る男たちが許せなくなったよ」
「で、ぶっ飛ばしたのか」
先日のこと、娼館の中で酔った客がナイフを持って暴れる事件が起こった。
そこは流石に元騎士か。ティナは腰に差していたハタキで挑み、暴漢を簡単にいなしてしまったのである。
「それと、女たちから娼婦になれとうるさくてな……」
「いいじゃん。ユー、なっちゃいなよ」
「なるか馬鹿たれ! と言うか『金を使い切った』って何だ! 策があって金を借りたんじゃないのか!」
思い出したようにまくし立てるティナに、お前次第だ、と羅刹は言う。
「わたし、しだい?」
目をぱちくりさせるところに、ロアンが届けた冊子を差し出した。
訝しみながら受け取るが、中を検めた瞬間、その鋭い目は大きく見開かれた。
「こ、これは、金貸しの証文帖ではないのか!?」
「壁の耳に聞かれてもいいなら、そのまま叫んでも構わん」
ぐっ、と周囲を見渡し、声を低くした訊ねた。
「こ、こんなもの、どこで手に入れたのだ。金貸しが命よりも大事にしているものだろう」
「命よりも大事ならば、先にそれを奪ったまでよ」
「な゛ッ……!? しょ、正気か!」
「鬼の道は人にあらず。欲しがる同業者も多いだろうが、使い方を知る者には金成る木よ」
「まさか――」
ティナはそれ以上言えず、目を瞠ったまま羅刹の言葉を待っている。
「呉越同舟。さあ、お舟に乗って鬼の世界に出るとしよう」
※1800字と短いので、続けてもう1話投稿します




