4.初めての労働(譲れぬもの)
気持ち変えれば見る世界も変わるもの。
嫌なことでも対峙してみれば、気付かなかったことにも気付くようになる。
「――キャトリン殿。どうやってもシーツの真ん中が波打ってしまう。申し訳ないが教えて頂けないだろうか」
仕事を終えたキャトリンを呼び止め、教えを請う。
あまりに突然の言葉に、彼女は眼をいっぱいに、黒い瞳を点にしてティナを見据えていた。
騎士であった自分まで捨てるつもりはない。
貪欲に“勝利”を求める獣に気付いたのか、キャトリンは薄く笑みを浮かべて頷き、いいさ、と顎をしゃくって部屋へ戻ってゆく。
部屋は相変わらず臭気でいっぱいだったが、不思議と嫌に感じなかった。
「いいかい。アンタはいつも臭うベッドに触れたくない気持ちが前に出て、マットに対して斜めに被せてしまってるんだ。シーツはちゃんと中心をちゃんと合わせて、奥から丁寧に織り込んでゆくんだよ」
やってみな、と言われしっかりと意識しながらシーツを被せてゆく。
中心に合わせ、奥のサイドからシーツの端をマットの下に、そして角の部分を丁寧に折り込む。
当然、最初から上手く出来るはずもない。苦戦の末にようやく見られる形が出来、すっと手のひらでならした時には、互いの口元は自然と綻んでいた。
「アンタは耳がいいようだね」
キャトリンはやや穏やかな口調で言った。
何のことか分からなかったが、後でミランダに訊ねると、
『あれの口癖さね。人の言葉を素直に聞けるってことさ』
と言われ、ティナは少しむず痒くなった。
(しかし、私はこうも単純だとはな……)
成功したことが自信となり、嫌だった内便所の掃除も進んで取り組んだ。
女たちは避妊のため、羊の腸などを使う。しかしこれを嫌がる男も多くおり、特別料金を払うことで望みを叶えさせる者が殆ど。コトを終えれば内便所で排出するため、そこは絶えず男の精が溜まる場所となっていた。なのでここは、部屋以上に濃い男の精の臭いと糞尿臭に満ちている。
これをティナは厭わずブラシで丹念に擦った。
跳ねる飛沫で、下女の作業着が汚れていない日はない。
そのような姿を見た女たちは次第に、ティナを『騎士のお嬢様』と謗らなくなっていた。
「お姉ちゃん、新顔かい?」
「いいえ。ここの下女です」
「ほーう。どこかで見た顔だが……よかったら、下のお口も働いてみないか? おじさんが雇ってあげるよ」
下卑な男に青筋が浮かぶが、客商売であるので軽くあしらう。娼館で働いていると、このような客も少なくない。
元々が端整な顔つき、お嬢様育ちなので肉付きのいい健康的な身体なのだ。中年に片足を突っ込んだ女ばかりの中、若く瑞々しいティナは特別目を引くのである。
そのため、女たちと一緒に水浴びをしていれば、誰かが必ず、
『ティナ、あんた店に上がりなよ! その身体なら絶対にてっぺん取れるって!』
と、娼婦になれと唆すのだ。
毎回はぐらかしているものの、最近では自身の乳房や腹、尻を眺めては、まんざらでもない気持ちになっていた。
特に毎日のように男の臭いを嗅いでいるせいか、好き嫌いの区別まで現れているほど。腹の底から伸びる自分の手を感じ、慌てて頭を振ることも少なくなかった。
下人たちにも何日かに一度、半日の休みが与えられる。
この日は昼から休みのティナは、朝の仕事を終えるとすぐ白いシャツと朱色のスカートに着替え、店を出た。
特に用事はない。家でワインでも開けようかと考えていたその時、店に繋がる路地の前でモジモジしている男の子の姿に気付いた。
「ロアンッ!」
足と声が弾む。
「てぃ、ティナさん!」
「どうしてこんな所に。ここはライコーンと違ってガラの悪い男たちが多いのだぞ」
「あ、あの、ティナさんにこれを……」
そう言って差し出したのは、くしゃくしゃになった封筒だった。
差出人はロアンの名前が、宛名にはティナの名が。封を開けてみれば、先のデビュー戦による誹謗中傷を慰める文が綴られている。
「これは……何よりの励みになるな」
ティナは何度も目をやっていた時、ロアンの視線が胸元に向いているのに気付く。
駆ける間にボタンを二つ外していたのだ。
少年のチェック柄のパンツが膨らんでいるのに気付き、ティナはごくりと唾を呑む。気付かれぬよう視線を封筒に移すと、おや、と眉を上げた。中に中銀貨が一枚、入っている。
「これは?」
「そ、その、応援する選手にこうする人も多いって聞いて……」
ティナは胸がじんと熱くなるのを覚えた。
しかし自身は追放された身。いやそれよりも、ロアンの年で、しかも郵便配達の仕事で中銀貨を得るには、相当な量を苦労を強いねばならないはずだ。
「ロアン……。申し訳ないがこれは受け取れん。お前は病気がちな母のために、その代わりに家庭を支えているのだろう」
「い、いいんです! それはその、僕のお小遣いとして貯めていたのだからその……」
ティナさんに頑張って欲しいから。赤くした顔を俯かせながら呟くロアンに、ティナは愛らしく堪らなくなった。
そうか、と平素を装いつつ、再び手紙を読み返す。
感極まったせいか少し頭痛を覚えたものの、胸元に視線を受けるティナの口元は妖しく緩んでいた。




