第3話 「四葉のクローバー」
病室には、窓がひとつだけあった。
白いカーテンの隙間から、午後の光が細く差し込んでいた。
点滴の管が、透明な液体を一滴ずつ落としている。
機械の音が、規則正しく部屋の空気を刻んでいた。
病院のベッドで、ルカの息は浅くなっていく。
頬の肉が落ち、目の下に影が溜まっている。
それでも、ショーゴとアオイの顔を見ると、口の端がわずかに持ち上がる。
アオイ(5歳)は、ベッドの縁に両手をついて、ルカの顔を覗き込む。
何が起きているのか、完全には分かっていない。
ただ、お母さんがとても小さく見えることだけは、分かっている。
「ねえ、ママ」
アオイが、小さな声で言う。
「いつ帰ってくるの」
ルカは、すぐには答えなかった。
ゆっくりと手を伸ばし、アオイの頬に触れる。指先が、かすかに震えている。
「アオイ」
ルカは、穏やかに話す。
「チヨのこと、仲良くしてあげてね」
アオイは、こくりと頷く。
意味が分かっているのか、いないのか、分からなかった。
ルカは、視線をチヨに移す。
「アオイのこと、お願い」
声が、わずかにかすれる。
「あなたが一番、この子の近くにいられるから」
チヨは、何も答えなかった。
ただ、深く頭を下げる。
ショーゴは、窓の外に目をやる。言葉が、見つからなかった。
その夜、ルカは眠るように逝く。
葬儀の日、アオイはチヨの腕の中で泣いた。
声を上げて、しばらく泣いて、それからぐったりと体を預ける。
ショーゴは、その光景を、放心したまま見つめていた。
墓前には、四つ葉のクローバーが供えられていた。
ルカのいない生活に、少しずつ二人は慣れていく。
家事と育児の中心には、いつもチヨがいた。
アオイの六歳の誕生日、ケーキのろうそくを吹き消す息が弱くて、チヨが影からそっと添える。
アオイは気づいていなかった。もしくは、気づいていても黙っていた。
春、三人でルカの墓を訪れる。
アオイはランドセルを背負ったまま、墓石の前にしゃがみ込む。
摘んできたクローバーを、両手で束ねて供える。
四つ葉が、一枚だけ混じっていた。
「ねぇ、ママ」
アオイが、墓石に向かって言う。
「アオイ、小学生になったよ」
風が、木の葉を鳴らす。
「友達も、沢山できたんだ」
ショーゴは、アオイの後ろに立ったまま、何も言わない。
チヨは、その斜め後ろで、ただ静かに立っている。
三人分の影が、墓石の前に並んでいた。
ある雨の日曜日、アオイは画用紙に家族の絵を描く。
三人横に並んで、それぞれ両手の拳を握り、手のひらを見せてお辞儀をしている。
curtsyのポーズだった。
下に「パパ、チヨ、わたし」と書いてある。
ショーゴは、その絵をしばらく眺めた後、冷蔵庫に貼った。
五歳が、九歳になる。
リビングのニュース映像は、火星での資源開発競争の激化を報じている。国家間の緊張。軍事的な動き。
ショーゴの表情が、わずかに変わる。
技術屋としての興味と、何か不穏な予感が、同時に浮かぶ。
「火星って、どんなところ?」
アオイ(9歳)が、チヨに尋ねる。
チヨは、図鑑の写真を映し出しながら、淡々と説明を始める。
赤い大地。薄い大気。二つの月。
誰も、まだ知らない。
チヨが招集される日が来ることを。




