72.西と東
キリアンは、意識が回復してからの数日間、あの瞬間の自分の行動を恐れていた。
自分自身をコントロールできなかった。
自分が怖い。
こんなこと誰にも話せない。
倒れたナユタを介抱したのは、おぼろげに記憶はある。
それより鮮明なのはーー自分がリエル殿下を襲ったおぞましい記憶。
ーーどうしよう⋯⋯どうしたらいい?
その時、ナユタが部屋にそっと入ってきた。
「お兄様、今日の体調はいかがですか?」
ナユタはベッドサイドのイスに腰掛けて、リンゴを器用にむき始めた。
「もう大丈夫だよ、そろそろ復帰したい。お前より俺の方がベッドに縛り付けられてるなんて。」
「お父様の言い付けですから。」
「父上の?」
「もうすぐここへ来ますよ。二人で話をしたいそうなので、私は戻りますね。」
「ああ、ありがとう。」
(父上が僕になんの話だろう?)
キリアンは、ナユタがむいたリンゴを一口かじった。
部屋を退出したナユタは、兄キリアンの様子を毎日観察していた。
あれから、黒いモヤみたいなものは、彼の身体からは現れない。
ナユタは、父のレオンが兄キリアンと話をすると聞いてから、心がざわついていた。
※
「キリアン、どうだ? 体調は?」
ナユタの予告通り、父のレオンがキリアンの部屋を訪れた。
「もう回復しました。」
「そうか、お前も若いから、いろんな感情が入り交じるだろう。心が体を蝕んだんだな。」
「父上⋯⋯」
「怖かったろう? 体が思い通り動かなくなるのだから」
キリアンはぎくりと心臓がはねた。
(見られたのか? 狂った僕を? )
レオンはキリアンの左手を優しく両手で握った。
「ナユタの背に紋章が表れてから、ナユタばかりと対話していたから⋯⋯すまない。お前ともっと話をしていれば良かった。」
「そんな! 僕が体調を崩したのは、僕の管理不足で父上のせいではありません!」
レオンは、今まで多数の高官、部下と接して、精神的な病を発症した人間を見てきた。
結果、キリアンもその兆候かもしれないと推測していた。
彼は、息子キリアンの手をきつく握り直す。
「ナユタが私の実子となり、次期皇太子妃が確約したんだ。お前の心が壊れない方がおかしい。」
「父上⋯⋯」
「リエル殿下に思うところあるだろうが、仕方ない」
「⋯⋯はい」
レオンは、キリアンを柔らかく抱き締めた。
「こうして、愛しい人が呼吸をし触れること自体、私にとっては奇跡みたいなものなんだよ。言いたいことがわかるだろう?」
キリアンはそこではっと気づいた。
ーー父上の愛する母上は、記憶の中でしか会えない。僕はナユタのたったひとりの兄で、彼女が側で笑ってくれたら。それが今は一番幸せなんじゃないか⋯⋯?
「失礼します。お茶いかがですか?」
ナユタが、紅茶とアップルパイを乗せたワゴンを運んできた。
レオンは、キリアンを抱き締めたままナユタに、ありがとう、と礼を言った。
「ずるい! 私もハグして下さい!」
「じゃあ、こっちにおいで」
父は、笑いながら呼び掛け、3人ではしゃぎながら抱き締め合った。
ーー僕は本当に幸せだ。こうして、家族に心配されて、抱き締めあって、アップルパイと紅茶があって⋯⋯これでいいんだ。ナユタが笑ってくれれば、それで。
「ナユタ、お前、アップルパイ食べたかっただけだろう。なんで3人分あるんだ」
キリアンがアップルパイの数を指摘した。
「お父様とお兄様と一緒に食べるアップルパイが一番おいしいんですよ」
そう言って、キリアンに無邪気な笑顔を向ける。
キリアンはまた顔を赤らめ、複雑な心境になった。
「お前は本当に罪な妹だな。キリアンは悪くない」
レオンはキリアンに同情した。
ナユタは、その言葉の意味が理解できなかったが、二人だけがわかる話なのだろう、と聞き流した。
※ ※ ※
世間では、ナユタのデビュタントが延期になったので、当日何があったのか推察する噂が飛び交っていた。
「ナユタ嬢が二人の皇子とのご結婚を望まれてないとか」
「いや、大怪我をされたと聞いた。『不吉第二皇子』が発動したか」
「第二皇子には、他に想い人がいるらしい」
大衆は、いろんな情報を真に受け、噂話に花を咲かせていた。
ナユタは、国民がこの事件を面白おかしく話題にしてくれれば良いと達観している。
彼女自身、死に直面した事件なので、別の方向に歪曲されるのは構わなかった。
リエルの風評被害は避けたかったが、彼は年齢以上に大人の対応をしている。
ふと、幼い彼が刺客に襲われ震えていた姿を思い出す。
あの頃。
自分はモモイロノトリで、リエルは10歳の気の弱い皇子だった。
ーー あの時も、その後も、私はずっと皇子様の側にいれて、幸せだった。
ナユタは感慨深く思い出に浸っていた。
※ ※ ※
一方。
デビュタント襲撃事件の黒幕は、ハバイシュ家ベルマ辺境伯と断定。
彼は、西帝国に亡命した後だった。
ハバイシュ家の騎士達は、ベルマの命令で今回のクーデターを起こしていた。
彼らは、自分の家族が人質に取られ、脅されていた。
所詮、メインホールに突撃したのは、捨て駒の騎士達だ。
リエルに解毒剤を渡した騎士団長ロザンでさえ捨て駒。
数年前、ハバイシュ家は領地戦を繰り広げたが、クレオ大公はじめ東帝国騎士団に邪魔をされた。
そして、領地拡大に失敗し、爵位を剥奪されそうになった。
ベルマは、西帝国に東帝国の情報を売り、亡命し、身の安全と十分な金銭を手に入れていた。
そんな主人に仕えていた捨て駒の騎士と言えども、処刑せざるを得ない罪である。
事情聴取が終われば、そのまま裁判。
全員、処刑か流刑になる判決が下るだろう。
※ ※ ※
ガシャーーーーンッッ!!
ワイングラスが床に叩きつけられ、砕け散る音が部屋中に響き渡った。
「またしても! 役立たず共め!」
西帝国皇帝ハーツは怒り狂って、部屋中の物を投げつける。その際、ガラス片が当たったのか彼の手の甲から鮮血が滴り落ちた。
「あと少しであの小娘も息絶えたのに! 何が邪魔したんだ? 皇子共か? エストリニア神か? あと少し! あと少しだったんだ!」
カーテンは引き裂かれ、ベッドも荒らされ、調度品も床に散らばっていた。使用人達は震え上がり、成す術がなく壁に固まって寄り添っていた。
止まり木で様子をうかがっていたクロイロノトリは、大きなため息をつき、ハーツ皇帝の肩にのった。
「お鎮まり下さい。エストリニア神の平定(※1)はまだ発動されていません。婚姻を阻止すれば、まだ希望はあります」
呼吸が荒いハーツ皇帝の耳元で、クロイロノトリがささやく。
「そうだな、また策を考えるか」
ハーツはやっと落ち着き、どさっとソファに腰をかけた。 ソファの背に頭を乗せ天を見上げ、片腕で目元を隠し、思考を巡らせる。
ーーキリアンとかいうナユタの兄は、少ししか魔術の効力がなかった。それも、今では全く跳ね返されてしまう。良き理解者がいたのか。忌々しい。どいつだ。何とかして、エストリニア神の平定(※1)を阻止しないと
皇帝は一つため息をつき、クロイロノトリを腕に乗せ頭をなでる。
「チェリー、お前のためにも東帝国を手に入れないとな」
闇色の鳥チェリーに微笑んでみせる皇帝ハーツ。
「ナユタ フォン シュバルツか」
男の口はゆっくりとその名を吐く。
「すぐに殺すのは惜しいかもな」
クロイロノトリは、不安そうな表情を浮かべ皇帝の横顔を見つめていた。
※ ※ ※
(※1) エストリニア神の平定
シュバルツ侯爵家の令嬢が皇后となれば、東帝国は平安な時代が訪れるという逸話の名称。
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