71.全てを敵に回す妹
翌日、ナユタは兄の部屋の扉を静かに開く。
彼は薬を飲んで熟睡中。
窓が少し開いていて、そよ風でカーテンが揺れ、柔らかい日差しが入り込んでいる。
ナユタは、時が止まったような部屋のベッドサイドの椅子に座った。
(お兄様、疲れたでしょう)
彼の閉じた瞼にかかる前髪を手ですきながら、あの瞬間を思い出す。
リエルに剣を向けた時、兄キリアンに黒い影が覆った。
(私だけが気がついたのかしら? )
ナユタは、いくら考えてもあの影の正体がわからなかった。
(なんにせよ、私が毒で倒れたのはお兄様のせいではない。目が覚めた時、私が一番にお兄様と話がしたい。)
ナユタは、キリアンのベッドの横で読書をして、目が覚めるのを待っていた。
※
(キリアン視点)
ピィピィピィ⋯⋯チチチッ⋯⋯
「こら、お兄様が驚いてしまうわ、また後でね、ハンナ」
まるで鳴いている小鳥と話をするような妹の声。
そっと瞼を開く。
見慣れた天井が視界に広がる。
(僕は自分のベッドで、今まで寝てたんだ)
その事に初めて気づく。
窓がパタンと音を立てて、閉められた。
妹がレースのカーテンで窓を覆い、直射日光を和らげる。
「ナユタ?」
僕は愛しい妹の名を呼んだ。
ピンクの巻き毛が薄い日光に反射し、淡い緑の瞳が僕をまっすぐに射抜く。
相変わらず、絵本から飛び出たような美しさだ。
「お兄様、目が覚めたのね?」
僕はなぜこんな日中に寝てたんだろう? なぜナユタが僕の部屋に?
僕は⋯⋯?
突如、頭の中で、あの惨劇が流れ始めた。
眼前に、僕がリエル殿下の背後から切りつける場面が広がる。
そして、ナユタがそれを制するために⋯⋯。
そこからの記憶がない。
これは、現実か?
僕はリエル殿下を切りつけようとしたのか?
何故?
その記憶をたどろうと必死にもがくが、頭が割れる。
それほどの激痛と混乱。
「あぁっっ! あぅ!」
僕はどうしてしまったんだ。
わからない。
ただただ、頭が痛くておかしくなりそうだ。
「お兄様! どうしたのですか!」
僕は両手で頭を抱えて、もだえ苦しむ。
顔は冷や汗と涙でぐしゃぐしゃだ。
ナユタは僕の頭を抱え込むように、きつく抱き締めた。
「お兄様、大丈夫です。私がそばにいます」
ナユタは僕の頭を抱きかかえながら、背中をさする。
「ゆっくり呼吸して。⋯⋯そう、上手」
僕は幼子のように、ナユタにしがみついた。
「怖かったでしょう。もう大丈夫」
しばらく震えが止まらなかったが、徐々に呼吸が整い落ち着いた。
「すまない、取り乱して」
ナユタは柔らかい笑顔で、照れながら体を離す。
「何か飲みますか?」
「じゃあ水を」
ナユタはベッドサイドに用意された水を僕に差し出す。
「軽く食事をして、また薬を飲んで寝ましょう。数日休暇をいただきました。私もしばらく活動せず、休みますので」
「僕が怖くないか?」
ナユタはしばらく黙り込む。
そして、僕の手を握りながら、まっすぐ見つめる。
「どうして? お兄様を怖がる理由がわかりません」
「僕、僕はリエル殿下を!!」
震える声で、自分の犯した罪を口にしようとした。
その時ーー。
「私はこのままでは殿下とは婚姻いたしません」
「え? 」
ナユタは、僕の手をさらにきつく握りしめる。
「で、でもそれでは皇家、国民、神殿⋯⋯、全部敵に回すぞ」
「私は、リエル殿下といつか婚姻したいですよ」
「じ、じゃあ何故」
ナユタは大袈裟にため息をついた後、自分の主張を告白する。
「私は人間の16才の女の子です」
「そうだな、大貴族の令嬢ではあるが」
「すぐ婚姻したくない理由がわかりませんか?」
「好きな人と婚姻しない理由なんて、全くわからない」
「デートですよ。まず恋人になってから、デートしないと!」
ナユタは少し頬を膨らませて、僕を睨んだ。
僕は、皇家、国民、神殿⋯⋯全て敵に回しても、デートを重要視する感覚が本当にわからない。
「少し話しすぎましたね。お兄様はしばらく私の看護の元、休養して下さい」
握っていた僕の手を離し、布団をかけた。
「軽い食事を用意してきますね」
「あ、ああ、ありがとう」
僕は、かいがいしく世話を焼く妹の後ろ姿を見ながら、罪悪感がぬぐえないでいた。




