70.ただ、怖かった
(冷たい⋯⋯なんだろう? )
ナユタは、頬が濡れている感覚で目が覚めた。
体を起こすと、皇宮ゲストルームのベッドに寝かされているようだ。
手で枕に触れると少し濡れている。
(泣いていたの? 私が? )
足元に重みを感じる。
誰かが、ベッドサイドの椅子に座って、ナユタの足元で臥せって眠っているようだ。
ナユタは一目でその人物がわかった。
リエルだ。リエルが眠っている。
ーーリエル皇子殿下? ずっと私につきそってくれていたの?
同時に、彼女は涙があふれてきた。
ーー怖かった、ただ、怖かった。死を覚悟した時、もう二度と皇子様に会えないと⋯⋯。
涙をはらはら流し続けていると、リエルの肩が少し動く。
目が覚めたようだ。
眩しそうに目を開けた彼は、ナユタの方に顔を向けた。
涙を流し続ける彼女を瞳に映す。
「⋯⋯ナユタ、目が覚めたんだ。良かった」
両手でガラス細工を扱うように、優しくナユタを抱き締めた。ナユタも、彼の背中に両手を回す。
「こ、怖かった。怖かったんです」
涙声でリエルに訴える。
リエルは涙をこらえるような表情をして、彼女に謝罪する。
「悪かった」
「も、もう会えなくなると。死ぬのは怖いです」
リエルは、優しく彼女の背中をぽんぽんと慰めるように叩いた。
「もう大丈夫だから」
「はい」
二人は、しばらく抱き締めあっていた。
ーー私はもう完全に人間になったんだ。死ぬのが怖い。死んではいけない。
そのリエルとナユタの様子を、窓の外から一羽の猛禽類の大きな鳥が眼を光らせて見つめている。
そして、空高く大きな羽を広げて、飛び立った。
※
リエルの腕の中で、涙を流す甘い雰囲気だったのに。
ナユタのお腹の虫がなった。
「あぁ! き、気にしないで下さい!」
リエルは笑って彼女の頭をなで、スープでも持ってくる、と告げて退室した。
すると、入れ替わるように父レオンが、慌てて室内に入ってきた。
「ナユタ、気がついたのか?」
息をきらして、レオンがベッドに歩み寄る。
「はい、先ほど起きました」
「良かった、本当に」
父は自分の涙を隠すように、彼女を抱き締めた。
「心配かけました。どのくらい寝てましたか?」
「ほぼ一日だよ。リエル殿下が首謀者から解毒剤を奪い、へヴァン殿下が実行者から処方を聞き出したんだ」
「へヴァン殿下がですか?」
「今は自分の身体のことだけを考えなさい。美味しいものを食べ、楽しいことだけをしなさい」
レオンはナユタの頭を幼子のように、ぽんぽんと叩いた。
「ところで、お兄様はどこにいらっしゃいますか?」
レオンは、少し間をおいてから、口を開いた。
「別室で休んでるよ。あいつも心労がたたったのだろう。体調が悪い中、あんな事件が起こったのだから」
「そうですか、私もお兄様に、」
「やめとおけ」
レオンは、ナユタが言い終わる前に忠告した。
「何故? 感染する病気にでもかかったのですか?」
「違うが⋯⋯あいつは、身体的なものより精神的なショックで寝込んでいるようだ」
ナユタは、そういえば最近体調が悪い、とキリアンが口にしていたことを思い出した。
「では、明日私がお兄様が寝ている時に様子を伺いに行きます。それなら、いいでしょう?」
「頑固なヤツだな、まあいいだろう」
呆れ顔でレオンは許可を出した。
「あれ、レオン閣下、いらしたのですか?」
リエルが、スープを乗せたワゴンを押して部屋に入ってきた。
「リエル殿下にご挨拶申し上げます。」
レオンはリエルに向き直り、頭を下げる。
「殿下自らスープを運ばれたのですか?」
ナユタは驚いたような声を出した。
「これくらいできる!」
リエルは少し拗ねた声で返答する。
レオンは、二人のやり取りを微笑ましく眺めていた。
そして、気づいたことがある。
確かに、彼はナユタの元気な姿を見て安堵した。
しかし、目は腫れて真っ赤になっている。
ーー私がここに来るまで、かなり泣いたのだろう。しかし、僕はナユタの涙を目にしたことがない。弱っている姿を家族にも見せない。だが、きっとリエル殿下の前だから涙を流せたのだろう。あのニ人は、きっと上手く歩めるはず。
親として、娘の幸せを願う反面、もう一人の宝物が頭をよぎった。
ーーキリアンと話をしなくてはならないな。
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