64.ファーストダンスは踊れない
キリアンは自分の客室に戻り、桶に入った水で顔を洗う。
何度洗っても、義妹への想いは消えるはずもない。
東帝国内で身分関係なく、皆、ナユタが次期皇太子妃になることを喜んでいる。
まるで、それを望まない自分だけが罪人のようだ。
「キリアン様、そろそろ会場に向かうお時間です」
執事が、タオルで顔を拭いているキリアンに告げる。
「そうだな。すぐ準備する」
(それでも、今日は無事に大役を果たさなくては⋯⋯)
キリアンは黒い感情をもつ自分に言い聞かせた。
※
父のレオンが皇居のメインホールに着いた。
今日は娘のデビュタント。
そして、息子のキリアンがエスコートする。
なんとも感慨深い一日だと痛感する。
(ナーシャ、私と君の子供達の晴れ舞台だよ)
心の中で、永遠の妻に語りかけた。
「よお! レオン閣下! 今日は父親冥利につきる日だな」
レオンに背後から声をかける人物。
大公クレオだ。
「クレオ閣下、私は肉親なので会場内に入りますが、閣下はどうされるのですか?」
「私も会場内に入るが、うちの護衛騎士の統率にあたる。皇室騎士団は副団長が指揮をとるのだろう?」
「今日ばかりは私も父として、パーティーに参加しないとならないので。副団長にお願いしました」
「そうだな。ナユタ嬢が主役だが、キリアン卿もパートナー役だろ? 私も盗み見しながら、業務にあたるよ」
今やナユタのデビュタントが、東帝国の一大行事となった。護衛騎士もかなりの数だ。
「主に都市部に近い貴族の騎士が召集されたのですか?」
レオンは、クレオにたずねた。
「西のハバイシュ家だけ辺境伯としては、騎士を多数送り出してるね。まだあまり信用できないが。イアン家とももめた後なのに」
「ハバイシュ家が?」
「ああ。かなりの日数かけて登城したみたいだから、陛下も送り返すこともできなかったみたいだ。そのかわりホールより最も離れた東門に配置した」
「それなら、良いですね」
※ ※ ※
華やかなデビュタント会場。
成人となる貴族令嬢が続々と白いドレスで入場する。
扉の外で、キリアンと腕を組み、ナユタは入場するため待機していた。
いよいよ入場曲が流れる中、入場する扉が開いた。
そして、キリアンのエスコートで入場するナユタ。
一斉に会場がどよめいた。
「美しい⋯⋯さすが次期皇太子妃だ」
「もうすでに皇族の気品があるわ」
「ますますナーシャ夫人そっくりになられて」
「キリアン卿も堂々とされているわね」
ナユタとキリアンに目が釘付けになる貴族達。
二人は、そのまま父レオンの元に近寄る。
「お父様、いかがですか? 私もレディの仲間入りですよ」
レオンは、娘の姿をただ見つめる以外何も語らない。
「父上、お気持ちはわかりますが、何かおっしゃって下さい」
キリアンは口を開こうとしない父に、言葉を促した。
「あ、ああ、すまない。きれいだよ、ナユタ。私にとっては世界一美しいレディだよ」
「お父様⋯⋯」
少しレオンの目が潤んだように見える。
今日はナユタもそこは追及しなかった。
今日一日ぐらいは、自分に愛するお母様を重ねてもいいんじゃないか。
ナユタはそう思った。
トランペットの音が響き皇族が入場。
テオ皇帝陛下に続き、アリシア皇后陛下、へヴァン第一皇子、リエル第二皇子⋯⋯そして、護衛騎士が各々一名ずつ帯同している。
デビュタントを迎えたレディに祝辞を述べる皇帝テオ。
いよいよデビュタントボールが始まった。
壇上の皇族席に座っているリエルを目に焼き付けるナユタ。
ーー皇族の正装なのね⋯⋯本当、イケメンは人を幸せにするわ。
ナユタは扇子でニヤニヤする口元を隠す。
リエルを穴があくほど見つめていた。
その様子を兄キリアンは、横から見つめていた。
彼はわかっている。
にやつく妹につける薬はないのだーー。
しばらくすると、音楽が流れた。
リエルはへヴァンに向かって予告する。
「へヴァン兄上、今日は先に僕がナユタ嬢にダンスを申し込みます」
「お好きにどうぞ」
へヴァンは、興味がないのか上の空だった。
リエルは皇室席からゆっくり階段を降り、ナユタの元に向かった。
貴族達は、その行動をじっと固唾を飲んで見守る。
「ナユタ嬢、私にあなたのファーストダンスを一緒に踊る栄光を与えてくれませんか?」
会場はしんと静まり返っている。
その時。
へヴァンは右上の天窓に目を向ける。
突然、遠くの空が灰色に染まった。
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