53.何もかも忘れた第一皇子
テオとアリシアは、医院長からへヴァンが入院している病室に案内される。
護衛達が扉の前で、室内にいるレオンに向かって報告。
「レオン閣下、皇帝皇后両陛下がお見えになりました!」
レオンは扉を開け、両陛下にへヴァンの様態を小声で報告。
「お待ちしておりました。 へヴァン殿下は、腕を負傷されていますが、お命に別状ありません。 数日すれば、皇居内の病院に移動も可能と聞いております」
テオがへヴァンに目を向けると、彼は窓の外を眺めていた。体型や濃茶色の髪⋯⋯まさに彼そのもので、涙があふそうになる。
「へヴァン良かった⋯⋯腕は痛むか?」
優しく語りかけると、幼い彼は振り向いた。
鋭く光る茶色の瞳。
「お前達は⋯⋯誰だ?」
彼は冷めた視線で二人を睨む。
テオは、見守るレオンの複雑な表情を見て機転をきかせた。
「君の父と母だよ」
へヴァンは無表情のままだ。
「そうか、お前らが僕の両親ってやつか。覚えておく」
一言だけそうつぶやくと、また窓から見える空を眺めていた。空を眺める瞳は穏やかだ。
「私たちがいては、休まらないだろう。外に護衛が待機してるから、何かあれば声をかけなさい」
それだけ伝えて、テオ、アリシア、レオンは別室で話をすることにした。
※
「一時的なショックによる記憶喪失かもしれません 。 医者もすぐ記憶が戻るかどうかはわからないそうです」
レオンは、皇帝と皇后に医者からの見立てを伝える。
「自分が何者かもわかってないのか?」
「そうですね。 私がへヴァン殿下にご自身の立場をお伝えしました 」
(ショックが大きくて、記憶が混乱しているのか⋯⋯それにしても)
皇帝は侯爵に疑問をぶつけた。
「性格があまりにも違う 。 まるで別人だ」
「私も驚きました 。 しかし、ショックのあまり性格まで変化することもあるようです」
「そうか」
そこまで言われれば、納得せざるを得ない。
今まで無言だった皇后が口を開く。
「とにかく生きていてくれて⋯⋯良かった」
体中が震え、涙を流し始めた。
「アリシア⋯⋯疲れたであろう 。 へヴァンの顔だけ見て、もう帰ろう」
テオは、アリシアを優しく抱き締めた。
すると、彼の腕の中で彼女は涙をハンカチでぬぐいながら、一瞬鬼のような形相で微笑んだ。
テオは目を疑った。
(アリシア⋯⋯? )
三人は再びへヴァンの病室に顔を出す。
アリシアは、へヴァンの手をきつく握りしめた。
「本当に良かった、しばらくゆっくりしてね」
彼女があまりにも手に力をこめるので、へヴァンは顔をしかめた。
そして、彼女は悪魔のような笑みを浮かべる。
へヴァンは、その母の形相を見ても、なんの反応も示さない。
「では、皇居で待っている。 また話をしよう」
「わかった」
皇帝との会話も記憶喪失のためか、敬語は一切なかった。
※ ※ ※
「へヴァンがおかしい?」
翌日、テオにへヴァンが入院中の病院で世話をしている看護師から報告が入る。
「はい、言葉は通じるのですが、貴族⋯⋯いや、人としての生活まで忘れてるかのような」
「例えば?」
「温めのスープをお出ししましたが、そのスープに顔を近づけて舌でなめました、犬みたいに。スプーンの使い方も分からないようです。」
「何?」
「まるで、動物です。排泄の仕方もわからないようなので、それもお教えしました」
「⋯⋯そんなことがあるのか?」
「過度な幼児退行や精神的なものか⋯⋯とりあえず覚えは良い御方なので、一度で覚えられますが」
「今回のことは、へヴァンにとってもショックが大きかったのであろう。悪いが、生活マナーから教えてやってほしい」
「承知しました」
そして、やはり文明社会から切り離された少年のような行動をする、と連日病院から報告が入る。
食べて、寝て、排泄して⋯⋯これはなんとか入院中に思い出したのか習得したようだ。
いよいよ、明日へヴァンが皇居敷地内の病院に移動する。
父のテオ皇帝、母のアリシア皇后⋯⋯とりあえず二人で彼を見舞うことにした。
※ ※ ※
「お前たちだけかよ? リエルは来ないのか?」
ベッドの上で食事をとるへヴァンと面会。
ちゃんとスプーンとフォークを使って食べていた。
しかし、テオにはやはり皇子としての気品等何もない子供に見える。
ーー治るのだろうか? いや、これからまたマナーや所作を学べばなんとか⋯⋯。
テオが戸惑っていた、その時。
「へヴァン、リエルとは距離を置きなさい」
アリシアが急に険しい表情に変わり忠告する。
「⋯⋯距離を置く? どういう意味? おばさん!」
「へヴァン、お前の母親だろう? お母様だ」
テオは幼児に注意するように優しく正す。
「⋯⋯僕はリエルさえいればいいんだ。リエルに会わせて。
病院で一回会っただけだし 」
「もう少し、兄らしくなったら一緒に遊ぶといいよ」
皇帝テオは、今のへヴァンにリエルを会わせることを躊躇していた。
(あまりにも、以前のへヴァンと変わりすぎている。上品で控えめな11歳の子供だったのに。)
その時。
「⋯⋯リエルとは距離をおくよう言ったはずよ!」
急に皇后アリシアが、へヴァンに激昂した。
「あの子はあなたにとって邪魔な存在なのよ! 仲良し兄弟なんて冗談じゃないわ!」
すると、へヴァンは目を見開いて、皇后を睨んだ。
「おばさん⋯⋯体から煙いっぱい出てる。今日はもう帰れば?」
それから、アリシアは胸をおさえ苦しみ出したので、テオと共に退出した。
(⋯⋯煙? 体から煙ってなんだ? )
テオはよろよろと歩くアリシアを支えながら、後日へヴァンと二人きりで話すことを決意した。




