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異世界輪廻 全身甲冑  作者: a
N+1 回目(プロローグ)
2/6

1.20

 荷車を引く道すがら見かけた畑は、どこも昨晩の嵐でめちゃくちゃになっていた。土は雨で流され、木々の枝葉や、よその家の桶やら鉢やらが散乱している。私の担当する畑も例に漏れなかった。まずは畑から瓦礫を取り除かなければ。


 軍手をはめ、整備を始める。

 中腰の姿勢から手を垂らし、大きめの瓦礫をつかんでは畑の端の方へ放る。広い畑に人手は私一人。一体いつ終わるのか、考えただけでうんざりする。

 拾っては投げ、拾っては投げを繰り返す。


 一体どれだけ時間が経っただろうか。作業を進めていると、ふと湿っぽい空気を感じて私は顔を上げる。

 遠くを見やった私は絶句した。

 地平線の果てを、霧が覆い尽くしていた。


「おい…………嘘だろ」


 あのあたりには山脈があって、今までも霧はかかっていたがそれも(かす)かで、山々の姿を十分に視認できていた。それが今や全く見えないほどの濃さになっていたのだ。確か山々に霧がかかり始めたのは私より何十世代も昔という話だったはずだ。それだけ長い年月をかけても霧の濃さは変わらなかったというのに、たった一晩で山々を完全に覆い隠すなど前代未聞だ。


 しばらく放心した後、我に返る。時刻はそろそろ太陽が空の頂に昇る頃だった。朝と同じく雲一つない快晴だが、私の目には空の青色がどうもぼやけているように見えた。


「……」


 私は瓦礫の収集を再開した。


 霧に呑まれた人間は決して帰ってこない。どこへ行ったかも分からない。

 我々の村を遠巻きに囲むその忌々しい霧は、大昔から悠久の時をかけて遅々(ちち)として、されど着実に迫ってきた。霧の包囲に穴は無く、逃げ場がない以上、村人全員がいつかは霧に呑まれる運命にある。自分でなくても子が。孫が。村人全員が知っていることだ。霧の移動が一晩で大きく進もうが、この村の終わりが前倒しになるだけで結末は変わらない。


 霧の向こうと死後の世界は、どちらも一方通行で逃れようがなく、その先がどうなっているか分からないという点において同じだ。だから霧は死を具現化したものともとれるだろう。それでも、多くの村人は霧に対して大した恐怖もなければ関心も薄い。自ら踏み込まず、考えず、見えないふりをしている。大昔からそんな対応を続けているから、今やそのことを認知することすら難しいかもしれない。問題は先送りに。どうしようもなくなるまで何もせず、目を逸らし続ける。人知の及ばぬ領域に対して諦観するのは、徒労を予見しているからでもあり、陰鬱さを抱え込まないための自衛でもある。


 先刻、私が動揺したのは、単に今まで直視する機会のなかった終末が急に存在感を増して私の目の前に立ち現れたからだ。ここでない畑で、同じように毎日霧に塗りつぶされた景色を見ながら農作業に勤しむ者も既にいることだろう。これまで私が知らなかった、これから当たり前になるであろう、この村の日常だ。


 日没までにはまだ時間があるが、私は農作業をいつもより早く切り上げることにした。

 畑の端に集めた瓦礫を荷車に詰め込む。やはり瓦礫をあらかた取り除くにはあと数日はかかりそうだ。


 私は霧の山脈に背を向けて畑を後にする。まだ広大な畑で作業している村人に「お先に」と声をかけながら私は帰路についた。皆変わりない様子だ。何事もなかったかのように、いつも通りだ。


 荷車の瓦礫を廃棄場に運び入れて家へ帰る道中、私はふと足を止める。


 霧が押し寄せてくるのはいいとして、それが一晩で大きく進行したのは異変といえるだろう。だからどうするという話だが、一応村長に報告だけしておこうか。

 村長と言っても地位や立場は普通の村人と大して変わらない。何かあったときの相談役のようなものだ。私はあの人が少し苦手だが。


 帰路の途中で進路を変え、しばらく歩くと村長宅についた。

 戸を叩くと若い男、村長の息子さんが出てきて応対してくれた。用件を伝えると、すぐに家の中へ通された。


 村長宅はそこらの村人の家屋より少し大きく、かなり年季が入っているが、造りに違いはなく内装も豪華なものではない。村の長としての権威を示すような物もない。


 私はテーブルのそばへ案内され、腰掛けに座って待つように言われた。


「今、父は薪割りに行っていまして。呼んでくるので少々お待ちください」

「いえ忙しいならまた後日にでも……」

「遠慮は無用です。薪は保存が利きますが、悩み事は時間と共に腐っていくものですよ」


 そう言って彼は外へ出て行った。

 しばらく待つと、戸が開いて村長が入ってきた。


「こんにちは。お邪魔して……」

「何用だ」


 低く冷たい声で私の言葉を遮り、村長は私の向かいの席に腰を下ろした。髪はボサボサで固まり、目は虚ろで薄気味悪いともいえる。だが、真っ直ぐ堂々と伸ばした背筋には妙な迫力があり、総じてみすぼらしいとはいえない。


「はい。今日は報告に来ました。大したことでもないし、既に聞き及んでいるかもしれませんが、私の担当する西の畑の先にある山脈が、霧に埋もれて見えなくなっていました」


 私はそこで言葉を切って村長の方を見たが、村長は微動だにせず、黙して語らない。


「……嵐の前日には山脈は曇りなくそこにありました。それがたった一晩でその陰すら見えなくなったんです。私はこんなに霧の足が速いとは知りませんでしたので……ええと、その、別に普通のことであったならいいんです。ただ一応村長のお耳には入れておくべきだと思って……それで」


「そうか」と言うと村長は再び黙った。

 二人しかいない大きな家の中に、沈黙が流れる。


「ああ、ええと……それだけです。…………それでは私はこれで」


 そう言って私は立ち上がるも、村長は何の反応も示さなかった。


 手をかけて戸を押したとき、斜陽が差し込んできた。外は一面茜色に照らされているが、夜の気配がすぐそばまで近づいている。

 それに気づいたとき、私の脳裏に今まで忘れていた昨晩の悪夢が蘇った。

 雨音、暗闇、雷鳴と閃光、それから……


「……怪物」


 外の暗がりを見たからか、あるいは言葉にしたからか、悪夢が妙に現実味を帯び始め、私は途端にあのときのことが夢だと思えなくなってきた。

 私は振り返り、再び村長に向き合う。


「村長、もう一つだけ伝えておきたいことが……」


 言いかけて、改めて考えれば悪夢を見た不安を村長に打ち明けるのも馬鹿馬鹿しいとも思ったが、今更口をつぐむのも(はばか)られたので話を続けた。


「……昨晩、私が嵐で寝付けずにいると戸が叩かれたんです。それで開けると人の形をした怪物がいて――」


 村長の目はこちらを向いていた。


「――それからその怪物が私の方に手を伸ばしてきたところまでは覚えているんですが……気がついたら寝台の上にいて、朝になっていました。もちろん夢だったとは思いますし、ただの見間違えかもしれません。ですがもし……」

「……おまえは臆病だったな」


 話し始めた村長の顔を窺えば、(わず)かに表情が柔らかくなっている。


「儂はおまえのことを小さい頃からよく知っているが、その頃から臆病だった。その辺の虫や小動物にも怯えて近づきたがらないし、嵐の晩なんかは一晩中泣いていたと、おまえの母から聞いたこともあった」

「ええ、まあ……お恥ずかしい限りです。しかし長じてからはそれもなくなりましたがね」

「だが今でも嵐の晩には悪夢にうなされるわけだ」

「いや毎年じゃないですから。今年はたまたま……」


 村長はおもむろに立ち上がると、手を後ろに組んで歩み寄ってきた。


「ふふっ、からかってすまんな。おまえの幼少期の面影を見た気がして懐かしくてな……おまえの息子はどうだ。おまえに似たか」

「いえ全く。今日も朝遅くまでぐっすりです」

「どうかな。案外、その寝坊癖はおまえと同じく夜に眠れないからかもしれんぞ」


 村長は私が開きかけた戸を押して外へ出た。私も後に続く。

 日が地平線へ沈みゆく。弱々しい夕日が、畑帰りの村人たちの影を長く長く伸ばしていた。


「霧に呑まれたらどうなるのか知る者はいない。だから案外、霧による終末を迎えた後も以前と変わらない暮らしができるかもしれない。かといって何か根拠があるわけでもなし、その先は地獄かもしれない。その根拠もない訳だが。分からないものを分からないと知った上で考え続けることほど愚かなことはない。なればこそ先を憂うも希望を抱くも、等しく不毛であることは明白……この村の考え方はそんなところだ。やがて村人たちはその考えを霧以外にも当てはめるようになった――嵐しかり、悪夢しかり。死すらもな」

「……自ら無知蒙昧たらんとすることを堕落と呼ぶのではないですか?」


 遠くの方を眺めていた村長は私の方へ向き直ると、真剣な目つきになった。


「ここは最後の村で、我らは残留した民だ。それを鑑みれば、この風土は我らにお似合いだとは思わないか。過去には様々な人がいたようだが、今はもういない。村人だけが残った。その意義を理解し、領分を弁え、振る舞いを正せ。それができない者は少数ながら、今も昔も後を絶たない。だからお前もそうはなってくれるな。悪夢に震える臆病な村人のままで良い。無論、儂や他の者も含めてな」


 相談に乗ってもらうというより、一方的に(さと)されているような気がした私は彼に問い直そうとしたが、機先を制された。


「もう日が沈む。夜道は危ないからもう帰れ」

「あっ、ちょっと」


 呼び止めようとしたと同時に目の前の戸が閉められた。

 霧にしろ怪物にしろ、まともに取りあう気はないということだろうか。


 私は閉められた戸を再び開こうと伸ばしかけた手を下ろす。振り返れば、農作業を終えた村人たちが群れを成して帰路(きろ)についている。

 今日も村に風は吹かない。いつも通りだ。

 私は村人たちの行列に合流し、湿った空気を肌に感じながら家に帰った。

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