1・1 初夜の衝撃
「あなたを愛することはないわ」
声が震えそうになるのを懸命に抑えてきっぱりと告げると、レイモンの無表情がわずかに崩れた。
類まれなる美貌の持ち主でありながら、その表情は無と不機嫌の二種類しかないと言われているレイモン。
でも今は切れ長の目が見開かれ、その動きのせいなのか、右耳に下がるプラチナの耳飾りが微かに揺れている。
冷淡で感情の起伏が乏しい男だとの評判だけれど、そんな人でもわたくしの言葉に驚いたらしい。
この男は、誓いのキスをわたくしが誤魔化したときに、こうなることを予測できなかったのかしら。
あれから数時間。お披露目会も終わり、わたくしとレイモンは新婚初夜を迎えるところ。
薄暗い室内には甘い香りがたちこめて、幅が広すぎる豪勢なベッドの上には色とりどりの花びらが散りばめられている。
部屋を整えてくれたメイドは、さぞかし気合を入れてくれたらしい。
だって新婚初夜といえば普通は、大切で特別な一夜になるものだものね。
わたくしだって半年前までは、いつか迎えるその夜は、期待と恥じらいで高揚した気持ちで迎えるものだと思っていた。
けれど今わたくしの目の前にいるのは、あのころ思い描いていた愛する人ではなく。
国王一家に押し付けられた余りものの男、レイモン・ロヴァッティ。
まだ二十二歳という若さでありながら、三大公爵家のひとつロヴァッティ家の当主にして、国内最強集団である魔術師団の師団長。
彼は地位も名誉も神がかった美貌も持っているけど、わたくしにとってはそんなことに価値はない。
みじめで泣きたくなる。
けれど、わたくしは公爵令嬢。情けない姿を晒すことは許されない。
涙をこらえるためにも、キッとレイモンをにらみつけた。
「わたくしには触れないで。もし指一本でも触れたなら、あなたが可愛がっている黒猫が報いを受けることになるわ!」
黒猫と聞いたレイモンが、眉をひそめてわたくしをにらみ返した。
わたくしはまだ会っていないけれど、ロヴァッティ邸には黒猫がいるという。そしてその黒猫をレイモンは、たいそう可愛がっているのだとか。
もちろん、いたいけな猫を害する気持ちなんて微塵もない。むしろ猫は大好き。
でも、わが身を守るためだもの。なんだって言ってやるわ!
「……さすがデュパール公爵家の面汚し。聞きしに勝る悪女だな。男と金にだらしがないだけではなかったか」
レイモンの冷ややかな眼差しと声。
それでいい。わたくしのことなんて嫌ってほしい。
初めてするまともな会話がこれだなんて、うんざりするでしょう?
初夜は諦めてくれた?
可愛げのない悪女なんかと褥をともにしたくないわよね?
――だけど。
一抹の不安が胸をよぎる。
わたくしたちの結婚は王命。彼がこの結婚をどう思っているのかは、わからない。
わたくしを押し付けられて迷惑がっているのか。
デュパール公爵家と縁ができたと喜んでいるのか。
もし喜んでいるのなら、より縁を強固にするため子をほしがるかもしれない。
女性嫌いとの噂は嘘で、色好みの可能性だってある。
……ああ、嫌だ。考えるだけで、吐いてしまいそう。
わたくしは愛する人以外に体に触れられたくない。
ダメ押しの一手がほしいわね。
そうだわ。
いつだったか、レイモンに対してのひどい侮言を耳にしたことがある。
アレを言われたら、彼がどれほど心が広かろうと怒るはず。
切り札を使う覚悟を決め、こくりと唾を飲み込んだ。
「――わたくしは悪女だけれど、あなたはもっと最低でしょ?」
感情のない目をわたくしに向けているレイモン。
さあ、よく聞いて。最高で最低の言葉を投げつけるから。
緊張で震える胸にさりげなく両手を押し当て、言葉の刃を放つ。
「獣だって子を育てるのよ。子を捨てたあなたの親は犬畜生に劣るし、そんな親から生まれたあなたも同様ね!」
ガラス玉のようだったレイモンの青い目が、瞬時に強烈な怒りを宿した。
成功だわ! 怒らせることができた!
――そう喜んだ瞬間、激しい衝撃を受けた。
目の前が真っ白になり、よろめく。
わたくしの中に大量のなにかが、怒濤のように流れ込んでくる。
まさか、怒りに我を忘れたレイモンの攻撃?
わたくし、殺される……?
……いえ、でも。攻撃とは違うような気がする。
幻覚が見える。寝室にいるはずなのに、違う場所やここにいないはずの人たちが、現れては消える。
映像のような。
記憶のような。
目の前を幻影がめまぐるしく駆け巡り、頭の中にも理解しきれない膨大な情報が渦を巻いている。
段々と気持ちが悪くなってきた……
頭が割れるような激痛と、猛烈な吐き気もする。
怖い。
苦しい。
わたくしは、どうなっって――
◇
「――嬢! ミレイユ嬢!」
突然、すべてが消えた。駆け巡る幻影も、怒濤の情報も。
頭痛も、吐き気も。
「しっかりしろ! ミレイユ嬢!」
みれいゆ。
それは、わたくしの名前、よね……?
ゆっくりとまばたく。
消えた幻影の代わりに、服が見えた。上質なナイトガウンらしきもの。
わたくしは床に座り込んている、らしい。
投げ出された手が見える。
わたくしのもの、のはずだけど、そうではないような気もする――
「正気に戻ったか?」
頭上から降ってくる声。わたくしの両肩には男性の手が添えられている。
誰? と思いながらゆっくりと見上げると、美しく整った顔があった。後頭部でひとつに結んだ月光のような銀髪、真夏の青空のような瞳を浮かべた理知的な目。右耳から下がる揺れる耳飾り。
この顔は――
「ラスボス、レイモン・ロヴァッティ……?」
そうだ、この顔は『恋ラバ』のラスボス――
「いかにも私はレイモン・ロヴァッティだが」ラスボスが眉を寄せる。「大丈夫か、ミレイユ嬢」
「みれいゆ」
『みれいゆ』はレイモンの悪妻ね。男性関係が派手で浪費家の、どうしようもない女。
不治の病にかかったあげくにレイモンに『どうせ死ぬなら役に立て』と言われて、邪竜復活の生贄として殺されるみじめな女。
――え? ちょっと待って。
「『みれいゆ』って、わたくしの名前……?」
すがるようにラスボスを見ると、彼は美しい顔をいっそうしかめた。
「そうだが」
徐々に、先ほど消えたはずの幻影が脳裏によみがえる。わたしの好きだったゲーム『恋ラバ』。
そしてわたくしは公爵令嬢ミレイユ・デュパール……
数多の中で様々な断片が繋がり、ひとつになる。
「わたし……!」
半年後に死ぬミレイユに転生したんだ……!
どうあがいても、死亡フラグを折ることのできないミレイユに。




