#24 居場所なき刃、あるいは縫合痕異常及び武装集団処理(上)
どこからか小鳥のさえずる声が聴こえる。
白い部屋で、少女はいつぞやと同じように安楽椅子に腰掛けていた。
「なんだ。笑いに来たのか。俺を」
いや、訪れたというか招かれたのは自分なのだが。
リルのすねたような言葉に、少女は微笑みを崩さなかった。
「笑ってほしいのね。なら笑うわ」
「……おい、言っていることがあの道化と同じだぞ」
「…………。あっ。今の間違えた? ごめんなさい。えっとね。マルのことで困ってるみたいだから力になりたくて」
「頼んだ覚えはないが……」
「もうどうすればいいかわからない、みたいな顔をしてるもの」
「微笑ましいものを見る目になるな。俺は本気でそう思っているんだ」
嘆息する。
だが、困り果てているのは確かだった。
「人間関係で迷ったら、友達に相談するのって、初歩の初歩じゃない?」
「……それは、そうかもしれん」
「でしょう?」
どこか得意げにしている目の前の少女は、どうもマルと古い付き合いらしい。
見た目通りの年齢ではないはずだ。マルや、マルのような存在との付き合い方に、自分よりも深い知見を持っているに違いない。その言葉に耳を傾ける価値はありそうだ。
「まあ、わたし、友達いないけど」
「おい」
──その期待から半歩足を踏み外さされて、この場でよろめきそうになった。
「だって、わたし、ずっとここに引きこもってて、友達なんて作れるはずもないもの」
「その体たらくで、友人がどうのと高説垂れようとしていたのか」
「知識としては知っているもの。あなたたちだって竜を見たことがないのに竜の絵を描くでしょう?」
「今、だいぶ不安になる例えを出したぞ」
こいつ、さてはマルやアルと同じぐらいふざけた存在ではないのか。
マルと違い、自分がふざけているという自覚はあまりなさそうではある。
しかし、友人がいないとは。
武門の次男である俺にろくな友人がいないのと同じようなものなのだろうか。俺とこいつは似ているのか? いや、同じ扱いするのはいろいろな意味でどうなのだ。
「なにか失礼なことを考えてたりしないかしら?」
「いや……」
この少女の台詞を神殿に聞かれていたら、自分は即刻火あぶりにされそうである。
「まあ、でも、わたしもあなたも友達零人からはもう脱却できたわよね」
交互に自分自身とリルを指さしてくる様子に、リルは思わず、「え?」と言ってしまった。
「あっ……」
「いや、その、なんだ」
なぜ、自分は女神らしき存在の機嫌を必死に伺っているのだろう。
様々な特殊な事情はさておき、少し話した程度で友人呼ばわりは軽率ではないか、と率直に思ったが、これ以上刺激したくなかった。
マル=シレスとはまた別の意味で、発言に気を遣わされる存在である。
「そもそも、友人がいないと言うが、おまえとマルとは友人ではないのか?」
少女が神秘的な笑みのまま、硬直する気配があった。気を遣ったそばからまた失敗した。
「すまん」
「いいの、わかったでしょう?」
少女は少し物憂げに、目を伏せる。
「たったひとりをそばに座らせることもできないわたしに、世界から争いや苦しみを取り除くことなんてできないって」
「ずいぶん大きな話になったな」
しかもこの少女の場合、それがあまり洒落になっていない。
ふざけるなと言いたいところだったが、上に立つものとしての苦悩を知ってしまった今、何も言うことができない。
「ともかく、おまえもマルの扱いには苦労してるんだな」
「そうなの」
少女は頷いた。
「だから、感謝してるのよ。マルと仲良くしてくれて。わたしだと、ちょっと距離を置かれちゃうから」
「おまえと適切な距離で会話できる者はそうはいないだろうが、それはさておき、仲良くした覚えはないぞ」
こういう細かいところをいちいち訂正するのがよくないのか? と、リルは気づいたが、今更どうこうできるものではない。
「でも、マルの冗談にあなたは本気で怒るし、あなたの言ったことにマルは傷ついていたりするんでしょう?」
「まあ」
「それって仲がいいって言うんじゃないかしら」
「……」
今度はリルが頭を抱える番だった。うまく反論が思いつかない。
「マルはあなたの隣にいることを、今も選んでいるのよ。わたしの隣ではなくね」
「やめろ。俺とマルはそういうのではない」
「そうなの?」
「俺は、あいつのことなんて何もわかってない」
別に、友人扱いされるのが恥ずかしいとか、そういうのではない。
それに、危険な外法使いに対して友人の距離感で接するのが、そもそもどうなのか、という問題がある。
「わからないままでもいいんじゃない」
「そういうものなのか……」
何一つ解決につながる言葉が訊けていない。
しかし、なぜか気が楽になった。
マルのことを軽く扱おうとするつもりはないが重く背負いすぎるのもまたよくない。
友人同士であれば、このような感じの話をするものだろうか。神らしき存在の部屋に招かれて得たものが、これでいいのか、とは思う。
助かった。
助かったのはいいが、なんか、癪だ。女神がどうとかじゃなくて、こいつに調子に乗らせてはいけない気がする。
ユーレンスなどには絶対知られないほうがよさそうだ。
「じゃあ、俺は戻る」
少女に背を向ける。
いくらでも他に訊きたいことはある。あるが、あまり長居しないほうがいいと直感が告げている。少女のほうは、自分に長居してほしいと思っているようだが。
俺はこいつに助けられすぎるべきではない。今の会話ぐらいが、きっとちょうどいい。
「ところでおまえ、引きこもっていると言うが、ずっとこの部屋にいるのか?」
ふと、しつらえてある窓や扉の外を見やった。ただ白いばかりで、外の様子はよく見えない。
「あ。外に出てはダメよ。死ぬから」
「そんな恐ろしいところに気軽に呼ばれていたのか、俺は」
*
白縫い砦に盗賊が入った、という報せが届いたのは、朝餉の後だった。
「盗賊は二十……いや、三十はおりました。正確には、わかりません。夜に火が増えて、見張りが立って、それから、うちの若いのが二人、戻りません。連れて行かれたんだと思います」
陳情に現れた痩せた村の男は、そう言った。
長卓の上には地図が広げられ、炭筆で書かれた線と、豆粒ほどの石で示された兵の配置が並んでいる。
リルはその地図へ目を落とし、ユーレンスが小さく唸る。
「白縫い砦……」
旧巡礼宿から半日ほど北東へ行った山裾にある、古い砦だった。
今は街道から外れている。軍事上の価値は薄く、近隣の村人も寄りつかない。
「神殿の記録にあります。初代王時代の裂け目災害跡です。正確には、砦そのものよりも遺構が問題になる場所です」
「白手様の縫い跡です。あそこには、入ってはいけません」
村の男が、怯えたように肩を震わせた。
「禁足地か」
リルは、あの白い少女と話してすぐあとに、それと縁のある場所か、と思った。偶然にすぎないだろうが。
「はい。夜に白い糸が光る。壁の縫い目に触ると帰ってこれなくなる。昔の自分の声が聴こえる。昔から、そう言われている場所です」
なるほど、と頷く。伝承や迷信、封鎖を軽んじる盗賊にとってはうってつけの隠れ場所ということか。
「あの、ワヌレイ、祟りとか受けたくないんですけど」
「近隣の村が襲われて二人捕まってるんだ。ほっとくわけにはいかねえ」
また怪談かと、露骨に顔を青くするワヌレイをトルカがたしなめていた。
「盗賊は、いつから砦にいる」
「三日前です。最初は十人ほどに見えました。けれど、昨日の夜には火が増えて……それから、王家の徴発印を見たという者もおります」
「それは、盗賊でなく王家兵ではないのか」
リルは怪訝そうな視線を向けた。
「いえ……その、兵というには、身だしなみが崩れております。旗や王家印も掲げておりません。ですが、昔の徴発隊の外套を着ている者がいたと」
「何かで統率を失った徴発隊崩れが、盗賊となって砦に入ったのかもしれませんね」
フェリペが帳面に何かを書きつけながら、苦々しく言った。
「王家兵でなくなったら善人になるわけじゃありませんからね。肩書きが剥がれただけで、手癖は残ります」
「しかし、白縫い砦となると、いささか面倒でございますね」
「あなたも、あの場所を知っているのですか」
「ええ、ユーレンス殿。ただの縫い跡に、そう名前をつけている場所だと存じております」
「……白手の女神の御業です」
「ええ。ですので、きっと上品な傷なのでしょう」
「マル」
叱声を飛ばしながらも、今更ながらに理解する。
マルがたまに女神に対し辛辣な理由は、信仰への冷笑や不敬と言うよりは、本当に知人への嫌味でしかないのかもしれない。
おそらく普通に、マルはオル=ヴェガのことが苦手なのだろう。
ちょっと笑い出しそうになってしまったが、こらえた。
「失礼いたしました。白手様の御慈悲を、道化の舌で雑に転がしてしまいまして」
「……」
ユーレンスも何か言いたげであったが、結局飲み込んだ。
今は神学論争をしている時ではない。他にも説明すべきことがあった。
「さらに一点、憂慮すべき事態があります」
「何だ?」
「……外法具です。砦の地下には、それが封じられています」
*
白縫い砦を見下ろす丘は、灰色の石と低い灌木に覆われていた。
初代王ディオスの時代の見張り台か、祈祷所でもあったのかもしれない。頂には崩れた石柱が残り、その根元に白い苔のようなものが薄く張っている。
リルたちは身を低くして、丘を登った。
先頭はトルカ。
続いてリル、ワヌレイ、ユーレンス。
マルは最後尾──というには、列という概念から少しずれていた。気づくと横にいたり、崩れた石柱の上に座っていたりする。いつもの道化衣装に、白い手袋が新調されていた。
「マル。勝手に出たり消えたりするな」
「皆様の認識のほうが、私めを見失う程度に怠慢なのでございます」
「勝手に消えるな」
「はい」
返事だけはよかった。
丘の頂に近づくと、砦が見えた。
白縫い砦は、山裾に半ば埋もれるように建っていた。
石壁は崩れ、正門の片側は落ちている。だが、ただの廃墟ではない。古い外壁の一部には、白い筋が走っていた。石灰や漆喰とは違う。傷跡のように、あるいは糸のように、灰色の石の間にある。ユーレンスによれば、それが女神の恩寵の痕跡──慈糸痕なのだという。
裂け目災害。この世界はもともと不完全で、あちこちに破れ目が生じていたのだという。それを繕ったのが白手の女神であるらしい。
「正門に見張りが四人。西の崩れた外壁に二人。見張りは雑だな。だが、逃げ道の確保はあります。ただの盗賊にしちゃ行儀がいい。元徴発隊ってのは本当かもしれません」
「捕虜は見えるか」
「いえ、今のところは。中に閉じ込められているかもしれません」
ふいに、トルカの手が、音もなく剣の柄に触れた。
「若。先客です」
リルが丘の先端、崩れた石柱に視線をくれる。
その向こうに、人影が立っていた。
「……?」
まず、人ほどの体長を持つ、鳥に見えた。
少なくとも、盗賊の一員には見えない。
(なんだ、あれは)
しかし、鳥でもない。
肩から首筋にかけて薄い羽毛があり、外套の下から折りたたまれた翼の名残のようなものが覗いている。
足元には靴がない。鳥脚めいた細い脚の先が、黒い蹄のように二つに割れている。身じろぎのたび、石の上でかすかな硬い音がした。」
腕には、弦を張った奇妙な楽器。軍装ではあるが、普通の兵のものではない。身体の輪郭は、女性的に見える。
人の形をした鳥が軍服を着て軍属の真似事をしている。そういう前衛的な芸術品のように見えた。
片足に重心を置き、首をわずかに傾け、肩を斜めに置いている歪んだ姿勢で経っているが、奇妙な安定を保っている。
正しい歩き方や立ち方を知らずに育った、そう思わせる佇まいだった。
「鳥……?」
ワヌレイが小さく言った。
「そこで何をしている」
「砦を見ている」
リルが声をかけても、人影は動かず、砦を見たまま答えた。
「……見ればわかる」
「なら聞くな」
ワヌレイは間抜けに口を半開きにして怯えている。
マルは愉快そうに目を細める。
「若、噂を聞いたことがあります」
トルカが表情をこわばらせていた。
「王家軍に、鳥の姿をした奇妙な術師がいると。そいつの名は──」
ようやく、人影がこちらを向く。
「王家軍楽約定術監督官、クヴェル=ラヴェル」
音の出所を探るような仕草で首を動かし、名乗った。
鳥の鳴き声には似ていない。
細い弦を張りつめさせ、余分な震えをすべて殺したような声。
抑揚は薄いが、平坦ではない。
音の高さも、間も、息の量も、正しい位置に置かれている。
だからこそ、人の声としてはどこか奇妙だった。
「王家の術監……!」
トルカの肩がわずかに沈む。斬りかかるためではなく、リルを引いて逃がすための姿勢だった。
ワヌレイは、リルの横で、腰を引けさせていた。
「これはこれは。王家の鳥籠から、高価な小鳥が逃げてまいりましたか」
マルだけが、場違いに笑っていた。
「逃亡などしていない。任務中だ」
「約定術監督官──王家の術監が、なぜ一人でここにいる」
「王家徴発印の目撃情報を受けた」
クヴェルと名乗った怪人物が再び砦を見やった。
「元徴発隊と見られる武装集団が初代王時代の縫合痕と、未回収の危険物が残置されている建造物を占拠している。その制圧に来た」
リルは瞬きをする。
「では、俺達と同じ目的ではないか」
妙な話ではない。王家は少なくとも建前上は、民を苦しめることが目的ではない。人里を荒らしている徴発隊崩れを、放置する理由はないだろう。
そして、砦を偵察したいのなら、この丘に来るのも自然だ。
「クヴェル。おまえ、たった一人であの盗賊団全員と戦うつもりか」
「戦いはしない。消す」
「……砦ごと潰せるとでも?」
リルは訝しげな表情になった。消す、とは施設に対して向ける言葉ではないが、あながち、冗談とも思えない。
クヴェルは丘の端に転がる、崩れた見張り台の欠片へ首を傾けた。
「あれと、砦の壁材は同じ石だ」
クヴェルの指が、腕に抱えた細い弦へ触れた。
次の瞬間、石片が崩れた。
割れたのではない。砕けたのでもない。
形を保っていた理由だけが抜かれたように、白い粉になって沈んだ。
弦も石も、何の音も伴わなかった。
「……今、何をした」
「鳴らした」
それ以上、説明する義理はない、とでも言いたげにクヴェルは口を閉じる。見かけの印象と異なり、騒がしく喋ることを好まないらしい。
「……今のは、爆発術の一種です」
ユーレンスが、記録札を見て言った。
「爆発術……? あれがか」
「ええ。それもひどく正確な。テオ殿でなくとも、その恐ろしさはわかります」
リルも爆発術のことは知っている。坑道で石を破砕したり、大規模な戦闘においては城壁を崩すために使われる。今のように静かなものは聞いたことがない。
「正門、沢筋、旧井戸、北壁の亀裂。四点にこれをやれば終わる」
クヴェルは、楽器の弦に指を添えた。
鳴らしておらず、触れただけだったが、兵たち全員が息を呑んだ。
「え、えっと、若様」
ワヌレイの声は、情けないほど小さかった。目の前で奇怪な人物が恐ろしい術の実演をしたのだから、当然である。
「た、戦いたくないんですけど。この人と……」
王家側の人間、すなわち敵だ。
戦えと言われれば、泣きながらワヌレイは剣を抜くだろう。
だが、戦いたいかどうかで言えば、絶対に嫌だった。
「ああ。戦わなくていい」
リルは、クヴェルから目を離さずに言った。
「へっ?」
「むしろ戦うな」
「た、戦わなくていいんですか」
「少なくとも、今はな」
ワヌレイは拍子抜けしたように、瞬きをした。
「ここでの戦闘は任務にない」
クヴェルも淡々と言った。
「任務にない……」
ワヌレイは、なぜか少しだけ傷ついた顔をした。
「リル=グレスだけなら、選択肢に入ったが」
クヴェルの視線が、ほんの一度だけリルの背後へ動いた。
犬耳の道化が、にこやかに片手を振る。
「任務外の戦闘としては、少々重い」
冷たい計算の上見逃されているという事実に、ワヌレイは心胆を寒からしめられた。
リルは、砦を見下ろした。
中庭の荷車。煙。見張り。閉じられた扉。
「あれをすべて崩すつもりか。中に捕らえられた者がいるかもしれない」
「捕虜の救助は任務外だ。接近すれば不確定要素が増す。破壊が最も確実だ」
「人がいるかもしれない砦を、確認もせずに潰すのが確実だと。それが正しいとでも思っているのか」
「今答えているのは、正しさではない。手段の確度だ」
身体に、しみるような緊張が走る。
この者に悪意はないのはわかる。人を殺したいわけでも、聖痕を冒涜したいわけでもない。
必要なら行い、必要でないなら行わない。そこに躊躇はないのだろう。
「待ってください」
ユーレンスが前に出た。
「あの砦の下層には、慈糸痕があります。迂闊に破壊すれば、縫合面が裂け、何が起こるか──」
「聖痕か」
クヴェルの首が、わずかに傾いた。
「崩落、地下水脈の変位、外法痕の拡大。危険はある。だが、盗賊団が内部の危険物へ到達しているなら、放置する危険のほうが高い」
「聖痕であることを理解していて、なお破壊すると?」
「必要なら破壊するだけだ。神殿と軍務の優先度は異なる」
ユーレンスの顔に怒りが滲んだが、具体的な行動に移ることはなかった。
リルはクヴェルを見据えた。
「おまえの案は却下だ、クヴェル」
「私は貴様の指揮下にはない」
「なら、代案を出す」
「聞こう」
返答は即座なものだった。
「まず、俺たちが正面から入る。盗賊を引きつけ、捕虜の有無を確認する。聖痕に触れようとするものがいるなら、それも止めさせる」
「それで、私には何をさせる?」
「砦は崩さず、逃走路だけを塞げ。おまえが危険を負う必要はない。むしろ、砦を破壊することによって生じうる危機を回避できる。悪くない話だろう」
「若、それじゃ俺達が王家軍の手先として働くってことですか」
トルカが不平そうに言うのを、リルは黙殺する。
クヴェルはしばらく黙考した。
彼女は砦を見て、沢筋を見て、崩れた外壁を見て、リルたちを見た。最後にマルを見て、わずかに目を細める。
やがて、小さく頷いた。
「制圧案としては成立する。背後から斬らないのであれば、乗ろう」
「……こちらの台詞だ」
「繰り返しになるが、そのような任務ではない」
成立。クヴェルの承諾に、リルは息を吐いた。
強引な作戦に躊躇はない。だが合理的で損害が少ない案なら聞く、というリルの推量は当たっていた。
「いやはや、たいへんよろしゅうございます。倫理と合理が握手いたしました。手の骨が何本か折れておりますが」
マルが楽しそうに手を叩き、リルとトルカに同時に「黙れ」と言われた。
「私は貴様らの指揮下には入らない。共同作戦とする。敵同士であることは変わらない」
「それでいい。わかっている」
リルは、王家軍の鳥めいた軍楽術監とともに、白縫い砦を見下ろした。
同じ丘に立ち、同じ砦を見ている。
それでも、同じ側にはいない。
「決まりだな」
*
「……あの」
砦を目指して丘を下りる道すがら、ワヌレイが恐る恐る手を挙げた。
誰も授業をしているつもりはなかったが、ワヌレイの顔は完全に嫌な疑問が芽生えた生徒のそれだった。
「爆発術って、怖すぎじゃないですか? いえ、今さらなんですけど。ワヌレイたちがいきなり直接ボンってされたら、おしまいじゃないですか……マルさんでも防げないんじゃ……」
「人体を直接破裂させる術式は、戦場誓則でも強く禁じられています。少なくとも、正規軍が通常任務で用いるものではありません」
「今はもうそれ、あんまり安心できる情報じゃないですね。できるかどうかを知りたいんですけど」
ユーレンスの指摘にも、ワヌレイの表情が明るくならない。毒で非戦闘員を傷つける作戦を先日食らったばかりなのだ。
「可能か不可能かで言えば、可能だ」
「ほら!!」
「だが難しい。動いている生物は鳴りが乱れる。呼吸、脈、熱、筋肉、恐怖。変化が多すぎる。石や梁はよい。逃げない。一人の人体を爆ぜさせる音を探す間に、百の壁を壊せる」
「えっ、素直に手の内を教えてくれる……」
「どうせわかることだ。なら私が明かしたほうが、貴様らの無駄な危惧を払拭するのには早い」
ワヌレイはぽかん、としたまま目を瞬かせた。倫理ではなく合理性で人体直接爆破の可能性を否定されたことは少し怖くはあった。
「……王家の人、それも術師って、話が通じない人たちばっかりだと勝手に思ってました……」
偏見ではあるが、ミルグリファという強烈な実例があるため無理もない話である。
「無益な雑談に興じるつもりはない。が、こちらとて貴様らと対話する価値がない、と考えているわけではないとは、伝えておくべきだな」
「…………」
なら、どうして戦わなければならないのか。
その問いがワヌレイの口から出ることはなかった。
*
「武器を捨てろ!」
砦の正門前に躍り出たリルが声を張る。宣戦布告である。背後にはワヌレイやトルカ、そして合流した十分な数の兵が控えている。
「白縫い砦を占拠した盗賊団に告げる! これ以上の略奪をやめ、捕らえた者がいるなら解放しろ! 降伏するなら命は取らない! だが抵抗するなら命の保証はない!」
門の上から怒声が落ちてくる。敵だ。リル=グレスだ!
中庭から盗賊たちが飛び出してくる。
数だけは大したものだ。
だが、リルたちを見てすぐに隊列を組む者はいなかった。元徴発隊とはいえ、統率や連携はろくに取れていない。
マルがまとめて撹乱し、トルカやワヌレイをはじめとした兵が、リルの指揮のもと制圧する。縛られていた捕虜も発見し、順調に救出する。
王家正規軍にすら通用する必勝の型だ。いまさら盗賊団相手に苦戦する要素はなかった。
砦の奥から怒鳴り声が響いて、その男が現れるまでは。
「何の騒ぎだ!」
総崩れになりかけていた盗賊たちが、一斉にそちらを見る。
「ロッズさん! こいつら、強いですよ……!」
顔に古い傷が走った男だった。王家徴発隊の外套を片袖だけ通し、背には不釣り合いなほど立派な剣を吊っている。
ロッズ、と呼ばれた男は中庭を見回し、倒れた部下たちを見て、歯を剥いた。
「リル=グレス……」
「貴様が首領か!」
「ヘルブラム隊長をやった、反乱坊ちゃんが」
ロッズと呼ばれた男の声には、憎しみがこもっていた。
「奴の手下だったのか」
ヘルブラム。ティンドレット北門で討った王家徴発隊の隊長。リルは理解する。彼が消えたために、徴発部隊は盗賊に堕ちた、ということか。
「武器を捨てろ。捕虜は解放した。これ以上続ける理由はない」
「理由ならある」
ロッズは背の大剣を抜いた。
片刃とも両刃ともつかない、妙な形の刃だった。
刀身の輪郭が揺らめいている。空気に触れるたび、それを削り取っているかのように。
それを目にしたマルの表情が消えた。
「いいだろう。砦の地下に刺さってた。抜くなだの触るなだの、ご丁寧に書いてやがったよ」
「貴様、神殿の封印を破ったのか!」
「はっ、禁足地だか封印だか知らねえが、言うことを守る必要なんてあるかよ」
怒りを顕にするユーレンスを、ロッズはせせら笑い、刃を構えた。
構えとしては粗いが、得物は油断ならないとリルにもわかる。
踏み込もうとするのに応じて、ロッズが剣を振るう。
空振ったかのように見えたが──
「なっ!?」
リルの位置が、ずれた。
正確には、踏み込もうとした場所が、横に動かされていた。
そこで生まれた隙に、ロッズは横に跳んで距離を取る。
「逃がしませんよ」
ちりん、とマルの鈴が鳴る。
「あなたはそこにおります。そこにいたい。そこにいるべき。いやはや、なんと勤勉な足でございましょう」
不吉な気配に、ロッズは歯茎を剥いて、でたらめに切界剣を振った。
足元付近に刃が触れた瞬間、見えざるマルの外法が黒い輪となって浮き上がり、薄い布のように千切れた。マルの白手袋の指先も、ぴっと裂ける。
「間違いありません、リル=グレス卿! あれこそが切界剣です! 私も、実物を見たのは初めてですが……」
その様子を目にしたユーレンスが叫んだ。
「……あれがか」
──また、外法具が砦の地下に封じられています。万が一にも盗賊たちがそれを発見し、権能も把握せず悪用していた場合、 周辺一帯の崩壊の危機があります。
事前の会議で、ユーレンスはそう言っていた。
「境界を開く刃にございます、リル様。ほんの玩具にすぎませんが、厄介な玩具でございます。まったく、お上品な使い方を」
マルの表情からは笑みが消えていた。
リルは体勢を立て直し、剣を握り直す。表情は強張っている。距離が斬られ、外法が斬られた。
境界鋲。
外法に干渉し、封じるあの外法具のことを思い出す。あれよりも危険かもしれない。毒の約定を切除していたアル=デリアの鋏、そちらに近いか。
「道が塞がってんなら、斬って開ける。それだけだ!」
ロッズが叫ぶ。
「私めでもあれにむやみに触れとうございません。ここは少々、リル様に踊っていただくことにしましょう」
「ふん、気に食わんがそうするしかなさそうだ」
刃の軌跡となった地面や空間に、薄っすらと黒い、不吉な歪みのようなものが見えた。マルの外法とむやみにぶつからせるわけにはいかなさそうだった。
「ロッズ! なぜ人から奪う!」
「王家も神殿も俺達に報いてくれなかったッ! これは自助努力ってやつなんだよ!」
「自助努力だと」
「王家はもう俺たちを食わせちゃくれねえ。神殿は祈れとしか言わねえ。村は俺たちを盗賊だって目で見る。だったら、俺たちでどうにかするしかねえだろうがッ!」
「どうにかする、が、弱い者から奪うことか!」
「強い奴から奪れねえから弱い奴から奪るんだろうが! そんなことも知らねえで王になるってか!」
ロッズの周囲で、まだ立っている盗賊たちがじりじりと距離を取った。
恐れている。リルたちではなく、ロッズの持つ魔剣を。
こちらの優勢を活かし、何かされるまえに数で押して制圧すべきか。いや、あの外法具がどれほどの脅威かわからない。詰めきれない。
中庭の石畳には、足元の地下から染み出すように白い筋が走っていて、それが切界剣に呼応するように、耳鳴りのような音を上げていた。
「これ以上、あの刃をみだりに振らせてはなりません!」
ユーレンスがそれに気づき、険しい声を出す。
「ロッズ、その剣は、おまえに扱えるものではない。今すぐ捨てろ!」
「捨てろ? 俺たちに残ったもんを、また取り上げる気か。なら誰も来ねえ砦に放ったらかしにしてんじゃねえ」
「危険だから封じてあったんだ」
「危険?」
ロッズが剣を軽く動かすと、その先にいた盗賊の一人が、驚きの声を上げて尻餅をつく。男が背負っていた袋の紐が、音もなく開いて麦が石畳にこぼれていた。
「便利って言うんだよ、こういうのは」
刀身の輪郭が、空気の中で薄く開いているように見えた。
魔剣が、斬る対象を探しているかのようだった。
「今からでもやりなおせ」
リルは厳然たる表情で告げる。
「すべての罪責をおまえらには負わせん。おまえらを利用した王家の悪行は俺が追及する。居場所を作る。これ以上奪うな。俺のもとで罪を償え!」
ロッズの表情に、乾いた亀裂が刻まれ、そこに怒りと言う名の水が吸い込まれて彩る。
「馬鹿も休み休み言いやがれ」
声は、低く震えていた。
「ヘルブラム隊長を討ったてめえの下につけるかッ!」
ロッズが踏み込み、大剣同士がぶつかる。
金属音はしなかった。
切界剣の刃が、リルの剣とぶつかる直前に、ほんの少しだけ横へずれる。
剣と剣の間にあるべき距離が、切られた。
「っ」
リルの剣先が空を掻く。
ロッズの肩がぶつかり、リルは半歩下がり、踏みとどまる。
剣そのものの扱いは稚拙だ。
だが、切界剣が戦いを歪ませる。間合いも、角度も、踏み込みも、ロッズの都合のいい形に切り開かれてしまう。
「若!」
トルカが背後から斬り込んだ。
ロッズは振り向きもせず、剣を払うように振るう。
トルカの足元にあった石畳の継ぎ目が、ぱっくりと開き、トルカの体勢が崩れ、足止めされる。迂闊に加勢にも入れない。
「女神だ、聖痕だ、封印だ、禁足地だ! 黙らせるには便利な札だな!」
ロッズは吼える。
「王家も、神殿も、村の連中も、俺たちを汚いものみてえに見やがった! ヘルブラム隊長だけだ。俺たちに外套を着せて、飯を食わせて、名前を帳面に載せたのは!」
ヘルブラムは、善人ではないとリルは無論知っている。
徴発隊長として王家印を盾に、弱者から奪い、兵の名で盗賊をやっていた男だ。
だが、ロッズにとってはそれで済ませられないのだろう。
「王家印がありゃ、村の連中は黙った。神殿の連中も目を逸らした。俺たちは兵だったんだよ。盗賊じゃなかった。てめえが隊長をやるまではな!」
悲鳴のような叫びとともに振り下ろされた刃を、リルはかわした──その先に、刃の通り道が開く。肩口に焼けるような痛みが走った。リルの上着が裂け、血がにじむ。
「くっ……」
「へっ、相手してられるか!」
ロッズは後ろへ跳び、地下へ続く石段へと走り、逃げようとする。
だがその瞬間、地下へ続く入口の奥で、白い火が瞬いた。
遅れて、どん、と腹の底を叩くような音がして、石段の入口が煙に呑まれる。崩れた石片が降り、灰色の粉塵が渦を巻いた。ロッズの行く手に、瓦礫と煙の壁が生まれる。
丘を見上げると、弦に指をかけているクヴェルの小さな影が見えた。
砦を崩さない程度の、しかし人ひとりの進路を塞ぐには十分な、恐ろしく正確な爆発だった。
「くそ」
ロッズは足を止め、歯噛みする。
煙の向こうで、石がぱらぱらと落ちていた。
白い粉塵の中に、慈糸痕の光が薄く滲むのが見える。
「止まれ、ロッズ!」
「邪魔なんだよッ!」
リルが迫る中、ロッズは、煙と瓦礫の壁へ向けて切界剣を振った。
外法の刃が、煙と瓦礫が両断する。熱と、衝撃と、石を崩した順序そのもの──来歴が、刃に沿って開かれた。
爆発もろとも傷つけられた縫い痕の白い糸が、ほつれ、ほどける。一本、二本。
そして、石が割れる──否、傷が思い出す。かつて開いていたことを。
ユーレンスの、ほとんど悲鳴のような叫び。
そして同時に、遠くで弦が不快な音を立てるのが聞こえた気がした。
丘の上にいるはずのクヴェルの弦が、爆発の来歴ごと引き裂かれる音だった。
空間が、距離が、裂ける。
爆発が砦に残した道筋までもが、口を開ける裂け目の内側へ引きずり込まれていく。
白い輝きが視界を埋める。
音が消える。
リルは、自分の足元から中庭の声が遠ざかる──というより、急に遠くのものとして置かれるのを感じた。
響くワヌレイの悲鳴やトルカの怒声が、上から、横から、背後から聞こえ、まだ起きていない未来のようにも聞こえた。
「リル様!」
最後に聞こえたのはマルの声だった。




