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バー人生の交差点  作者: こうた


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第11話「同じ孤独の温度」

夜は、人を少しだけ正直にする。


昼間なら飲み込めた感情が、静かな酒と薄暗い灯りの中では、妙に輪郭を持ってしまう。


マスターはそれを知っていた。


だから、この店では無理に会話を繋げない。


誰かが話し始めるまで、ただ音楽だけを流している。



---


その夜、最初に店へ入ってきたのは若い男だった。


細身の体。


低めの身長。


派手さはない。


けれど、どこか目を引く静かな空気を持っている。



---


男はカウンターの端へ座った。


「……おすすめ、ありますか」


声は控えめだった。



---


マスターは彼を一度見る。


「苦いの、大丈夫ですか」


男は少し考え、小さく頷いた。



---


グラスが置かれる。


琥珀色の酒。


氷が静かに鳴る。



---


男――タケルは、グラスを持ちながら小さく息を吐いた。


疲れていた。


大学を出て働き始めて一年。


周囲に馴染もうとして、空気を読んで、無理に笑って。


そういう毎日に、少しだけ擦り減っていた。



---


店内には古いジャズ。


静かな夜だった。



---


数分後。


扉が開く。



---


ほとんど同時に、二人の女が入ってきた。



---


タケルは思わず視線を上げる。



---


似ている。


いや、同じだった。



---


長い髪。


整った顔立ち。


高い身長。


すらりとした体。


まるで鏡のように似た二人。



---


けれど空気は違う。



---


一人は明るい。


店に入った瞬間から空気を動かすような笑顔。


もう一人は静かだった。


感情を表に出さない代わりに、視線だけが深い。



---


「こんばんは、マスター」


明るい方が笑う。



---


「久しぶりですね」


静かな方が続ける。



---


マスターは頷く。


「今日は二人なんですね」



---


二人は隣同士に座る。


そして、そのさらに隣にタケルがいる形になる。



---


明るい方――エリが横を見る。


「若い子いる」



---


タケルは少し困ったように笑う。


「こんばんは……」



---


エミも静かに会釈する。



---


「初めて見る顔」


エリが言う。



---


「最近来るようになりました」


マスターが代わりに答える。



---


エリは興味深そうにタケルを見る。


「へぇ。何歳?」



---


「二十二です」



---


エリが少し目を丸くする。


「若っ」



---


エミは小さく笑う。


「エリ、声大きい」



---


「だって本当に若い」



---


その会話だけで、店の空気が少し柔らかくなる。



---


タケルは二人を見る。


美人だった。


でも、それ以上に“完成されている大人”に見えた。



---


自分とは違う世界の人間。


そう思った。



---


エリが聞く。


「仕事帰り?」


「はい」


「疲れてる顔してる」



---


タケルは少し笑う。


「分かりますか」



---


「分かる。私もそういう時期あった」



---


その言い方は軽いのに、不思議と安心感があった。



---


エミが静かに言う。


「頑張りすぎるタイプですよね」



---


タケルは少し驚く。


「……そんな感じですか」



---


「なんとなく」



---


その“なんとなく”が、妙に胸に残る。



---


時間がゆっくり流れる。



---


エリはよく喋る。


でも、無理に場を回す感じではない。


自然に人の緊張をほどくタイプだった。



---


エミは聞き役が多い。


ただ、時々入る一言が鋭い。



---


気づけばタケルは、普段よりずっと自然に話していた。



---


「彼女いるの?」


エリが突然聞く。



---


タケルは苦笑する。


「いないです」



---


「モテそうなのに」



---


「それ、からかってます?」



---


エリは笑う。


「半分本気」



---


エミが小さく言う。


「優しそうだから」



---


その言葉に、タケルは少し視線を落とす。



---


優しい。


昔からそう言われる。


でも実際は、断れないだけだと自分では思っていた。



---


エリがグラスを回しながら言う。


「優しい男の子って、放っとけなくなるのよね」



---


その言葉に、タケルの鼓動が少しだけ速くなる。



---


マスターは静かにグラスを磨いている。



---


二杯目。


空気が変わり始める。



---


エリがタケルの肩を見る。


「鍛えてる?」



---


「少しだけ」



---


「細いのに意外と筋肉ある」



---


エミも視線を向ける。


その視線が妙に静かで、タケルは少し落ち着かなくなる。



---


「触っていい?」


エリが笑いながら言う。



---


「えっ」



---


返事を待たず、エリが軽く腕に触れる。



---


「あ、本当だ」



---


その瞬間。


タケルの呼吸が少し乱れる。



---


エミはそれを見て、少しだけ微笑む。



---


「反応かわいい」



---


タケルは困ったように笑うしかない。



---


でも嫌ではなかった。


むしろ、ずっと忘れていた感覚に近い。


“誰かに興味を向けられる”感覚。



---


時間はさらに深くなる。



---


外では雨が降り始めていた。



---


エリが窓を見る。


「うわ、結構降ってる」



---


マスターが静かに言う。


「朝まで止まないかもしれませんね」



---


その一言で、空気が少しだけ変わる。



---


エリがタケルを見る。


「終電、大丈夫?」



---


タケルはスマホを見る。


もう厳しかった。



---


「……多分無理です」



---


エリは笑う。


「じゃあ、今日は長い夜になるね」



---


その言葉に、エミが静かにグラスを持つ。



---


沈黙。


でも、その沈黙は嫌じゃない。



---


エリがふと聞く。


「ねえ、タケルくん」


「はい」



---


「今、寂しい?」



---


その質問は不意打ちだった。



---


タケルはすぐに答えられない。



---


エミが静かに言う。


「図星っぽい」



---


タケルは少し笑う。


「……まあ、少し」



---


エリは優しく笑う。


「私たちも」



---


その瞬間。


三人の間に、妙な一体感が生まれる。



---


孤独の種類は違う。


でも、温度だけは似ていた。



---


三杯目。



---


会話は少なくなる。


代わりに視線が増える。



---


エリは距離が近い。


話す時、自然と肩が触れる。


笑う時、顔が近い。



---


エミは逆だった。


触れない。


でも、静かに見ている。



---


その対照が、タケルを余計に落ち着かなくさせる。



---


エリが小さく笑う。


「ねえ、緊張してる?」



---


「……してます」



---


「なんで?」



---


タケルは少し困った顔をする。


「二人とも綺麗だからです」



---


一瞬だけ、空気が止まる。



---


エリが吹き出す。


「素直」



---


エミは少しだけ目を細める。


「そういうところ、危ないですね」



---


タケルは意味が分からず首を傾げる。



---


エリは笑ったまま言う。


「年上ってね、たまに優しくされると弱いの」



---


その言葉が、妙に静かに胸へ落ちる。



---


夜は深くなる。



---


マスターが時計を見る。


「閉店時間ですね」



---


三人は同時に現実へ戻る。



---


外へ出る。


雨はまだ降っている。



---


エリが傘を開く。


大きな傘だった。



---


「入る?」



---


タケルは少し迷い、頷く。



---


三人で歩く。


狭い。


自然と距離が近くなる。



---


エリの肩。


エミの髪。


雨の匂い。


夜の温度。



---


タケルは、自分の呼吸が少しずつ乱れていくのを感じていた。



---


交差点で信号を待つ。



---


エミが静かに言う。


「今日のこと、後悔すると思う?」



---


タケルは少し考える。



---


そして正直に言う。


「……分からないです」



---


エリが笑う。


「正解」



---


信号が青になる。



---


三人は歩き出す。



---


その夜。


タケルは、大人になるということが、“正しさ”だけではできていないと知る。



---


そして翌朝。


目が覚めた時には、二人ともいなかった。



---


テーブルには短いメモだけ。



---


『優しいままでいてね』



---


名前は書かれていなかった。



---


マスターは翌日の夜、一人でグラスを磨きながら呟く。


「人は時々、寂しさで誰かを抱きしめる」



---


このバーでは、一夜だけ重なった孤独が、長く記憶に残ることがある。

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