優しい街と、帰れなくなる理由
コンコン
「あ、はーい」
控えめなノックの音と、それに答える柔らかい声で律は目覚めた。
どうやら考え事をしたまま、いつの間にかテーブルで寝ていたらしい。
窓の外は明るく、外から様々な生活音が聞こえる。
顔を上げると、バサリと毛布が落ちた。
「あ!おねえちゃん、おはよう。…ちょっと待ってね。」
カナデが律に毛布をかけ直して微笑み、パタパタと扉に向かっていった。
コンコン
「はーい。えっと…だれですか?」
カナデがドアを少し開け、外を覗きながら首を傾げた。
「ここの女将です。朝食いかが?」
「わぁ…おいしそう!」
嬉々としてカナデがドアを開け広げ、トレイを持った女将さんを部屋に招き入れた。
女将さんは…タヌキのような耳と尻尾が生えていて、ちょっとふっくらしていた。
寝ぼけていた律が、ハッと我に帰る。
「すみません。朝食は1階の食堂でと言われていたのに…」
「いいんですよ。お疲れだったのでしょう?小さい子がいると大変ですし。今日はゆっくり、こちらで召し上がってください。」
「ありがとう…ございます…」
パンとスープ、肉の腸詰と少しの野菜がのったトレイをテーブルに置き、女将さんは「ごゆっくり」と出ていった。
「おいしそう…」
カナデは今にもよだれを垂らしそうな顔で、食べ物に釘付けだ。
「そうだね、食べようか」
カナデの様子にクスクス笑いながら、律は椅子をひいてあげた。
「おいしい…!」
「こっちのも食べていいよ」
「えっいいの?ありがとう、おねえちゃん」
幸せそうに食べるカナデを見ながら、律は思案する。
(叔父さんが心配してるし、帰る方法を探さないと……)
——でも。
尊が『帰れなくなる』と言っていたのは、きっと『カナデに会うと帰りたくなくなる』からなのだろう。
(叔父さんはこの世界のことを知っていたんだね。)
(チュートリアルはきっとカナデに会ったのがスタートで…この世界について学んでる今がそうなのかな。)
(すごく心配されてるよね。早く帰らないと…でもどうやって帰ればいいんだろう…)
(とりあえず、お金が尽きる前に稼ぐ手段を考えないと…)
取り留めなく考えながら硬いパンをスープに浸して食べると、それを見たカナデが真似して食べていた。
口元に付いているソースを拭いてあげると、カナデは恥ずかしそうに笑った。
(このカナデは……奏じゃないのに)
——どうして、こんなに。
ひどく痛む胸を抑える。
「…おねえちゃん、大丈夫?」
「うん、大丈夫。」
心配そうに尋ねるカナデの頭を、無意識で撫でていた。
*****
朝食を終え、カナデと手を繋いで街に出る。
雲ひとつない空は抜けるように青い。
昨日はあまりじっくり見れなかったが、街並みはとても美しい。
建物はパステルカラーで統一感があり、柔らかい雰囲気に包まれている。
石畳は角が取れたように滑らかで、足音さえも優しく吸い込まれていく。
歩道には常に「ちょうどいい木漏れ日」が落ちていて心地良い。
遠くから聞こえる笑い声も、どこからか漂ってくるパンやバニラの甘い香りも、風に溶けていくように穏やかだった。
(……なんだろう、ここ)
胸の奥が、じんわりとほどけていく。
警戒していたはずなのに、気づけば肩の力が抜けていた。
だから律は、どれだけ歩いてもまったく疲れないことに気付いていなかった。
*****
宿の女将さんから聞いた店を周る。
服飾雑貨屋では、ボロボロのカナデの服を一新。
白地に刺繍の入ったチュニックと、黒いズボン、フード付きコートと革靴。そして肩掛けカバンを購入し、追加で買った着替えを鞄に仕舞った。
自分用にも肩掛けカバンや着替え、生活に必要な雑貨やタオルなどを買い足した。
「銀貨三枚と銅貨八枚だよ。」
「では…これで。」
体のいろいろな場所から硬貨を取り出す律に引き攣りながら、店の店主は硬貨を受け取った。
「…まいど。」
一旦宿に戻り荷物を置くと、宿の女将さんとご主人が顔を出す。ご主人の方は普通の人間っぽい。
「良いのが買えたかね?」
「はい。素敵な店を紹介してもらい、ありがとうございました。」
「うちの店のものも、あそこで買ってるんだ。安い割にいいだろう?」
ニッと笑うご主人が得意げだ。
「この後はどうするの?クッキー焼いたんだけど、一緒にお茶にしない?」
優しげな女将さんが誘ってくれる。
「ありがとうございます。でももう少し行きたいところがあって。」
「あら…そうなの。」
「おねえちゃんは、ぼくとギルド行くんだよ!…でも…」
カナデはクッキーの香りが漂うキッチンの方が気になるようだ。
「ふふっ。じゃあ少しだけ。クッキーご馳走になってもいいですか?」
「ええ!喜んで!」
女将さんが嬉しそうにキッチンへ小走りで向かう。
「ありがとな。うちにも娘と息子がいたんだが、2人とも家を出ていて。お前たちを重ねて見てるんだろう。少し付き合ってやってくれ。」
ご主人が苦笑しながら頭を掻いた。
優しい2人はどこか本当の両親のようで、目が離せなかった。
その日。随分長い間忘れていた“ぬくもり”が、律の胸を満たし始めていた。
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【Retention rate:29.8%】
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