最後の会話
律は父の蒼と母の初音、そして歳の離れた弟の奏の4人家族だった。
病気で亡くなった祖父母の跡を継ぎ、父が実家の定食屋をカフェに改装。
ピアノ講師の母の希望で店の一角にグランドピアノが置かれ、普段はディスプレイに、定休日にはピアノ教室となっていた。
芸大出身の父母は専攻こそ違っていたがとても仲が良く、母の演奏姿を父がデッサンする光景は日常茶飯事だった。
律は父の影響で絵を描くことが好きで、奏は甘えん坊なので母にべったりしているうちにピアノに触り出した。
奏は、母のピアノの音色みたいに——
やわらかくて、少し触れただけで壊れてしまいそうな子だった。
律が中学3年の時、所属していた弓道部で4月の大会に向けた春合宿があった。
パンパンに詰まったスポーツバッグを背負い、家族を振り返る。
「じゃあ、いってきます!」
「頑張っておいで」
お父さんが頭を撫でた。せっかくセットした前髪が台無しだ。
「ふふ。気をつけてね。」
のほほんとした母が笑う。
「……早く帰って来て。」
ジャージの袖を掴んだまま、奏は俯いて呟いた。
最近ちょっと生意気になってきたけれど、甘えん坊なのは変わらない。
律はしゃがんで奏を抱きしめた。
「うん。すぐ帰ってくるね!」
それが——
家族と交わした、最後の会話だった。
*****
爽やかな風が頬をなで、雲の間から暖かい日差しが差し込む。
白くて丸いシロツメクサに似た花に囲まれて律は横たわっていた。
空がとても遠い。
青くて尾の長い鳥が3羽、光を撒き散らしながら飛んでいく。
(……私、死んだのかな)
だとしたら——
みんなに、また会えるのだろうか。
律はゆっくりと体を起こした。
小高い丘の上、白い花畑に律はいた。
木々は白樺より白く、葉は青く透き通っていて美しい。
そこかしこにオーロラ色の蝶が飛んでいるのも、とても幻想的だった。
(……ゲームみたいな世界)
遠くには、パステルカラーの建物が並ぶ街が見えた。
(とりあえず、あそこにいってみよう。)
「あ!」
立ち上がる直前、腕時計が袖に引っかかりガチャリと落ちた。
ふと、尊の声がよみがえる。
『いいか、律!!チュートリアル前に死ぬんだ!!じゃないと帰れなくなる!!いいか!!絶対に戻ってこい!!!!』
「叔父さん…チュートリアルって…」
律はあたりを見回すが、美しい自然以外には何もない。
(ゲームなら、最初にNPCに会って操作を覚えるやつだよね)
きっと死ぬのはそんなに怖くない。現実ではないとわかっているから。
(誰に会っても話しかけなければチュートリアルにはならないよね、きっと。)
自分の想像もつかない圧倒的な技術で作られたであろう、この美しい世界を…
もう少しだけ、見てみたい。
——そう、思ってしまった。




