ヴァナヘイムの夜───ナニワの令嬢はカレー屋に来たようです。
夜にアリステアと食事が急遽きまったサーシャ。
爆速で準備をしたら、カレー屋さんにLet’s……Go!
ヴァナヘイムの夜は、マリーン・ヴェイル以上に騒がしい。
夜行性の獣の群れが底から湧き出てくる、魑魅魍魎の時間や。
インコ……ワシ……ジャガー、昼には見なかった獣人が夜には下層から上層に上がってくる。彼らにとって夜は下層に近い温度感なのか、夜の間だけ人口密度が上がったかのような錯覚を覚える。
“下層”、というのは比喩ではなく、物理的にこの国には高低差がある。というのも、ヴァナヘイムは深い渓谷の中に作られた国。地上は富裕層が独占し、渓谷の下層に行くほど治安が悪くなる。
私が仮住まいさせてもらってる別荘とか、中央郵便局とか、王宮とか、高級住宅街は、地上にあることを許されてるけど。それ以外の建物は、谷を下って行くことで訪れることが出来るようになっていた。
私たちの目的地であるカレー屋はその中腹にあった。
出入りの激しい大通りを、馬車で下っていく。
渓谷を下るにつれて、鼻につく香辛料の臭いも強くなっていった。
「サーシャ様、彼らの言葉……聞こえますか?」
馬車で隣に座るミヤハが外の喧騒を聞いて、私に訊いてくる。
馬車の中から外の音を聞いて、私は首を横に振った。
「いや、流石に私でも無理やな。この量は……」
聴こえる言語が獣人の言葉だということは分かる。ただ方言が無限にあり過ぎて、翻訳が追い付かん状況にあった。通り過ぎた酒場から聞こえてくる声だけでも、三十以上の方言が飛び交っとる。
「それにしてもここの景色は凄いですよね、サーシャ様。発展途上というか、街が生きているというか」
ミヤハは馬車から覗くヴァナヘイムの街並みを見て、そんな感想を漏らす。
「実際にスクラップ&ビルドを繰り返しとるんやろう。規律もなにもあったもんやない」
街の特徴でいえば、やはりその建物にある。マリーン・ヴェイルのような白と青を基調とした統一的な美しさは欠片としてない。
急増で拵えたような、ツギハギの拡張によって家が積みあがった……まるで子供がブロックで作ったような混沌とした街並みが広がる。
『店舗』と『宿屋』と『家』が三つ合体して、一つの建物になってるとか。私達では考えられない、密集住宅。狭い居住スペースを有効活用するために生まれた設計なんやろうけど……。
「こういう場所って、面白いと思いませんか。サーシャ様」
「確かに。活気があるというか、獣人たちの活力で溢れ取るわ」
「毎日騒がしくて楽しそうじゃないですか?」
「毎日いたら大変そうやない? やっぱたまに来るのが一番じゃない?こういうところはさ」
「サーシャ様は静かなところがお好きですか?」
「まあ……考え事してる最中に、トタンの上とか走る音が聞こえたら嫌や」
「それは私も嫌ですよ」
そんな会話をしながら街を降りていくと、十分ほどでそのお店にはついた。月明りの届かない渓谷の中腹でも、壁に所せましと取り付けられた暖色の灯りで、日中のように明るかった。
ミヤハが美味しいと予約を取ってくれた店も他の家と同じ構造のようで、一階にカレー屋さん、二階に宿屋、三階に店主の家がある作りになっとった。
「これマジ……?」
馬車から降りて、そのあまりの老舗感に私は若干顔を引き攣ってしまう。
(香ってくるカレーの香りは確かに食欲をそそるけど。商談場所にするにはどうなん?)
「本当に美味しいんですよ、ここ」
トラストーミー、とミヤハの目が言っている。休みの日とか食べ歩きばっかりしてるミヤハが言うなら間違いないんやろうけど。
「ここって個室とかちゃんとあるん?」
「大丈夫です。バッチリ確保していますよ」
確信をもって頷くミヤハ。絶対にこのカレー屋にするという意志が感じられる。まぁ……兄さんもこういう穴場みたいな場所好きな人やろうし、喜びそうではあるか。
「わかった。行こう」
そもそも予約してもらった手前、文句を言うのもどうかと思う私の足が、店の奥に歩みを進ませた。
◇
店内は予想通りスパイシーな香りで満ち満ちていた。数歩進めば、私の香水の香りなんぞ、すぐにカレーの臭いに滅ぼされてしまった。今では立派なカレーガールの仲間入りや。
「お店に来たって感じの匂いがするわ」
「あぁ、なんかわかります。空気感が変わるって言うんですかね」
匂いで店をデザインするというのは、氷の商売をしている者からしてみれば、目から鱗なやり方や。それに低い天井にはランタンとメニュー票、ラタンの机と椅子までもが調和して、この空間を完璧なカレー屋として成立させているように思えた。
きっとこれがマリーン・ヴェイルのような白と青の美しい内観ではダメな理由で、湿気のせいで端が少しカビていたり、カレーのせいで黄ばむ壁であったりする必要がある理由。
「味わい深い店や」
歴史の感じられる店内を切り盛りしているのは、店主のゾウ。彼女はうやうやしく頭を下げて、その長い鼻で店奥へと案内してくれた。
ガタイのいい人間の体にゾウの頭がくっついたような、ピンクのゾウ。なんだか縁起が良さそうな見た目をしている店主に導かれ、奥の部屋の扉が開けられる。
「や。来たか」
ターバンを巻いたアリステアが、ナンにカレーを乗っけて食べているところに遭遇する。兄さんが食べているカレーは緑色。ゴポゴポと泡立つそのカレーは、顔を近づければ刺激で目がやられそうな、そんな辛そうな見た目をしていた。
「兄さん、もう食べてるん?」
「ミヤハさんが教えて下さったこのカレー屋、とっても美味しいよ。お前も早く食べるといい。それともお前がこの場所を見つけたのかい?」
「いいや。私は食べ歩きとかはあんまりせえへんし。兄さんも知っとるやろ」
「だと思った。優秀なメイドがいて羨ましい限りだ」
兄さんは、自分の背後に控える使用人達を一瞥してそんな冗談を言う。使用人は一律して、人であることを忘れたように直立不動のまま動かない。
兄、アリステアの使用人になるということはそういうことを意味する。
揃えられた制服、髪型、所作。全てが不気味なほどに規則正しい。
彼らに与えられた表現の自由はなく、全員がアリステアの支配の下に律動する生きた人形や。
バイカル家には元々そういう機械的に物事をこなす気質があり、兄はそれを色濃く受け継ぐ家長でもあった。
「酷い冗談もあったもんやな」
私はラタン製の椅子に着席して、メニュー票に眼を通す。様々な種類のカレーが獣人語の他にエルフ語、ドワーフ語、竜人語と、複数の言語で表記されている。だから一つのメニューだけで、複数の言語が束になって並んでいた。
「色んな種族が来る店なんやな……」
だというのに、人間の言葉での表記はない。ここでも交流の浅さが垣間見える。人間の国だけ、他の種族とは徹底的に溝が深いように思われた。
「カレーライスにキーマカレー、ナンカレーにバターチキンカレー、マメのカレー。……兄さんが食べてるのはグリーンカレーか」
「グリーンカレー以外にしろよ。別のカレーが少し食べたい」
「自分で頼んで?」
「いや、一人前を食べれるほど、腹も減ってはいない。僕はバターチキンカレーがいいと思う」
などと勝手なことを言う兄。金持ちの癖に兄さんは贅沢を知らん。質素倹約が服を着とるような人や。
「使用人にご馳走するとか、機転を利かせたらええやん。後ろに立ってる全員分頼んだら、そこから少しずつ自分は食べれるし」
「ほーう……確かに面白い考えだな。だがしかし、全員分の燃料は既に十分だろうから……どうしたものか」
「なんや、みんな食べてきたん?」
「いや、知らない。どうなんだ、お前たち?」
アリステアに訊かれた使用人達は、ギギギ、と顔を動かして。
「まだ、食事は済んでいません」
と、代表の一人が口にした。
「そうなのか? じゃあ丁度いい、全員好きなものを頼むといい。もちろん被りはナシだぞ」
兄さんはナンで使用人達を指すと、すぐに自分達が食べるための机を、店内から持ってくるように命令した。
「兄さん、一応店主の許可とってや?」
店主の方をみて私は言う。
(一応そこら辺の配慮は大事やろ。モラルというか、常識的に)
「サーシャ……自分が決めたわけじゃないルールというのは、つくづく面倒だとは思わないか?」
はぁ、と溜息をついて店主を見るアリステア。懐から銀貨の大袋を出して決着をつけようとする様は、我が兄ながらダサさの極みに達しているように思えた。
「……なにそれ、社不の発言?」
「実際僕達は揃って世界に馴染めない。馴染めないからルールを作る。そうだろ」
「一緒にスンナー」
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