ドワーフ国の最新兵器───巨大な白鯨がヨトゥンヘイム領に襲来します!
ヴィーダルによって届けられた手紙から、ヨトゥンヘイム領に起きている真実を知ったサーシャ彼女たちは手紙の中で、フロストが置かれている危機的状況を理解する。
一方───ヨトゥンヘイム領では、すでに戦いの狼煙は上がっていた。
襲来していたのはドワーフ国の技術力によって誕生した、巨大な空に浮かぶ『箱』。
人類がまだ眼にしたことのない最新兵器『飛行船』だった。
地上で鉛の雨に逃げ惑うヨトゥンヘイム領の人々。
フロストは人々と施設が破壊され苦しむ不穏な空気の中、飛行船を撃ち落すための奇策を思いつく。
『平地で俺に勝てない奴らが、地元に喧嘩を売りに来た』。 数日前の不敵な自問を思い返し、フロストは内心で苦笑した。眼前に浮かぶそれは、戦術の前提を根底から覆すドワーフの最新技術の結晶だった。
「……まさか平地で勝ち目がないからと、空を飛んでくるとはな。ドワーフの科学力は世界一だ。全く」
濃霧の向こうから現れた巨大な影は、鳥でも魔獣でもない。「世界で最も進んだ技術」と評される未知の新兵器。連射式クロスボウを握りしめ、フロストは自らの領地がいま、かつてない『時代の変わり目』に立たされていることを確信していた。
「空飛ぶ籠か……。相手にとって不足はない」
ジョン王子が指揮する大軍と、国賊の汚名を着せられたヨトゥンヘイム軍。両者の死闘は、すでに火蓋を切っていた。
ミズガルズ王国の地上部隊は泥濘に足を取られ、大量の死傷者を出しながらも強引に進軍を続けている。さらにその頭上からは、ドワーフの援軍による非情な追撃が降り注いでいた。
「フロスト様! 上空より降り続く鉛の雨によって、今日も死傷者が続出しております。いかがなさいますか」
降り注ぐトゲの粒は、すべてが均一な形状に成形されていた。鋭利に尖ったその先端は、人体など容易く貫く。真に恐るべきは、これが『規格化』された量産品であるという点だ。上空から際限なく矢の雨を降らされているに等しかった。
鉄資源の豊かさで勝てないと見るや、即座に鉛へと切り替え、強度よりも物量を優先した攻撃に転じる。ドワーフの柔軟な機転に舌を巻きつつ、フロストは冷徹に敵の兵力分析を続けていた。
「先ほども俺がここに立っていたというのに、奴らはこの城壁を直接狙ってはこなかった。射手の技量が未熟か、あるいは『的確に標的を捉えることができない』かのどちらかだ」
「無差別攻撃、ということでしょうか」
「ああ。領民は犬ゾリで分散し、速やかに建物から避難させろ。奴らの狙いは人ではない、建物だ。あの箱は、我々の施設を物理的に削り取るために作られた兵器に違いない」
空を覆う巨大な飛行船を前に、新たな戦略を練り直す。見たこともない新兵器に誰もが本能的な恐怖を覚えるなか、泰然と構え、一点の揺らぎも見せない総大将の姿。その背中に、部下たちは心からの敬服を捧げていた。
「総大将、あんたは怖くないのか?」
ドスの効いた声が耳に届く。 北東部を指揮する大将『フギン』。黒い烏羽織を揺らし、酒瓶を片手に赤ら顔でフロストの隣へやってきた。
他国でも大将を務めたほどの古強者。そんな剛毅な男ですら、シラフで乗り切るには過酷すぎる戦況だった。空を舞う怪物は、陸の王者たちにとって未知の恐怖そのもの。
古来、空は神の領域とされてきた。そこからの蹂躙は、神の怒りか、あるいはヨトゥンヘイムが天に嫌われている証ではないか――。領内に流れる不吉な噂を、フギンは誰よりも敏感に汲み取っていた。
「怖いって?」
フロストは、本気で不思議そうにフギンの言葉を反芻した。
「相手は神様かもしれねえんだぜ。王家は神の血を引く御方。天が味方したとしても不思議はねえ。……勝てるのか、あんた」
「いいや。空に浮かんでいるのはドワーフの兵器だよ。神様なんてありえない」
「なぜそう言い切れる?」
「俺が神様なら、もっと効率的に倒すからね。俺が思いつく程度のことを、神様ができないわけがないだろう。それに、あれは倒せない相手じゃない」
フロストが淡々と告げると、フギンは鷹のような鋭い眼を見開いた。
「……アレに勝つ策があるのか!」
「もちろん。霧が深くなれば、勝負だ」
「霧……。朝方か」
「敵は『鉛の雨』を降らせる際、必ず霧の中まで降下してくる。上空からはこちらの姿を捉えられないからだ。視界を奪われているのは奴らも同じ。ならば、降りてきたところを狙い撃つまでだ」
「接近した瞬間を突く、というわけか!」
フギンは合点がいったのか、その瞳から酔いの色が完全に消え失せた。
「そういうことだ。昼夜は一方的に蹂躙されるが、奴らが現れるのは決まって早朝。攻撃が始まったその瞬間こそが、唯一の勝機になる」
「なるほど。……だが、狙い撃つにしてもボウガンでは。届くのか、そんな距離が」
天空を穿つには、連射式ボウガンの射程はあまりに短い。新たな兵器なしには対抗不能とフギンは判断したが、フロストの瞳に諦めの色はなかった。
「いいや、届く。城壁防衛用の『バリスタ』があるだろう。あれを改造して、空へぶっ放すんだ」
「バリスタだと……! なるほど、あの巨大弩砲を動かすか。面白いことを考える!」
バリスタ。本来は城の防衛に用いる、台車に載せられた巨大なクロスボウである。360度回転する台座に、特製のバネを利用したサスペンション。移動可能な防衛の要を、フロストは対空兵器へと転用しようとしていた。
限界まで引き付けた飛行船に巨矢を打ち込み、地上へと引きずり落とす。
「空に浮かぶ、あの白い鯨を狩る───これより本作戦を【白鯨作戦】と呼称する」
「了解……!」
フロストとフギンの対話が続く最中、一人の伝令が息を切らせて駆け込んできた。犬の獣人。その足の速さを買われ、伝令役に抜擢された元ヴァナヘイム反乱軍の一兵卒だ。
「閣下! 至急お耳に入れたいことがございます!」
「どうかしたのかい?」
「今朝の『鉛の雨』によって溶鉱炉が軒並み破壊されました。予備のサスペンションの生産が、現時点をもって困難との情報です!」
「……他に代用できるバネはないのか?」
「すべてが特注品のため、共通の部品は一つとしてございません!」
報告を聞き、フロストの脳裏にアリステアの語った『規格化』という言葉がよぎった。 部品さえ統一されていれば、この窮地を脱する手立てはいくらでもあったはずだ。今になって、その言葉の重みが骨身に沁みる。
「残った溶鉱炉のすべてを、バネの生産に回してくれ」
「防具の生産が止まってしまいますが、よろしいでしょうか!」
「構わない。今はバリスタの完成を最優先してほしい」
「畏まりました!」
風のように走り去る伝令の背中を見送り、フギンが盃を干した。
「悪いことばかりでもねえな。あの獣人、なかなかに動ける。ワシの部下にも数匹加えたいものだ」
「フギン。……彼らは『匹』じゃない。『人』で数えろ。俺たちと同じ志を持つ戦士だ。侮辱は許さないよ」
フロストの静かな、だが逃げ場のない釘刺しに、フギンは肩をすくめた。
「……ワシは人を数える時も匹だ。差別しているわけではない。ワシ以外は、平等に獣なのよ」
フギンは酒瓶に口をつけて傾ける。
「俺も匹で数えるのか?」
剣に手を添えて訊くフロスト。フギンはそれに目を細めて苦笑する。フロストなら問答無用で自分を切り捨てる、そう確信しての笑みだった。
「お前ほど美しき獣はそういまい。もちろん、お前は獣の中の獣よ」
「ならいい」
表情を穏やかに戻したフロストは、また元の微笑に戻る。筋の通った考えであれば、たとえどれほど常識から外れていようとも、彼は否定しない。彼はそういう男だった。
「そういえば、兵站の方はどうだ。食うには困っておらんようだが」
「サーシャがヴァナヘイムから食料を運んでくれているからね。物流が生きている限り、食べるのには困らないさ」
「ほう……あの女傑か。なぜ連れ帰ってこなかった? あれは良い雌だぞ。戦場に咲く花があれば、軍の士気も上がろうに」
「サーシャはなるべく、ここから遠ざけておきたい。君のような男にも、近づけたくはないからね」
「フッ……小娘にワシはちと、毒が過ぎるか」
フロストは老兵の戯言を聞き流す。 脳裏をよぎるのは、サーシャの兄であるアリステアの瞳だった。
(彼は、戦争を経験した商人だ。……彼からは、俺と同じ『死の臭い』がした。サーシャには、あちら側の住人になってほしくない。世の中には、見なくていいものだって、たくさんあるんだから)
フロストは濃霧に包まれた空を見上げる。遠く彼方にいる婚約者のことを想い、届くはずのない言葉を霧の中へと溶かした。
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