死にかけの眼鏡と、パパが運んだ希望───物流王の逆襲
ザイゼンとの交渉を終えた私は、すぐさま書斎に籠ってパパ——バイカル子爵に手紙を送った。
『燃料』を上手く運び出すには、私に理解ある共犯者がどうしても必要やったからな。そうなるともう、身内を頼るのが一番や。
数日後。
邸の廊下を歩いて執務室に向かう途中、窓の外には城塞守備隊の忙しそうな往来が目に入った。みんな、私からの「プレゼント」が届いたことに気づいて、てんやわんやしとるみたいやったわ。
後ろをついてきたミヤハも、結露のついた窓に眼鏡の縁を押し当てて、興味深そうに下の光景を見とる。
「サーシャ様が仰っていた『説得できる武器』というのは、この騒動のことですか?」
「せや。持参金……とはちょっとちゃうけど、この領地に私からのプレゼントを持って来たんや」
中庭の雪室がある方角から、乾燥した冬の匂いとは別に、麦の香ばしい匂いが風に乗って廊下に流れ込んでくる。
廊下の大窓から庭を眼下に収めると、そこには邸の中に食料を運び込む料理人や、興奮して手を振る守備隊の姿があった。
「お~い、サーシャ~! 荷物はしっかり運んだぞ~!」
最高級の毛皮に包まれた、豪華な肉団子……もとい、私のパパが、満面の笑みで手を振っていた。
王家に利権を奪われても、バイカル家の培ってきた「信用」までは奪えん。
おかげでザイゼンが吐き出した小麦を、元々港湾都市からの帰り荷でこっちに戻す予定やった石炭列車の中に、さらに「相乗り」させてここまで運んでもらうことができた。
「ありがとパパ~! ……ミヤハ、そろそろ行くで。一番大事なんは、この成果を持って公爵家の心臓部に飛び込むことやからな」
◇
執務室の重い石の扉を開けた瞬間、漂ってきたのは「死にかけの男が醸す死臭」……やなくて、脳みそが焦げ付いたような強烈な疲労の臭いやった。
ここが公爵領の頭脳が集まる【第一執務室】。
床には大量の書類と、それに埋もれて力尽きた職員たちが、まるで討ち死にした兵士のように転がっている。中でも一番悲惨なのは、秘書官のシュガーライクやった。
「……アレクサンドル様。……どうかなさいましたか」
首がギギギッと油の切れたブリキ細工のように上がり、充血した双眸が私を射抜く。完全に「二徹目」の顔や。瞳孔が開ききって、世界の真理でも見えてそうな目ぇしとる。
「様子見に来たんや。そっちはナッツのお菓子。そんでこの書類は、今さっき運び込んだ食料の納品受領書やで」
ガタッ、と執務室中のゾンビどもが、肉の匂いを嗅ぎつけた獣みたいに跳び起きた。
「……、……な、……この数字……本当か? 嘘じゃないですか?」
納品書をひったくったシュガーライクの眼鏡がガクンとズレる。無理もない。そこに書かれた食料の
『量』に対して、支払った『コスト』が、この領地の常識では考えられんほど安かったからや。
「あり得ない。ゼロが二つ足りない。何かの計算間違いのはずだ」
「心配あらへん。王宮の役人のミスを『処理』してやった手数料として、ロハ同然で引き取ったんや。輸送費も元から帰ってくる予定やった石炭列車に相乗りさせたから、これも実質タダみたいなもんやな」
ザイゼンとのエグい裏取引の内容までは言わんけど、物流王の娘ならこれぐらい朝飯前よ。
ふふーんと、絶世の美女の皮を被って鼻高々に自慢すると、疲労困憊の彼にはちょっと刺激が強すぎたようで。
「……、……。……マジか」
シュガーライクは、椅子にヘタリ込み、糸が切れた人形のようにガックリと項垂れた。
今まで「少ないパイをどう切り分けるか」という地獄の算術に明け暮れていた彼にとって、これは空から特大の肉まんが降ってきたような衝撃やったらしい。
ドッキリ大成功やけど、ちょっとやり過ぎたかもしれん。
「サーシャ様、彼大丈夫ですか? 目の焦点が合ってませんけど」
恍惚とした笑みで、壊れたシュガーライクを見つめるミヤハ。こいつ、絶対自分好みの「弱った眼鏡」が見られて、心の中でガッツポーズしとるやろ。
◇
数分後。ようやく意識のピントを取り戻したシュガーライクは、目頭を強く押さえて私を見た。
「随分な借りができてしまったようですね……」
「アンタが死にそうやったから助けてやったんや。はよ寝ろ。お菓子でも食べて休憩し」
「……おや、バターナッツクッキーですか。……食堂でいただくとします。サーシャ様、食料分配の件、貴女にも少しお話したく。……ご同行願えますか?」
仏頂面の堅物眼鏡が、初めて私を頼りおった。
懐柔完了、第一関門突破やな。
「休憩ぐらい仕事の話は抜きにせえや……まったく。仕事人間にもほどがあるで」
私は呆れ顔を作りながらも、彼について行き食堂に向かった。
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