ヨトゥンヘイム領に忍び寄る不穏な影───シュガーライクは謎の資金源に気づいたようです
時は少し戻り、一週間ほど前。フロスト・フォン・ヨトゥンヘイムが納める領地、ヨトゥンヘイム領。サーシャとフロストの残して行った宿題の後始末をするのが、彼の忠臣であり懐刀のシュガーライクだった。
「では今日も各位、与えられた職務に従事するように」
【第一執務室】を厳しく取り締まる声が今日も響く。シュガーライクはサーシャが窮地を救って以来、人に仕事を任せる───という、最も自分が苦手とする仕事に挑戦していた。
「秘書官様は変わられましたよね。今はずいぶんと我らを頼りにしてくれることが多くなった」
部下達からはそんな戯言まで聞こえてくる始末。
「御託はいい。口よりも手を動かせ」
「……はい」
肩を落とし、作業を再開するヨトゥンヘイム領の優秀な頭脳たち。
それでも仕事がまるでないより良い。今は仕事を与えてもらえることが何よりの信頼の証と思い、この信頼を途切れさせないためにも彼らは、熱心に脳を働かせた。
「……」
そんな彼らをチラリと見て、シュガーライクは様々な作業環境の改善案を頭の片隅で考える。彼らの仕事量には言葉でなく、待遇改善で報いる。シュガーライクはそういう男だった。
そんな彼の下に新たに加わった仲間が入ってくる。氷雪資源開発部の室長アイスマン親方と、ノヴァーリス戦略物流局の局長を務めるソール・マーニだ。
一人は白熊の毛皮を被る巨漢、もう一人はポンチョの下はショートパンツの少年というアンバランスな二人組は、今やヨトゥンヘイム領に欠かせない重要な氷産業を支える二本の柱として屹立していた。
内政全てを司るシュガーライクと、基幹産業である氷の生産・管理を任されたアイスマン親方、そして氷を国中に輸出する権利を有する少年ソール。三本の柱によって、ヨトゥンヘイム領は現在、歴史的な大躍進の真っ只中にあった。
「シュガーライク様、ノヴァーリス・ホールディングスの今月の収益が出ました」
ノヴァーリス商会立ち上げメンバーである美少年ソールは現在、他のメンバーがマリーン・ヴェイルでアイスクリーム屋を営む中、サーシャに才能を買われ、経営陣としてサーシャ直属の部下として働いていた。
「ご苦労。……いずれ資料の書き方にも統一したフォーマットを用意したいと思う。異論はないか?」
ノヴァーリス・ホールディングスの上げる莫大な資金に、シュガーライクは思わず頬が緩んだ。
「構いませんよ。それよりも、良ければその仕事、僕の方でやっておきましょうか」
「部署によって色々文句の出る仕事だ。ストレスの溜まる仕事だと思うが、よろしいか?」
「構いませんとも。こう見えて僕、優秀なので」
シュガーライクはソールの自信に満ちた笑みに、わずかに口角を上げた。
「存じている。あのバイカル令嬢の見込んだ少年だ。肩透かしであっては困るというもの。……では頼んだ」
「頼まれました。───ではすいません、お先に失礼してしまって。アイスマン親方どうぞ」
「構いやしねえよ。それより坊主、お前さん足寒くねえのか?」
ソールのショートパンツから覗くスラリと伸びた美脚を見て、アイスマン親方は純粋な心配をした。
「上半身裸の人に言われたくありませんよ」
「なんだとこのガキ……!」
太もも露出と上半身露出、どちらも剥き出しの矜持がぶつかる中、嫌味剥き出しの男が静止に入った。
「お前たち、騒ぐのなら執務室の外でしろ。───それと、アイスマン親方、お前は一体何をしにココに来た?」
心の底から本能的に騒ぐ人間を嫌悪するかのような冷徹な瞳に、二人は押し黙った。
「……嬢ちゃんがいない時は、本当に容赦ねえな」
ボソッと呟いたアイスマン親方をギロリと睨むシュガーライク。
支配者であるフロスト卿と、その御婚約者で在らせられるアレクサンドル様がお不在の今、この領地を任されているのは自分。
その重責が言葉遣いに出ているのだとすれば、不覚の致すところ。しかし、シュガーライクはこの緊張感を忘れるわけにはいかなかった。
「領主不在の領地を任されている身ゆえ、私も少々気が立っている。癪に障られたのであれば謝罪しよう」
「いらんわ、お前の謝罪なんざ。ほらよ、俺が持ってきたのはミーミル湖で新しく働くことになった雇用者リストだ。寒い日に働ける人間とそうでない人間、分けてあるから目を通しといてくれや」
アイスマン親方が言う“寒い日”と言うのは、氷点下-45℃以下を指す。現在は夏なので、そこまで下がることも珍しいが、それでもたまに下回る時があれば、仕事場に立つだけで命の危険がある。そういう場所には家族のいる人間は立てないようになっていた。
「感謝する」
「かまやしねえよ。……ところで、嬢ちゃんはいつ頃かえってくんだい」
「さあ。フロスト様同様、バイカル令嬢も気分屋のきらいがある。直ぐに帰ってくるかも知れないし、しばらくかえって来ない可能性もある。いつ帰ってきても、大丈夫なように万全の準備でお出迎えするのが家臣の務めだ。それを努々忘れるな」
「その書類もその準備のためかい?」
「無論だ。……そうだ、一応お前たちにも話を通しておこう。少し顔を貸せ」
シュガーライクはアイスマン親方と、ソールを連れて別の部屋に入る。ヨトゥンヘイム家にある武器庫の内の一つだ。重厚な扉を一度開けば、本来であれば三人とは無関係の血と油の悪臭が鼻をつく。
「ウッ……臭い」
「子供には少々パンチが効きすぎたか」
「ムッ……ガマンできますとも」
「それなら結構」
シュガーライク二人を武器庫に招くと扉を閉めた。ここから先は他言無用、と言った様子で彼は現在密に迫りつつあるヨトゥンヘイム領への危機を二人に打ち明けた。
「実はここ最近、ミズガルズ王国では不審な兵の動きが見られている」
「それって……」
ソールの顔が青ざめた。どんな少年でも、このような場所で真剣な大人の表情を見れば、事情を察するのも無理からぬことだった。
「察しの通り、ヨトゥンヘイム領を狙った王家の軍だ。さらにこのヨトゥンヘイム領進行にむけ、大規模な食糧と武器の買い付けが起きていると、まことしやかな噂となっている」
「大丈夫じゃねえか? 」
アイスマンは手を頭の後ろで組みながら、さほど気にしていない様子でシュガーライクに言う。
「何を能天気なことを言っている」
「前に凱旋パレードの時にチラッと小耳に挟んだんだけどよ。今の王家には大群率いるだけの金がねぇって話じゃねえか。集めたところで、金がねえんじゃ人も動かんだろう」
「……」
シュガーライクはアイスマン親方を見る。剥製になった白熊がいきなり人語を介し始めたような驚愕の表情をしていた。
「おい、どうした。なんか言え」
「確かにその通りだと思っただけだ。内紛になるならば、こちらにも手はある。だが王家に資金がない以上、援助している第三者がいるはず。……盲点だった。直ぐに密偵を出して調べさせよう。軍の動きよりも、そちらの資金源が気になる」
「戦争になるんですか?」
ソールの率直な言葉に、シュガーライクはジッと彼の目を見た。
「できる限りそうならないよう動く。だが、覚悟はしておいてくれ」
「サーシャ様にこのことはお伝えしても良いですか?」
「いや、私からフロスト様にお伝えしておく。領地の重要案件ゆえ、信用のできる者に手紙を託したい」
3人は頷き合って、武器庫を後にする。こうして書かれた手紙が届いたのは、丁度一週間後。フロストとキャスパリーグ王の会談が行われている最中のことであった。
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