規格ってそんなに良いものなのか───ナニワの令嬢、翻訳令嬢になります
キャスパリーグ王が内政用の服に着替えるため、重厚な扉の向こうへ消えた。
残されたのは、私とフロスト、それに兄のアリステア。深紅の重厚なソファに三人が並び、客間にしんと冷えた沈黙が降りる。窓の外、広大な庭園にはアリステアの私兵とフロスト私兵団が、互いを牽制するように石像のごとく立ち並んでいた。
室内には両家の執事、そして私の背後には、一切の感情を殺したミヤハが控える。限られた者だけが立ち入ることを許された密室。漂うのは古い羊皮紙とインク、そして火花の散るような緊張の匂いが立ち込める。
テーブルには、三つの「未来」が並んでいた。
フロストが手元に置くのは、国家間の同盟に関する条約。私の前にあるのは、氷の売買を決定づける協定書。アリステアは、今回の軍事クーデターで手に入れた最大の戦利品───数値目標の修正権を記した議定書を、細長い指先で弄んでいる。
最初に私は膝の上で、扇子をパチンと硬い音を立てて閉じた。アリステアはともかく、フロストには言っておかねばならないことがあったからや。
「二人とも。下手な芝居はもうええよ。兄さんが企てた謀の凡そは、もう検討がついとる」
射抜くような視線を向けると、二人は対照的な動きを見せた。
フロストは、大きい犬が待てと言われたのに餌を食べてしまった時のような、気まずそうな雰囲気で、居心地悪そうにしとる。
「……やっぱり、余りこういうやり方は好きじゃないな。サーシャ、君が怒っているのが肌で伝わってくる」
「別に怒ってへんで?」
「いや、その眉間の皺は……うむ……」
彼が喉を鳴らし、言葉を飲み込む。
対照的に、兄は教師に叱られる不良のような侮蔑の意図も汲み取れる笑みを浮かべた。
一点の汚れもない白い手袋を、指先まで丹念に嵌め直す仕草。不気味に吊り上がった口角が、私を検分するように歪む。
「次の計画でもフロストさんには手伝ってもらう。だがサーシャ、その時お前は邪魔だ」
「なんやと?」
私は思わず身を乗り出した。膝の上の扇子が、ミシリと音を立てる。
「サーシャ。お前の行動は予測できるが、たまに正体不明の『異物』を作り出す。僕にはそれがもたらす未来が見えない。計画に予測不可能な変数を加えるわけにはいかないのさ」
アリステアは私を妹としてではなく、不具合を起こした歯車を見るような冷徹な眼差しで射抜いた。
「今回のクーデターで、お前参加して『勝ちすぎた』場合を想定してみたまえ。あるいは『不殺』を貫きすぎた場合を。戦争はナイーブな商品だ。匙加減を一つ間違えれば、取り返しのつかない破滅を招く。お前にはまだ、その微調整が難しい」
「いいや。一番儲けを出すのが商人の正解やろ。それの何が悪いんや」
言い返す私の声を、アリステアは鼻で笑った。
「短期的な利益は出せても、長期的な資産を築く術を、お前はまだ知らない。……スプリングフェスで全ての店舗を吸収し、巨大ギルドを作り上げた時と同じだ。あのような暴挙を、このデリケートな戦場で行われては困るのだよ」
私は唇を噛み、沈黙した。隣でフロストが、申し訳なさそうに視線を落とす。
「……フロストはええんか」
「フロストさんは戦争の専門家だ。どうすれば効率的に相手の心を折れるか、誰よりも理解している。……この部屋で、一番『死』という概念に精通した商人と言っても過言じゃない。だからこそ、僕は彼をパートナーに選んだ」
アリステアの言葉に、筋は通っている。……癪やけど、一週間という短期間で私ができることなど、知れているのも事実や。
「納得はしたけど……やっぱり兄さんと話してると、虫唾が走るわ」
「妹のお守りは御免だ。後で婚約者にでも甘えるといい。……さて、本題に入ろうか」
アリステアが白い手袋を整え、卓上の議定書に指を置いた。
「規格を、どこに統一するか。その話だ」
「俺はよく分かっていないんだが……」
フロストが首を傾げ、アリステアと私を交互に見た。
「アリステア君。どうしてそこまで『規格』にこだわるんだい? 物を揃えることに、それほどの価値があるのか」
アリステアの口角が、不気味に吊り上がった。
「もちろんです、フロストさん。単位を揃えるということは、世界から『摩擦』を無くすということです」
アリステアはまるでクラスの人気者に声を掛けられたオタクみたいな早口で、満面の笑みで自分の構想をフロストに話した。
「ヴァナヘイム、ミズガルズ、そして東方のオリエント。それぞれの国で重さや長さの基準がバラバラな現状を想像してください。荷を積み替えるたびに計算し直し、天秤を調整する。そのたびに、商売という名の血管から『時間』という血は流れ出している。……これは猛烈な不便であり、悪だという認識がまず必要です」
アリステアは、世界征服を企む子供のような純粋さと、大人の残酷さを同居させた笑みを浮かべた。
「僕が作った分銅、僕が定めたコンテナのサイズ……それらを世界の『普通』にする。そうすることで、商人をこの不便から解放する……これこそが、僕のやりたい商売の軸となる理念です」
私は、あの船の貨物室に寸分の狂いもなく積み上げられていた直方体の山を思い出した。あの無機質で圧倒的な光景。兄の語る言葉は、決して誇大妄想やない。奴は本気で、世界のルールそのものを買い叩こうとしとる。
「無駄を無くしたい……か。ふむふむ。直接的には金にならないようだが、必要なことなんだね?」
フロストが身を乗り出し、興味深げに顎をさすった。軍事クーデターを主導した男の口から出た言葉にしては、スケールが小さい───。
彼の瞳の奥に、戸惑いの色が混ざる。品物の規格を統一すること。その真の破壊力を、武人の脳はまだ捉えきれていない。
私は扇子をパッと広げ、フロストの視線を捉えた。
「簡単に言えば、戦場に荷物を運ぶスピードが劇的に上がるってことや。兄さんは手続きの停滞、そんな面倒を根こそぎ省くためにこの計画を進めようとしとる」
「戦場に荷物を運ぶスピード、か。……なら、足の速い馬を買い揃えればいいだろう」
「全部の馬が速くなる状況を想像して。それに、戦場で誰のメシが多いとか少ないとか、そんな下らん揉め事も消えてなくなるわ」
「なるほど……大発明だ!」
フロストの瞳に、目に見えて火が灯った。
どうやら私の役目は、兄の専門的すぎる思想をフロストに「翻訳」することらしい。
「ご理解いただけたようで何よりです」
アリステアが口角を吊り上げる。妹を「予測不可能な変数」と切り捨てた男が、初めて私の有用性を見出したかのように、表情を柔和させた。
◇
重厚な石の扉が、低く唸りを上げて開く。 内政用の、簡素だが気品あるローブに身を包んだキャスパリーグ王が戻ってきた。
「(待たせただに。……ふむ、随分と熱心な議論をしていたようじゃにゃ)」
もふもふの髭を揺らし、王が玉座ではなく、私たちの対面にある椅子へと腰を下ろす。 議論というより、その前段階。だが、個別の約束事を取り付けるには十分な熱気が、室内に充満していた。
「(ビャーカル令嬢、翻訳を頼むに。お主の物言いは鋭いようでいて、どこか柔らかい。他の通訳は用意しておらんでな)」
「(畏まりました。……では、どなたから?)」
「(ヨトゥンヘイム卿から話そうか。次にアリステア殿。最後がお主じゃ。異論あるまい)」
「フロストからやって」
私の言葉を受け、フロストが視線をアリステアへ向けた。
「俺からでいいのかい?」
兄は「国家間の話には口出ししない」というポーズを崩さず、無言でフロストの言葉を待った。
「この三人の中で、あんたが一番重要な相手ってことやろ。……兄さん、席を外して」
突き放すような私の言葉を、フロストが手で遮った。
「いや、アリステア君も同席してくれ。君とも長い付き合いになりそうだ」
「感謝いたします。フロストさん」
アリステアが深々と礼をし、私へ向けてクイッと顎をしゃくった。
「さあ、早く進めろ」
無言の催促に、私は奥歯を噛み締めて溜息を飲み込む。キャスパリーグ王とフロスト。ヴァナヘイムの未来を左右する、静かな舌戦の幕が上がった。
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