仕組まれた革命───ナニワの令嬢は兄の計略にはまってしまったようです。
アリステア兄さんの歩みは、まるで自分の庭を散歩しているかのように軽やかやった。
背後に続く猫の獣人たちは、一滴の水音すら立てない。軍部が血眼になって警戒しとるはずの通路を、兄さんは「あぁ、そこは床板が鳴るから三歩右を歩きたまえ」と、まるで見えないガイドラインに沿うように進んでいく。
「……下調べの量が半端ないな。兄さん、どれだけ前からこの山狙ってたんや?」
置いて行かれんよう隣を必死に歩きながら、闇夜のヴァナヘイムを突き進む。
「サーシャがスプリングフェスを始める前から、ずっと種は撒いておいたんだ。ようやく芽が出てくれて、晴れ晴れとした気分だよ」
数分。一度も敵に見つかることなく、私たちは王宮直下の隠し扉へと辿り着いた。
「ついて来てしまったのは仕方ないけど、自分の身は自分で守れよ。僕は、君の婚約者ほど過保護じゃない」
「心配あらへん。こっちには女王からの招待状がある。これを見せれば、軍の上層部も自分らの不条理を恥じるはずや」
「なら、ここから離れたほうがいい。彼らは合理性のないお客様だ。書状一枚で何になる? ついて来たところで君の婚約者に迷惑が掛かるだけだというのが分からないのかな?」
「なら、兄さんはなんでここまで来たんや」
「そりゃもちろん金を稼ぐために決まってる。……そのためにこの軍事クーデターを、わざわざ計画したんだぞ」
「……、……は?」
思考が凍りつく。私の問いに返事もせず、兄さんが懐から取り出したのは、不気味な紫色の粉末を詰めた筒。それを下水孔から地上へ放り投げると、夜空にどぎつい色の煙が上がった。
「(外で騒ぎが起きたぞ! 城門の兵が移動し始めた!)」
ヴィーダルの報告通り、城内が騒がしくなる。混乱に乗じて私たちが踏み込むと、兄さんは見取り図も見ずに最短ルートで塔を目指した。立ち塞がる兵士を、兄さんの私兵───猫の獣人たちが音もなく無力化していく。
「よし。手筈通り、大した手練れはこっちに来ていないな」
やってくる敵は「ザコ」ばかり。フロストもボウガンを使うまでもなく、軽くあしらうだけで蹴りがつく。私たちは見えない線路の上を走るように、一直線に塔の最上階まで駆け上がった。
軟禁されていたエルフの女王と獣人の王を救い出すのは、拍子抜けするほど一瞬やった。
「……サーシャではありませんか。あぁ、ずいぶんとはように来てくださいましたね。感謝のしようもありません」
縋り付く女王様。けれど感傷に浸る暇はない。
「逃げるで! 女王様が無事やと分かれば、軍部の嘘も……」
言いかけた刹那、右足が濡れた石床を滑った。
(……あっ)
私の運動音痴が、最悪のタイミングで私に牙をむいた。
「サーシャ!!」
フロストの叫びが反響する。転んだ私の背後。曲がり角から現れた軍部の増援が、ギラリと槍を突きつけた。
「動くなッ! ヨトゥンヘイムの悪魔……および、アリステア商会! この女の命が惜しくば、武器を捨てろ!」
首筋に伝わる冷たい殺気。私は懐の女王からの手紙を握りしめたまま、歯噛みした。
「馬鹿言うな! 私は女王からの手紙でやってきた商人やぞ!」
「うるさいぞ小娘! だからなんだというのだ!」
「女王様は正気やっていう証明書や!」
「だからなんだというのだ!」
私は思いっきり槍の腹で頭を殴られた。武力で国を奪う奴らに、紙切れ一枚のロジックなんて通用せえへん。目の前にいるのは取引相手やない。私の「命」を、交渉のテーブルに載せられた『チップ』としてしか見てへん、ケダモノ共やった。
「兄さん……フロスト……こいつらアホや。意味が分からん」
私の言葉を無視するように、アリステア兄さんは表情一つ変えず、汚れ一つない靴を鳴らして時計を確認した。
「一時撤退だ。なーに、人質の価値はわかる連中だ。サーシャをしばらく預けるとしよう。フロストさん、ここはどうか僕の顔を免じて……って、あぁ、行っちゃったよ……」
兄の声が届いた時には、すべてが終わっていた。私の背後で槍を突き立てていた兵士たちは、無数のボウガンにハチの巣にされ、一瞬の隙に間合いを詰めたフロストによって悉く肉塊に変えられていた。
血の海。むせ返るような鉄の臭い。私は腰を抜かし、泥濘の中にヘタリ込んだ。
「ふ、フロスト……」
「もう安心していい。敵は倒した。怖かったね……帰ろう」
血の海から抱きかかえられ、私は呆然とフロストの腕の中で城を後にした。出口に出るまで、混乱を飲み下す術を持っとらんかった。
◇
「サーシャ、落ち着いたかい?」
「……あ、あれ? もう外かいな……」
「そうだよ。だからもう大丈夫だ」
フロストが懐から出したハンカチを私の目元に当てる。受け取った布地は、ぐっしょりと濡れていた。自分が泣いていたことさえ、気づかんかった。
とりあえず、設置されたテントの椅子に座る。まずは、フロストに謝らなアカン。
「フロスト……ゴメンな」
「……サーシャ。良いんだよ。怪我もなかったし、もう忘れていい」
優しく抱擁される。婚約者というより、慈悲深い父親のような暖かさ。謝ることさえ申し訳なく思えてくる。
「フロストさん、うちの妹を甘やかしてもらっちゃ困ります。考えナシな行動をしたんだ、ちゃんと叱ってもらわないと。金の匂いがしたって、命あっての物種でしょう? 妹の花嫁衣装を見る前に白装束を見るのは御免ですよ、僕は」
ケタケタと笑う兄貴。
「心配はしていない。彼女は二度と同じミスはしない」
フロストが、氷点下の声で兄を遮った。
「暴力のある場所には、利害も合理性も存在しない。そんな不条理を退けるために俺がいる。サーシャは、言葉の通じる相手とだけ交渉してくれればいい」
その言葉に、子供の頃の記憶が蘇った。言葉ではなく暴力で回答される理不尽。そして、それに対する激しい憎悪。
「……私は、私ができることをする」
立ち上がり、兄さんが座る木机を叩いた。フロストからの信用を取り戻すために、私の在り方を損なわないために。
「兄さん。どこまでが計算の内やったんや。答えようによっては、ビンタも覚悟しいや」
「ん?最後にフロストさんが全部ぶっ殺した件以外は、概ね僕の計算通りだ。本来なら僕の挑発に乗った君は、ノコノコついて来てあそこで捕まるはずだった。軍の上層部と交渉の席を設けるための、最高の人質としてね。……でも、フロストさんが解決してしまった。おかげでプランBは全部パーだ」
残念だ、と首を振る兄の頬を、私は全力でひっぱたいた。
「何をする」
「実の妹を人質にする計画まで立てるなんて、人でなしにも程があるわ」
「そっちが挑発に乗ってきたんだ。結局最後に決めたのはサーシャ、君だ。僕は悪くない。それに兄には世界を普通にするという使命がある。そのためには、南を仕切る獣人の国のトップを取り込む必要があったんだ」
そのために賄賂を流し、武器を流し、人を裏切らせたのだと兄は淡々と語る。兄の言う「普通」が何なのか、私にはさっぱり分からん。今回の件、舐めすぎてた私も悪いけど。目の前の兄が、フロスト以上の悪魔に見えた。
「ほんま……気持ち悪いわ、アンタ」
「妹からの罵倒ほど身に沁みるものはない。やり過ぎたと反省しているよ。だから次のプランAだけは邪魔をしないでくれよ、サーシャ」
既定路線の通りに助けた王様を使って、自分に有利な商売をすると宣言した兄さん。離れとるとはいえ、すぐそこで王族が休んでるのに、よくもまあいけしゃあしゃあと言えたもんやわ。
「……絶対にアンタの思い通りになんかさせへん」
「無理無理。遅かれ早かれ、世界は普通になる。これは世界の意志なんだぜ、サーシャ。時代の流れに逆らうのは得策じゃあないとだけ、忠告してやろう」
夜の帳が、私たちの間に深い溝を刻んでいた。
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それではまた、次のお話でお会いしましょう。(´・ω・)ノシ




