【新章開幕】世界進出への第一歩───ナニワの令嬢は熱帯雨林の大地に向かうようです。
ドッドッドッドッ……という重厚なエンジンの鼓動が、足の裏から伝わってくる。
マリーン・ヴェイルでの熱狂的な「スプリングフェス」から二ヵ月。季節は春から、暴力的な日差しが照りつける夏へと移り変わっていた。
場所は、ノヴァーリス・ホールディングスが誇る巨大貨物船の甲板。 早朝の瑞々しい潮風を切り裂いて、私は一つ、また一つと腹筋を重ねていた。
「……九十九、百! よっしゃ、セット終了や!」
私は額の汗を拭い、荒い呼吸を整えた。 目の前では、上半身裸のフロストが、私の体重の数倍はあろうかという鉄の塊を軽々と持ち上げている。
「お疲れ様、サーシャ。今日は一段とキレがいいね」
トレーニング中でも笑顔のフロストが言う通り、私のプロポーションは現在世界を取れるレベルに磨きがかかっている。腹筋を終えたばかりのお腹はカッチカチやで。
「……当たり前や。商売人は体が資本やからな。それに、これぐらいの負荷に耐えられんと、これからの『荒波』は乗り越えられんわ」
そう言いつつ、ダンベルを下ろしたフロストの腹筋の溝をなぞりに行く。彫刻みたいな腹筋は見ていて飽きへん。
私はここまでバキバキに陰影付けたら嫌われると思って、全体的に脂肪は付けてるけど、彼の筋肉は競走馬みたいな重厚さと柔軟さの両立を果たしてる。相変わらず細マッチョの完成形みたいな見た目しとるわ。
「サーシャ……くすぐったいよ」
「ヘヘッ。パンチパンチ!」
フロストのお腹にパンチする。ぺちぺちと音を立てて、彼の腹筋に弾かれた。
「───にしてもずいぶん変わったやんな」
私はフロストの腹斜筋を人差し指でつつきながらウットリする。
「腹筋が……変わった?」
「あ、違う、話変えた。私たちの領地の話」
パンチしてごめんねー、と鋼鉄の腹筋を撫でながら私はこの二ヵ月を振り返った。
スプリングフェス終了からヨトゥンヘイム領は劇的な変貌を遂げとった。かつての「万年赤字の極寒の地」は、今や国中へ氷を送り出す「金を生み出す輪転機」へと化けている。
大型化した保冷櫃を積んだ改造済みの馬車が、ヨトゥンヘイムの街道を埋め尽くし、冷気を求める都市へと絶え間なく往復しとった。
マリーン・ヴェイルもまた同様に変化した。今じゃ、世界が注目する『冷たいものがどこでも食べられる港湾都市』に成長中や。これからもミズガルズ王国の貿易の中心地として、大いに盛り上がってくれるやろう。
そうとなれば、当然次は世界進出や。そのためには船がいる。船に必要なんは木材や。
私たちは木を求めて熱帯雨林が広がる南の国へ氷を運ぶ最中やった。
「……おやっ……サーシャ。新聞が届いたみたいだよ」
フロストの執事が持って来た朝刊をバサッと広げるフロスト、私は座った彼の肩に顎を乗せて、後ろから内容に目を通す。 そこにはデカデカと、軍服姿のフロストの肖像画と共に、こんな見出しが躍っていた。
『極北の守護者、今や「アイスキング」へ。ヨトゥンヘイム公爵、独立し大公を名乗るのか!?』
「『アイスキング』……か。ハハッ、なんだか子供の頃を思い出すみたいで、少し気恥ずかしいな」
「アンタが気恥ずかしくても、市場の評価は正直や。今やアンタのサイン一つで、大陸の氷の相場が動くんやからな。……ジョン王子が今頃、嫉妬で歯ぎしりしとる顔が目に浮かぶわ」
そんな平和(?)な朝の雑談にスルリと入り込むように、ミヤハが手慣れた手つきで一通の手紙を差し出してきた。
「お嬢様、閣下。朝のトレーニング中に失礼します。……南の国から、特急便が届きました。国賓待遇での招待状かと思われます」
「南の国……? 獣人の国からかいな?」
私は獣人の国からやってきた手紙をしげしげと見る。 そこには、南国の女王からの直筆のメッセージが記されていた。
『猛暑が止むこともありんせん。この部屋は暑うてたまらず……お主の『氷』が、どうしても恋しゅうてなりんせんの。……一度、その顔を見せに来てくりゃんせぬか?』
女王からの手紙を見て私は自然と自分の口角が吊り上がるのが分かった。
「ほほう……こりゃ丁度ええわ。呼ばれたんなら行かんとな」
南の国。そこは強い日差しが照りつける、冷気への飢えが最も激しい場所。富裕層をターゲットにした氷貿易を本格化させるには、これ以上ない舞台や。
「どうしたんだ?」
手紙の内容が気になる様子のフロスト。彼にもまた頑張ってもらう必要があるやろう。
「フロスト、女王様と会うことになったわ。───それでもし、仮に隣国の女王とヨトゥンヘイム領が同盟を結べたら、アンタの大公への道がグッと近くなる。ええやんな?」
「ははっ、今回は木材を手に入れる旅じゃなかったのかい?」
「それは大前提や。氷を運ぶための船を、もっと大量に、もっと巨大にする。南の木材を手に入れ、ヨトゥンヘイムの氷を世界中に運ぶ……。それが第一目標。けどこの手紙のおかげで第二目標も出来た。女王ともっと仲良くなって、大公への足掛かりを作るんや!」
そういうとフロストは、汗の残る前髪をカッコよく掻き上げて、
「ははっ。政治は苦手だ!」
期待しないでくれ!と爽やかな笑顔で、情けないことを言った。
「それに獣人の国とは以前に一度だけ戦争をしたことがある。だからきっと嫌われてるんだろうな!」
ボッコボコにしてしまったよ、てへへ。というまさかの爆弾発言まで飛び出る始末。
世界中に噛みつきまくってる男やから、そういうこともあるとは思ってたけど、まさかピンポイントでそんな相手の懐に飛び込む羽目になるとはな……。
「マジかいな……港についたら、槍向けられるなんてことないやろうな」
「……分かんないな!」
私は口をポカーンと開けながら、水平線の向こう、まだ見ぬ灼熱の大地を見据えた。
……トレードする前に殺されるかも知れん。そう思うと乾いた笑みが漏れた。
ま、一旦今は明るい未来だけを見て、何とか恐ろしい現実から目を逸らそうか。
「さぁ、行くでフロスト! 南の大地に、新しい商売の風を吹かしたろうやないか!」
───捨てるほどある氷を、捨てるほどある木材と交換する。これぞ、ナニワの商人の真骨頂や!
お待たせしました。第三章のテーマが決まったので投稿開始します。
今回の冒険の舞台は、獣人の国───ヴァナヘイム。
鬱蒼たる熱帯雨林が広がる、人間とは別の亜人種たちが住む大地の中でも、沿岸部に栄える国です。
サーシャはそこへ船を手に入れるために、大量の木材を運び込む計画を立てます。
前回同様一筋縄ではいかない波乱の幕開けとなりましたが、そんなハラハラワクワクの冒険をサーシャの視点でお楽しみください。
またしばらく朝の11時から毎日投稿が続くかと思いますが、よろしくお願いいたします。by星島




