クラーケンの触手 ――ナニワの令嬢、ランキング転落の裏で『マリーン・ヴェイル財閥』を結成します
「スプリング・ブルワリー、独走態勢です!!」
運営の叫びが響くたび、ルカの店にはタダ酒を求める群衆が押し寄せ、対照的にうちらの店の列は目に見えて落ち着き始めていた。
「ギルマス……いいんですか、本当に。このままじゃ、あのルカさんに『テッペン』を獲られて終わりますよ」
ソール君が、不安げに私の顔を覗き込んできた。
彼だけやない。株式を分け与えられ、「共同経営者」となったスタッフたちの間にも、言いようのない焦燥が広がっとった。
無理もない。自分たちの価値の象徴であるランキングが、目に見えて下がっとるんやからな。
まあでもそこは関係ない。
秘策というか、ちょっと私も計画を前出しする必要ができたけど。
「ソール君、あんた、海にクラーケンって怪物がおるんは知っとるか?」
突然なんだこいつは、みたいな顔でこっちを見て来るソール君。
『人が真面目な話をしているのに』、と言いたげな顔や。こちとら大真面目やのに。
「え……突然なんですか? ……たしか、伝説の巨大イカですよね」
「そこにヒントがある」
ソール君は突然私が伝説のイカの話を始めたと思って本気で困惑しとる。
「イカ焼きを売る……とか?」
そうそう、ソール君大正解。
釣り大会が実は伏線で、次はミヤハが釣ってたイカを売ります。
───なわけあるか。そこが伏線なわけないやろ。
ソール君は私が誰の娘か知らんのか?
大規模な物流ギルドを仕切ってた物流王の娘やぞ。商人の首の締め方ぐらい知ってるってことや。
「……伝説に出てくるクラーケンの強さは、デカい体やない。四方八方に広げた『触手』や。一本の足が叩かれとる間に、別の足で獲物を絡め取り、気づいた時には胃袋の中……。ええか、今のうちらは、ただの『かき氷屋』やないねん。クラーケンやねん」
「全然わかりませんねぇー……一体何をおっしゃりたいのやら……」
店主の頭がおかしくなってしまった、と本気で心配するソール君を前に、私は手元の、分厚い契約書の束を叩いた。
手紙と氷の卸売りで仕掛けてきた「根回し」が、今この瞬間にノヴァーリス商会の触手となって、砂浜を裏から侵食し始める。
◇
その日の夜。私はルカ、そして波止場ギルド、青果ギルド、串焼き組合といった、提携している三十店舗の代表者が一堂に会していた。
場所は、焼けた海の家の地下……ではなく、隣の日陰のテラス。
みんな、連日の激務で顔はボロボロ。特にルカは、王子の無理難題に応えすぎて、魂が抜けかかっとった。
「……バイカル様。急に集めて何の話ですか。俺たちはもう、明日も数千ガロンのビールを注がなきゃならないんです……」
ルカの弱々しい声に、私は冷酷な、それでいて最高に「甘い」言葉を投げかけた。
「ルカの兄ちゃん。あんた、王子の『飼い犬』として一生を終える覚悟はできたか?」
「……っ!? 何を……!」
「今、あんたが勝てとるんは、王子の財布のおかげや。あんたの腕やない。フェスが終わった後、あんたに残るのは『王家の傀儡』っていう不名誉なレッテルと、過労で潰れたスタッフだけやで。
……他の皆さんも同じや。ビッグ・ブラックに怯え、嵐に震え、今は王子の気まぐれなバラ撒きに縋っとる。
――そんな『時に流される商売』、いつまで続けるつもりや?」
静まり返るテラス。
私は懐から、渚の蒼に輝く羊皮紙を取り出した。
「提案や。うちら全員で『一つ』にならへんか?」
「一つ……?」
「|ノヴァーリス・ホールディングス《持ち株式大ギルド》の設立や。
うちらが氷と保冷のインフラを提供し、あんたらは各々の得意分野で商売をする。資本も、リスクも、利益も、全部まとめて『共有財産』にするんや。
ルカの兄ちゃん。あんたの店を、ノヴァーリス・グループの看板店舗として迎え入れたい。
……これにサインすれば、あんたは王子の犬やなくて、巨大商会の『取締役』や。誰にも文句は言わせへん。あの『バッカス』の女将さんにな」
「馬鹿言わないでください。───そんなことをしなくても、今の俺たちは優勝して店を持てます。邪魔をしないでいただきたい」
ルカの目は疲労で今にも限界を迎えそうな、血走った瞳をしとる。確かに、このままいけばスプリング・ブルワリーの優勝は確実やろう。
「邪魔をする気はない。スプリング・ブルワリーは優勝したらええと思うで。けど、アンタ未来のことは考えてるんか? 今こうやって代表者が集まれてるからこそ、できる話もあるんやないか?」
「なにもありませんよ。そんなこと。売上で優勝者が決まる。決まった優勝者には優勝賞金と駅前に店舗が与えられる。それが全てじゃないですか」
「おいおい、私たちは商人やろ。その先のことも考えんでどうするんや。あんた、このまま優勝しただけやったら、売り上げがガクッと落ちるで?」
「……は? ……どういうことですか」
ルカはちゃんと、その理由を聞いてくるあたりしっかりしとる。
───おかげで命拾いしたな。
「だって、アンタのとこ……氷でビールを冷やし始めてから売れ始めたやん。でも、優勝した後はまた同じ常温のビールを出すんやろ? 立地は良くても、売れるんか? それ」
ルカの体が氷のように固まった。
まさかこいつ、私がフェス終わった後も契約更新を当たり前にしてくれる、なんて思ってたんやないんか?
「バイカル様は、ウチと契約更新しないつもりですか……?」
ルカの顔が闇夜のランタンに照らされて青くなっているのがわかった。
「おいおい、私が悪人みたいに言うなや。氷を売るのは、一旦このフェスまで。……フェスが終わった後、貴重な資産を誰に売るかは、経営陣の自由やからな。
提携店をまとめて『ホールディングス』にする。仲間になれって言うなら、入るメリットを提示できんとな? ウチの仲間になるメリットは『氷』を使えることや」
ルカの額に冷たい汗が流れた。
「貴女はそのためにこの砂浜に氷を行き渡らせていたんですか……?」
「ああ。私の目的は、この街に氷を売りに来ることやからな。でもおかげ様で、氷は沢山の客層に浸透した。……みんなもう氷がない生活には戻れへんやろ?」
嵐は過ぎたというのに、ルカは雷に打たれたようにヘナヘナと、椅子に座り込んだ。
ようやく現状を理解してくれたらしい。
私がどれだけ可愛らしく微笑んでも、これは「お願い」やない。
「傘下に入らなければ、二度と冷たいビールは出せない」という、冷徹な最後通牒や。
「貴女はやはり魔女だ。……王都の噂は本当だったんだ」
ルカはそんな酷いことを言う。今は寝不足やから大目にみたるけど。シラフで言うとったら、氷の販売価格釣り上げるところや。
「魔女? 失礼な。私はただの『効率主義者』や。……ほな、合併の発表は最終日。ルカが優勝トロフィーを掲げた直後な?」
「……でも、そんなことできますか? フェス中に合併なんて……前代未聞だ」
「ルールブックのどこに、合併禁止って書いてある?」
この国には独占禁止法なんてない。強い力を持った人間は、さらに強い力を手に入れる権利がある。弱肉強食の論理を振りかざしているのは、この国の愚王や。
同じことを民草がしたところで、それは王の模範というだけのこと。この国の法で私を裁くことはできん。
「さて……マリーン・ヴェイルに新しく生まれた財閥に、みなさん拍手の用意はよろしいでしょうか」
背後で、ソール君やトビーが息を呑むのが分かった。
「ギルマス……本気なんですね。この小さな海の家を、マリーン・ヴェイルを支配する『帝国の心臓』に変えるつもりなんだ……」
ソール君の呟きに、不安の色はもうなかった。代わりに宿ったのは、見たこともないような凶暴な好奇心。
───さぁ、スプリング・フェスも佳境。私の企みも明るみになった事やし、締めに入ろうか。
「……ええか、みんな。我々には共通の理念がある。
ノヴァーリスは、うちら全員がオーナーの『船』や。
一隻では小さな舟でも、連結すれば嵐に耐える巨大な艦隊になる。
船がデカくなれば、それだけ遠くの海まで行ける。見たこともないデカい魚も獲れるようになる!
うちらは、ただの屋台の集まりやない。
今日この瞬間、マリーン・ヴェイルの経済を裏から支配する、最強のギルド連合になるんや!!」
差し出された私の手に、ルカが震える手を重ねた。
続いて、波止場ギルドのおっちゃんが、青果ギルドの親方が───。
三日後の表彰台。
そこで行われるんは、順位の発表やない。
王族(支配者)を嘲笑う、商人の『革命』の宣言や。
(ケケケッ……。ジョン王子、高い出資金、ホンマにおおきに。おかげで、巨大な財閥になってさらに発言権が強くなりますわ)
これでまた、ジョンに大憲章を書かせるまでの距離が、一歩縮まったな。
さて……後は残りの三日間。なるべくジョンに銭を絞らせるために、ギリギリの『接戦』を演出せんとな。
私が稼げば稼ぐほど、あのアホはムキになって国庫からルカに金を出す。
ジョン、あんたの「嫌がらせ」が、いつか自分の首を法で縛ることになるまで……。
せいぜい今のうちに、全力で私を絶望させてみせぇや。
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それではまた、次のお話でお会いしましょう。(´・ω・)ノシ




