シュガーライクに仕事を貰いにいくで
邸の廊下を歩いて執務室に向かう途中。
窓の外には、城塞守備隊の忙しそうな往来が目に入った。
どうやらみんな私からのプレゼントに気づいて、てんやわんやしとるみたいやな。
後ろをついてきたミヤハも、結露のついた窓に眼鏡の縁を当てて、興味深そうに下の光景を見とる。
「サーシャ様が仰っていた『説得できる武器』というのは、この騒動と何か関係があるのですか?」
振り返って、ミヤハは確信めいた笑みを浮かべて訊いてくる。私の部屋を掃除しててそれを知らんことはないやろうけど、一応、頷き返す。
「せや。持参金……とはちょっとちゃうけど、この領地に私からのプレゼントを持って来たんや」
中庭の少し離れた場所──雪室がある方角から、乾燥した冬の匂いとは別に、麦の香ばしさと焼ける肉の匂いが風に乗って廊下に流れ込んでくる。
妙な熱気に当てられた人々がそれに呼応するように、邸内は活気に満ち溢れ、廊下には笑顔が行き交う。廊下の大窓から私も庭を眼下に収めると、そこには邸の中に食料を運び込む浮足立った料理人や、手を振る守備隊の人々の姿があった。
「あれ? あの人ってもしかして」
ミヤハが先に気づいて窓の外を指し、その先を見ると、運び込みを担当してくれた「私が世界で一番信用している人」の姿もあった。
貫禄のあるぽっちゃりお腹を最高級の毛皮でくるんだ、豪華な肉団子。
私と同じプラチナブロンドの髪を持つ、福の神みたいな顔のオジサン。
「お~い、サーシャ~! 荷物はしっかり運んだぞ~!」
「ありがとパパ~!」
ここは二重窓やから会話することはできんけど、口の動きで何となく何を言ってるかぐらいは分かった。
ホンマは兄さんに頼もうかとも思ったけど、あの人は手紙を送っても返事がなかったし、またどっか世界をほっつき歩いてるんやろう。
私が王子との婚約が決まった時も、他国で商売しとったしな。……まあ、今回は親父が何とかしてくれて助かったわ。ぶっちゃけ誰が敵か分からん以上、身内以外に頼むのはリスキーやからな。
ていうか親父は、娘のせいでギルドが全部乗っ取られたいうのに、全く怒ったりもせず、こんな寒い場所まで来てくれてホンマ感謝しかなかった。
けど、これで分かった。ギルドの看板と職員は奪われても、バイカル家の信用はまだ健在や。
王家は我々バイカル家を非難しとるみたいやけど、私たちが継承してきたもんは、お前たちが簡単に収奪できるものやない。それが分かったのも大きな収穫やった。
「サーシャ様、そろそろ行きません? 寒いんですけど……」
メイド服で震えるミヤハを見て、私は再び歩み始める。
「ああ、すまんすまん。立ち止まってしもうたな。……もう大丈夫や、先に進もう」
親父を客間に通すよう他のメイドに頼んで、私は自分の商談に赴く。悪いけどお礼は後や。
今一番大事なんは、この成果を持って公爵家の心臓部に飛び込むことやからな。
それで何とか私を信用して貰わんと、大きなプロジェクトどころか、案件の一つもまともに動かせん。
◇
執務室の重い石の扉を開けた瞬間、漂ってきたのは「古い紙の匂い」と「死にかけの男が醸す死臭」……やなくて、強烈な疲労の臭いやった。
暖色の灯りに照らされた広い長方形の部屋の中で周囲を見渡したが、あるはずの暖炉がこの部屋にはなく、代わりに床が常に温かい作りになっている。ここだけ資料が燃えんような特別な作りになってるみたいやった。
──ここが公爵領の頭脳が集まる【第一執務室】。
床には大量の書類と、所々にそれに埋もれて力尽きたように眠っとる人がちらほらおった。起きた人から黙々とまた作業に戻り、力尽きる。それを繰り返す様は刑務作業に等しい。
財務官はそろばんを弾きながら目を瞑っとるし、兵站将校は地図に赤いラインを引きながら途中で力尽き、書記官は端でペンを持ったまま固まっていて、測量官だけが唯一まともに動いとった。
彼らはどこで雪崩が起きそうかシミュレーションしたり、議論するのが仕事らしい。
机によって部署が分けられ、上に置かれたもので彼らの職種を判別することができた。全体的に過労気味ではあったものの、中でも一番悲惨なのは秘書官──シュガーライクの直属の部下やった。若手やのに瞳孔が開きっぱなしで、口角を吊り上げながら作業に没頭しとる。
私も体験したことがあるけど、あれは「二徹目」の顔や。それもあの顔はかなりの頻度でやらかしとる。一目でわかった。
徹夜すると、猛烈にジャンキーなものが食べたくなって、ベッドに入ったらいつでも寝れるみたいな状態に変化するけど、それでもさらに起き続けて二徹に差し掛かろうとすると……あの領域に踏み込むことになる。
次に瞼を閉じたら最後、寝た瞬間に一日分くらい時間が消し飛ぶ爆睡をしてまうんや。それを一週間のうちに何度も繰り返していると、なんかおもろくなって自分の限界を試したくなる。今の彼はそのゾーンに入ってるようやった。
「うわ~、激務やな~」
邪魔にならん程度の小さな声で、後ろについて来てるミヤハとお喋りする。そしたら、私の存在に気づいた測量士が小さく手を振ってきた。
「サーシャ様、なぜこのような場所に?」
「あ、こんにちは~。シュガーライクさんいますかー?」
カリカリカリと部屋に響くペン先の音が一つ消えて、それから一つ、また一つと音が途切れて私の方を向いた。
「誰が入って来やがった」という殺意の視線が、私を見た瞬間に「女神か?」というような幸せそうな笑みに変わっていく。仰ぎ見るがいいわ。それで元気が出るならな。
でも、それじゃあ元気にならんやつもおる。私が来たっちゅーのに一瞥もせずにペンを走らせとるやつとかな。言うまでもない、しばらく机から動いてへんのが一目でわかる不気味な石像……やなくてシュガーライクや。
「シュガーライクさん? ちょっとよろしい?」
するとシュガーライクの首が、ギギギッと油の差していないブリキみたいに上がって、充血した双眸でこちらを見上げるように折れ曲がった。
「……アレクサンドル様。……どうかなさいましたか」
死にかけの陰険眼鏡に、箱と書類を手渡す。
「こっちがひと段落したからな。様子見に来たんや。そっちの箱はナッツのお菓子、そんで書類のほうは納品受領書な。運んできたったで、食料」
ガタッ──。
執務室で寝ていた職員も全員跳び起きて、私に視線が一挙に集中したのがわかった。
全員ゾンビみたいな顔して救いを求めるように、私を下から見上げとる。
「それは……本当ですか?」
「雪室見てきてみ。食料でパンパンやで」
私の言葉に、執務室で働く職員たちは声にならない喜びを噛み締め、小さくガッツポーズをすると、一人、また一人と力尽きるように倒れていった。
明晰夢と勘違いした職員が廊下へ飛び出して行くのを見送りながら、私は席を立ったボサボサ髪のシュガーライクに向き直った。
「……な、……この数字……本当か? 嘘じゃないですか?」
納品書をひったくるように奪い取ったシュガーライクの、ひび割れた眼鏡がさらにズレた。
無理もない。そこに書かれた食料の『量』に対して、支払った『コスト』が、この領地の常識では考えられんほど安かったからや。
「あり得ない……。殆どタダ同然で食料をこれだけ引っ張ってくるなんて……輸送費だって馬鹿にならないはずなのに……ゼロが二つ足りない。いや、絶対におかしい。何かの計算間違いのはずだ」
いきなり大量の餌を渡されて困惑している猫みたいや。
「心配あらへん。効率化させただけや。空っぽで走るはずの列車に相乗りさせたったんやから、向こうも『小遣い稼ぎ』感覚で運賃を負けてくれたわ」
まあ実際にはそれだけやなくて、元交易ギルドのギルマスである親父が口添えしてくれたんやろうけど。これぐらい有能さをアピールせんと、シュガーライクが仕事を分けてくれる気がせんかった。
そして当の本人は、机の上で指を動かしながら高速で計算を終わらせ、その結果、口を大きく開けて──。
「……、……。……マジか」
もはや喜ぶ元気すらないのか椅子にヘタリ込んで、口角をピクピクと痙攣させ始めた。嬉しいのに、感動に体がついていけてないみたいやな。なんせ自分が今まで「少ないパイをどう切り分けるか」悩んでたところに、特大のパイが空から降ってきたんや。
血糖値スパイクで気絶もんの幸せやろ。
「いつ寝たんだ……? 私は?」
シュガーライクはまだ現実を直視できてないのか、うわごとを呟いとる。
「サーシャ様、彼大丈夫ですか? 目の焦点が合ってませんけど」
恍惚とした笑みでシュガーライクの顔を見つめるミヤハ。その顔は乙女が恋する顔というには邪悪過ぎて、変質者のそれに見える。
「大丈夫やろ。知らんけど」
ボサボサのクリーム色頭は、天井の灯りを眺めながら身動き一つ取らない。許容できる幸福を超過してしまって、昇天したか?
ミヤハが心臓に耳を当てて、動いているのを確認すると私にサムズアップしてくる。ちゃんと生きてはいるみたいや。
「……何百万人の命を背負っとる人間が、その重圧から解放されたらこうなるんやな。睡眠不足も相まって、綺麗に壊れとる」
「フフッ……シュガーライク様、お美しいですね」
ミヤハがうっとりとした様子で、壊れたシュガーライクに寄り添っとる。度し難い子やと思いながら、ちょっとシュガーライクの気絶時間が長すぎるから起こしてもらうことにした。
「ミヤハ、このまま死なんようにちょっと起こしたって」
「かしこまりました! ……シュガーライクさん、生き返ってくださーい」
体を揺すると、魂が現世に引き寄せられて定着した。シュガーライクは眼鏡を外すと、目頭を押さえて顔を思いっきりしかめた。
「随分な借りができてしまったようだな……」
シュガーライクはそう言って眼鏡をかけ直すと、咳払いをして私たちに向き直った。
「それで? 用件は以上ですか?」
早くどっか行け、と充血した目が訴えかけとる。何とも助けがいのない男だ。
「アンタが死にそうやったから助けてやったんやろうが。はよ寝ろ」
「ご心配はご無用です。ヨトゥンヘイム卿が戦場で戦っている以上、私がここで優雅に眠っているわけにもいかないので」
「いやいや……効率悪いやろ。お菓子でも食べて休憩したらどうや?」
「お菓子? ──おや、バターナッツクッキーですか……」
今さら気づいたのか、ナッツ菓子の入った正方形の缶を手にして、シュガーライクの口が緩む。
気づいてないみたいやけど、あんたの近くにストーカーがおるからな。おかげで好物も訊いたらすぐにわかったわ。
「アンタの好物やろ? ミヤハが紅茶淹れてくれるから、休憩し」
「ここは飲食厳禁だ。──だから食堂でいただくとします。サーシャ様、食料分配の件、貴女にも少しお話したく思います。お手数ですがご同行願えますか?」
仏頂面の堅物眼鏡が初めて私を頼った。
やっと少しは信頼されたんか? だとしたら遅いにもほどがあるけど。
「休憩ぐらい仕事の話は抜きにせえや……まったく。仕事人間にもほどがあるで」




