夜更かし雑談───ナニワの令嬢は金貨二千枚も売り上げを出したようです。
月影の冴えわたる夜だった。
フロストは駅から夜通し運ばれてくる氷を、駅下にある氷室へ運び出す往復作業の指揮に汗を流している。
「……ふぅ」
街に明かりはもう殆ど残っていない。
だというのに、浜辺にはまだ灯りのついた出店が多く並んでいた。
「みんな作戦会議中か」
フロストは額の汗を夜風に晒しながら、その光景をぼんやりと眺める。
次の列車が来るまでまだ少し時間があった。
「何もしないのは、みんな後悔が残るもんな」
駅のホームから階段を降りて、砂浜を歩く。
当然、彼の背後には屈強な私兵団が付いて回るから、傍目には夜間の強行軍に見えなくもない。その物々しい散歩に、浜辺の商人たちは何事かと店から顔を出すほどだった。
「氷室の様子を見に行くぞ」
散歩がてら氷室の様子を見に行くフロスト。
ただの歩行だというのに、特殊部隊さながらの警戒態勢となり、全方位からの攻撃に備えた完璧な布陣で主君を守る。
当然、この静かな浜辺に矢の雨や騎兵の突進などあるはずもなく、穏やかな波音だけが彼らの鋭すぎる神経を逆撫でしていた。
こんなに用心していては、たとえ刺客が狙っていたとしても諦めざるを得ない。圧倒的な過剰戦力。それが夜の砂浜を我が物顔で歩く今のフロストたちだ。
そうして歩いて行くと、自分達の店の隣にまだ灯りのつくテントがあった。
「おや……驚いた。ルカ君の所も明るいな。……彼らも夜遅くまで、頑張ってるんだな」
フロストがルカの店を横切ろうとした、その時。
「やっぱりこの麦酒には、酢ダコなんてええかも知らんなぁ……」
聞き覚えのある声が聞こえた。
この綺麗な鈴を転がすような声で、中身がオッサンのようなことを言う人間に、彼は一人しか心当たりがない。急いでフロストはルカの店に顔を出した。
「サーシャ!?」
「んお……フロストどないしたん」
メイドを連れ、夜風に吹かれて寛ぐラフな格好のお嬢様。やはり彼女だった。
「珍しいな、こんな時間に起きてるなんて」
「フロストに差し入れしようと思って、お酒持って来たんやけどな。途中でこいつらに捕まって、話聞いててん」
「捕まった?」
フロストは反射的にチャキ、と腰の剣に手を掛けた。
背後に立つ私兵団も「パーティータイムか?」と言わんばかりに、獲物に指をかける。
「あ、アホンダラ! 捕まったって言うのは言葉の綾やから! あと剣に手をかけない! ステイ! ステイや!」
焦るサーシャ。フロストが周囲に視線を走らせると、確かに机には様々な酒のつまみに冷えた麦酒が置かれている。これは確かに、捕虜にしては最高級の待遇だ。
「みんなでお酒のつまみは何がええか考えてただけやから」
ガクガクと震えるルカとその部下たちを一瞥した後、フロストは完全に警戒を解いて笑顔になった。
「なんだ、そうなのか。作戦会議中に失礼したよ」
サーシャは約束を守って、ちゃんと護衛を連れて歩いてくれている。それだけでフロストは安心できた。
「あ、丁度ええわ。お酒のつまみ、どれがええかフロストも一票入れてくれん?」
「ああ、構わないよ」
「これとかどうや?」
サーシャから差し出されたのは、瓶の中に爪楊枝が刺さった状態で沈んでいる「酢ダコ」だった。
「……ハハッ」
無意識に後ずさりしてしまうフロスト。ヨトゥンヘイム領では「海の悪魔」とも呼ばれ忌み嫌われるタコが瓶詰めされ、あまつさえ食べられようとしている。
彼はグッと「ハハッ、それは食べ物なのかい?」と言いそうになる我が口を塞いだ。
サーシャたちは真剣に議論しているのだ。水を差すのは粋じゃない。たとえそれが未知の怪物に見えても、彼女たちの口に合うなら何も言う必要はない。その辺の寛容さを、彼は持ち合わせているつもりだった。
「どしたん、フロストお酢って苦手やっけ?」
“あれ、でも寿司食べてたやんな”と不思議そうな顔をするサーシャ。
そっちの問題ではないのだが、ここで細かい訂正を加えるのは男として格好がつかない。
彼は一ミリも表情を崩さないまま、爪楊枝に刺さった酢ダコを受け取った。
「ありがとう。大切に食べるよ」
酢ダコを持ったまま、笑顔を貼り付けるフロスト。
しかし、なかなか爪楊枝が口に運ばれることはない。本人でさえ「食べよう」としているのに、体が本能的に拒否反応を起こして腕が動かないのだ。
「……フロスト?」
サーシャの心配そうな顔が彼の瞳に映り込む。
これ以上、婚約者を不安にさせるわけにはいかない。
覚悟ならとっくに出来ている。彼は軍人として、そういった「切り替え」には定評のある男だった。
ミシミシと悲鳴を上げる筋肉を無理やり動かし、震える唇に酢ダコを押し込む。ブヨブヨとした触感と、鼻を突く酸味。およそ食べ物とは思えぬ感覚に、激しい嘔吐感がせり上がってくる。
“神よ、俺が一体何をした?”
噛み締めるたび、天に問うフロスト。
当の女神は、隣で満面の笑みを浮かべたまま、自らも酢ダコを口にしていた。
「フロスト、やっぱり苦手やったか」
サーシャの声に、フロストは咄嗟に「そんなことないよ」と強がった。
しかし、サーシャがハンカチで彼の目尻を拭うと、そこには確かに、武人の矜持を突き破った一筋の涙が伝っていた。
「私も……初対面の時、サルミアッキ食べさせられて、そんな気持ちになったわ」
フロストはここでようやく気づいた。
これは「愛の差し入れ」ではなく、緻密に計算された「意趣返し」だったのだと。
「ご不浄、大丈夫そか?」
フフフッと楽しそうに笑うサーシャに、フロストは静かに酢ダコを飲み込むことで抵抗を示した。
「心配ないよ。それより、そこのビールを飲んでもいいかな」
フロストは返答も待たず、机にあったビールで強引に口直しをする。
サーシャは意地悪にもさらに酢ダコを勧めてきたが、流石のフロストもそれにはノーセンキューと、全力で手を振って拒否した。
「ところで、サーシャはなんでこんな夜更けに晩酌をしていたんだ?」
「晩酌ちゅーか、作戦会議やな。ルカの兄ちゃんたちの売上が伸びてないらしいから、協力できることがないか探しててん」
「……ライバル店なんだろ? なぜサーシャがそこまでする必要があるんだ」
「いや私もそう思うけど、ロックを助けてもらったやん? あの恩返しがまだできてへんからな。あれは商売抜きにしても助かったから、一肌脱ぎたいと思ってたんや」
ついでに氷もルカの店に卸すことにした、なんてことも簡単に言ってしまうサーシャ。
ただでさえ貴重な氷を他店に回せば、自分の店が立ち行かなくなるリスクがあるというのに。
「サーシャ、氷には限りがあるんだぞ。大丈夫なのか?」
「明日はかき氷やなくて『冷えたビール』を売ることにしたから大丈夫や。氷を提供する代わりに、売上の二割をうちがもらうことで交渉成立したしな」
「二割って……ルカ君たちはいいのか、それで」
『スプリング・ブルワリー』は、この大会の有力な優勝候補だ。初日は店舗の位置やノヴァーリス商会のインパクトのせいで影に隠れていたが、地元客の支持は厚い実力店。
そんな店舗の売上ともなれば、トータルで金貨数百枚は動くはず。冷えたビールの付加価値があるとはいえ、二割という数字は相当なものだ、とフロストは驚いた。
“ルカ君はもっと先の何かを見ている気がするな……。サーシャ、このままじゃ足を掬われかねないぞ”
そんなことを思いながらフロストはビールを飲む。一番困ったのは、自分はかき氷も好きだが、やはり酒の方がもっと好きだということだった。
“サーシャが勝てば、氷売りの拠点が出来て俺たちも助かる。ルカ君が勝てば、いつでも冷えたビールが飲めるようになる……。うん、どちらに転んでも俺は嬉しいな。
もちろん俺はサーシャの味方だけど……ルカ君が負けたら、あっちにも投資したいくらいだ”
フロストは喉を通る冷えた黄金の誘惑に、心底打ち震えるのだった。
それと同時に、今日一日、サーシャのいない場所で各所に走り回り、無理を通した甲斐があったとも感じていた。
“シュガーライクのやつ、石炭列車のダイヤが滅茶苦茶になったって、泣きながら怒ってたなぁ……各方面への賠償金も馬鹿にならない額になったし……悪いことをしたな”
そう思いながらも後悔はなかった。隣で楽しそうにつまみを選ぶ婚約者の笑顔が見れるのなら、金貨千枚だって安いものだ。
そうして楽しい夜の晩酌会議は、酒の肴が尽きたことでお開きとなった。
別荘までサーシャを送り届けるフロストは、温かい夜風が吹く砂浜で、ふと気になっていたことを訊いた。
「そういえば、今日っていくら売り上げを出したんだ?」
するとサーシャは、う〜ん、と首を捻って悩んだ挙句、
「概算でええ?」
「ああ。なにせ氷を全部売ってしまったんだからね。相当な額になっていそうだが」
「だいたい一万杯くらい売れたから……銀貨で十二万枚……ぐらいかな?」
サーシャの言葉に、フロストは目を丸くした。
銀貨十二万枚……金貨二千枚。
氷を削ってシロップをかけただけの食べ物が、たった一日で別荘三軒分の金貨に化けたと彼女は言う。
「そ、そんなに儲けたのか……?」
彼女のルカに対する余裕の正体が、これでフロストにも理解できた。
彼女は今日、一介の商人の域を超えた、異常なほどの成功を手にしたのだ。
「こんなのは偶然が重なった奇跡みたいな数字や。おかげでスタッフはボロボロ、氷は空っぽ。フロストが補充してくれんかったら、明日は商売できへんかった。せやから、ホンマにありがとうな」
「それは構わないが……そうか、金貨二千枚か……」
氷なんてどこにでもあるもの。そんな自分の常識は間違っていたのだと改めて気づかされる。まさか氷を運ぶだけでこれほどの富を生めるなど、思いもしなかった。
「サーシャ。もし俺が領地に『線路』を増やすって言ったら、嬉しいかい?」
フロストが訊くと、サーシャは今まで見せたこともないような、宝石のように輝く笑顔で頷いた。
「それ、誕生日プレゼントに欲しいわ!」
「よし、じゃあ早速シュガーライクに線路拡大の件を伝えるとしよう」
「嬉しい! ありがとうなフロスト!」
一方その頃、ヨトゥンヘイム領第一執務室。
「はっくしゅん……! 誰ですか、この深夜に私の胃をキリキリさせているのは……」
そこには、正体不明の悪寒に身を震わせるシュガーライクの姿があった。
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