海と油の到達点
アイス・イン・ワンダーランド前編 ラスト
砂浜の向こうから、朝日を背負って巨大な「板」が歩いてくる。
あ、板やない。大きいけどフロストや。
なんかその広い背中で「何か」を背負って運んできとるけど。
「……あいつ、また人に良いように使われてないか?」
私の呟きにミヤハがクスリと笑う。
公爵様やのに率先して人助けするような、ハッキリ言って変わり者。
彼のことは未だにどんな人間なのか、私の中で計りかねとる部分があった。
「それにしても何でしょうかあの板。随分と大きいですが」
「さあ? 道端に倒れてた画家が偶々背負ってた巨大なキャンバスを、なぜか見つけた公爵のフロストが代わりに運んでるとか、そういうオチかも知れん」
フロストに運ばれてきてるのは、縦約二メートル、横一メートル三〇センチを超える巨大な長方形。
F一二〇号ぐらいの、もはや看板の枠を超えて「壁」そのものと言ってええ特大のキャンバスやった。
厳重に何重もの白い布で包まれ、太い縄で固定されたそれは、彼が戦場で使用する大盾のようにも見える。なんだってそんなものを運んでるんやとか、そういう説明を求めると、運んできた本人ですらよく分かっとらんようやった。
「さっき大通りの脇道でヴァイノが倒れてたんだ。俺は馬車だったから通り過ぎようとしたんだが、コレを砂浜に運んでほしいと頼まれてしまった」
私はミヤハと顔を合わせる。どうやら当たってらしい。
「……せやからわざわざ運んであげたん?」
「すごく真剣な顔だったんで、断れなかった」
“うんうん、仕方がない”みたいな顔でフロストは言うけど、ふつうは“公爵”がそんなことをする必要はない。
しかも様子をみるに、道に落ちてたヴァイノを発見した後、大通りで馬車から降りて、わざわざ代わりに絵を担いで運んできたんやろう。
「よくやるわ……それで? そのキャンバスがヴァイノの持ち物ってことは、頼んどいた看板なんか?」
「……それは俺も知らない。だけどこれは、ただの絵じゃないような気がするんだ。彼の魂が込もっているような」
“何となくだがそんな気がする”、と零す彼に私は苦笑する。そりゃふつう、絵を見て言うもんやろ。布越しに絵が見えるわけでもあるまいし。
「もぉー……アンタ、そういうのは私兵団の人とかに任せときや。アンタが運ぶ必要ないやろ」
「いや、コレは俺が頼まれたものだからね。……よっと」
ズシン、と砂浜に置かれた衝撃で、地面がわずかに揺れた気がした。
フロストの後ろからは、一度邸に戻ったはずのウルスラと、私兵団の人に肩を貸されて歩いてくるヴァイノの姿があった。
熱中症にでもやられたんか、ヴァイノの顔色はすこぶる悪い。
「あんた大丈夫か」
店の前まで来てくれたから、氷を麻袋の中に入れて頭に当てたる。ジューって音を立てて、氷は気持ちいいぐらい簡単に溶けていった。それと引き換えに命を吹き込まれた彼は、肩を借りずに立ち上がって、まずは一礼した。
「……遅れて申し訳ありません。それが僕の……海です」
ヴァイノは眠り足りないと言った様子で、目を擦ってる。
その指先は絵具と油で黒ずみ、目の下には疲労の色が見えた。
この五日間をどんな風に生活してたんか、一目でわかるような状態やな……。
「完成したんやな?」
「……今の僕にこれ以上の絵は描けません」
ヴァイノは震える手で、キャンバスを覆う布の端を握った。
「見てください……。マリーン・ヴェイルの海を閉じ込めました」
早朝の鋭い海風が、ふわりと布を煽る。
ヴァイノの手を離れた白い布が、朝日の光に溶けるように砂浜へ舞い落ち───その瞬間、世界から音が消えた。
「…………」
焼けた海の家の黒い柱の前で、その絵は「発光」しとった。
描かれていたのは、夜明け前の蒼い朝焼けが差し込む窓辺に、ただ静かに座り景色を見つめるウルスラの姿。
嫋やかな細い線を束ねたような体に、溢れる静かな少女の力強さ。
一見相反する組み合わせが、観覧者に不思議な興味を呼び起こさせる。
窓を眺める彼女が何を考えているのか、その解釈をこちらに委ねる余白。
その全てが心地のよい朝焼けの絵や。
正に今みたいな早朝を切り取ったような、ついさっきまでそんな状況にあったんじゃないかと思わせる一枚の絵やった。
「……なんや、この『白』は」
思わず手を伸ばしかけて、引っ込める。
キャンバスに閉じ込められたウルスラの肌は、ただの白やない。なにか絵具ではない何かが使われてる気がした。
「マリーン・ヴェイルの貝殻を磨り潰して、その真珠層の粉末を下地に混ぜ込んだんです。見方によっては淡い虹色にも見えるでしょう?」
ヴァイノの言葉通り、見る角度によって真珠のような淡い虹色の光を放っとった。
まるで、キャンバスの向こうに本物の人間が……それも、触れれば壊れてしまいそうなほど高潔な『本尊』が閉じ込められているような錯覚。
簡単な作業ではなかったはずや、絵具一つ用意するだけで、どれだけの貝殻を潰して、どれだけの時間を使ったのか。想像もつかん。
「……空の青が、私は好きなんだー」
ウルスラがそう呟く。
ヴァイノはそれを聞いて、朝やのに夕焼けみたいな色ではにかんだ。
「あ、ありがとう。油絵具を海風と海水で溶いて、微細な塩の結晶を定着させて、その空を作ったんだよ」
ヴァイノがウルスラにそう説明する姿をみて、私は少し笑ってしまった。
好きな子とそうじゃない人でそれほど表情をころころ変える人間も中々おらんぞ。
というか、聞き捨てならんことを今言わんかったか?
「油と海水を混ぜたなんて簡単に言ってくれるわ。アンタどうやったん?」
その技法は、この世界にはまだないはず。どうやって知ったんか少し興味が湧いた。
「僕も最初、この二つは本来混ざりあわないものだと思っていました。混ざり合ってはいけないとさえ思っていました。けれども、ウルスラと絵を描いていく中で、彼女が偶然アイスクリームを絵具に零しちゃって」
「ちょ、ちょっとーヴァイノ⁉ それ言わないって約束だったのにー!」
ウルスラが恥ずかしそうに、どっかから持って来た熊のぬいぐるみで顔を隠す。
画家の前じゃ同一人物とは思えんウルスラの腑抜けぶりに、周囲のスタッフも困惑してる。
これが金融の魔女と言われとるなんて私も信じられんかった。
「───んで? アイスクリームでなんか閃いたんか?」
「はい、アイスクリームを落とした絵具を見て驚いたんですよ。その時初めて油と海水が混ざり合ってて。初めは温度によって混ざり合っているのかと思いましたが……色々調べて行くうちにアイスクリームに使われる卵白が、油と海水を混ぜる役割を果たしていてくれてるって気づいたんです」
「おお……!」
なるほど、おみごと。
まさかそこで、乳化に気づくとは。
それもアイスクリームで気づいてくれるなんて光栄だ。
私は改めて、まじまじとその蒼を見つめた。
本来、この二つはどれだけ近くにあっても、混ざり合うことはない。
地を這う重い粘りのある油と、寄せては返す気高い飛沫。
交わる道理も、溶け合う必要もないはずの二つの色が、このキャンバスの上でだけ交わることが許された。
“ヴァイノのやつ、「混ざり合うべきではない」なんて言うてたけど、ちゃんと綺麗な色になってるやんか。”
この色は誰の眼から見ても綺麗な色をしとる。それは確信を持って言えた。
「ていうか今さらやけど、いつからお互い呼び捨てで呼ぶようになったんや?」
「いや、それはその……色々ありまして」
口ごもるヴァイノに、周囲の生暖かい眼が向けられる。私もその一人やった。
「そっちもそっちで、どうやら進展あったみたいやなぁ。まぁええわ。お前らの惚気なんか聞いてやるもんか」
「話す気もないし!」
ウルスラが甲高い声で言い返してきたけど、それすらこの喜びの前ではどうでもよかった。
「せやけど、なるほど……この空の輝きはそういう仕込みか。結晶化した塩が朝日の逆光を噛んで、パウダー状のダイヤモンドみたいに巧く馴染んどるな」
「良い色になったと思います」
ヴァイノはそこだけは絶対の自信をもって頷いた。ああ、それは間違いないやろう。
私は腰に手を当てて、改めて絵画全体を俯瞰してみる。
……貝殻とアイスクリームで出来た絵か。
うちに置くには最高の絵に仕上げてくれたな。
「……綺麗な絵だ。俺は特にこの女の子の眼差しが好きだな」
私の隣に立っとるフロストはそう言って、キャンバスの中で窓の外を見るウルスラの瞳を指した。あんまり好き嫌いをいう男やないけど、こいつにも好みとかあるんやな。
「どれどれ……なるほど」
ウルスラの眼はたぶん、何十層、何百層と塗り重ねられて作られるようにみえた。
異なる色を薄く何層も重ねたから、柔和な光がさしているように見えるんやろう。
「ほんま、目だけ見ても一体どれだけの専門知を積み上げれば、こんな領域に辿り着けるんかまったく理解できん。ようこんな画家が駅のラウンジで絵描いてたな」
今までにヴァイノの中に溜まってたノウハウが澱のように積み重なっとる。
それがこの瞳を見たら分かった。
総括として、最高の絵を見せてくれてありがとうという気持ちで一杯や。
「あぁー、最高の絵を描いてくれたわ、ホンマに」
せやからほんま、こう言うことをいうのは無粋の極みというか。
この時ばかりは商人であることを酷く呪いたくなるというか。
嫌でも現実を直視して言わないとアカンこともあった。
「───まぁ強いてこの絵の問題を挙げるとすれば、これじゃ『お店の看板』やなくて、美術館に飾る『芸術』になってしまったということぐらいやな! ホホホホホッ」
───そう、軽く笑い飛ばしたつもりやったけど。
「ですよね」
チーンと、ヴァイノとウルスラは私に頭を下げてしまった。
「いやいや、コレはこれで何とかするから安心して」
注文書と違うものを作ってしまってるってことは、どうしても私の口から言わなあかんことやった。
誰も名画の発注はしてへんからな。
“せやけど、ふつうは全然アカンことやのに……二人の顔見てたら怒るに怒れんわ”
まったく、商人泣かせの芸術家様やで。
苦笑して、私は手をパンパンと叩いた。
「……よし、じゃあこの名画を私たちのスタイルを編み出そう」
こんな金貨千枚積んでも足りん名画を砂浜に展示するとか、ほんまは絶対やったらあかんことなんやろうけど。二週間で金貨千枚以上稼ぐから問題ない。
そう言う問題やないかもしれんけど、これ以外に看板がないんやからそうするしかない。何屋さんかはもう、旗とかで何とかしよう。
問題なのは『名画を使った集客方法』を今日中に考えつかんとあかんということや。
「ねー、これ本当に展示するのぉ? 恥ずかしいよぉ……」
モデル本人の意見なんてこの際どうでもええねん。
こちとら従業員とこれからのヨトゥンヘイム領の未来を背負ってるんやからな。
「……よし。決めたわ。これを看板にするんは止める。……これは、この店の『ご神体』にするんや。
この絵を拝みたい奴は、かき氷という名の『拝観料』を払えって、街中に触れ回ったればええ。そんぐらいの価値がこの絵にはあるはずや!」
リハーサル最終日。
もはや何度方針転換したか分からん。
ヨトゥンヘイム領の氷を売るために、最初はアイスクリームを売ろうと言って駅を降りた。
それやのに、今は名画を見せるための「拝観料」としてかき氷を売ろうとしとる。
計画通りに全部進むなんて思ってなかったけど、ここまで予定のルートから外れるとは、ナニワの商売人人生でも想定外や。
せやけど。
そんな前途多難な私のもとへ、さらなる「嬉しい誤算」が到着する。
「おう! おめえら揃い踏みだな! 最新版のかき氷機、持ってきてやったぜ!」
砂浜に響く、ガラガラとしたリヤカーの音。
そこには朝日を反射するツルピカ頭の職人――チョウベーさんと、そのお弟子さんたちの誇らしげな姿があった。
「……チョウベーさん! 間に合ったんか!」
「当たり前よ。鉄を叩くより、嬢ちゃんの面白い注文を形にする方が優先だ。……見な、こいつが俺たちの答えだ」
リヤカーから降ろされたのは、朝日を浴びて鈍く光る、無骨かつ精密な鋼の塊。
それこそが、このスプリングフェスで私たちを頂上へと押し運ぶ、最強の矛の新しい姿やった。
アイス・イン・ワンダーランド前編 完
次回からアイス・イン・ワンダーランド後編開始です。
後書き:
ヴァイノとウルスラ、二人の間にどんなやり取りがあったのか外伝で書くか悩み中です。
とりあえず、毎日投稿頑張って良かったです。
最新話をずっと追ってくれてる方も沢山いて、それがとても励みになってます。
ありがとございます。
自分は極度の人見知りなので、サーシャ様を見てるとすげーなー、と思うときが多々あります。
なので逆にヴァイノとかはすごい書き易かったです。
後編も二人は出てきますが、どちらかというと二章後半は影が薄いヒーローに、スポットライトをいい加減当ててあげたいなという気持ちになっています。
そうです、フロスト君です。
作者が一番好きなキャラなのに、全くと言っていいほど出番がありません。
なので後半はもっとアグレッシブに。公爵という地位を忘れて暴れてもらいたいものですね。
彼が動くと何かと問題が多い気がしますが、気にしません。
今の時点で情報を吐かせるために手段を選ばなかったり、監禁未遂とか色々やらかしていますが、
そんな些末な問題はこの際どうでもいいでしょう。
というか、恋愛カテゴリーなんだから、サーシャ様もちゃんと恋がしたいでしょう。
人の恋を応援してる場合じゃないっすよ。
───てことで後半は二人の恋も微妙に進展するとかしないとか!
お楽しみに。




