目醒めたら資産が炭になっていました。――王子の嫌がらせ、損害賠償の桁が足りんわ!
ちゅん、ちゅん……。
のどかな雀の鳴き声が響く、静閑なミズガルズ王国。その中心たる玉座の間にて。
第一王子ジョンは、朝一番の謁見というのにパジャマ姿で玉座に沈み、眠たげな眼を擦っていた。隣の寝室からは、アリシア姫の穏やかな寝息すら聞こえてきそうな、平和な朝だ。
大きな窓から差し込む朝焼けを眺めつつ、持ち込んだブランケットを膝にかける。
一応まだミズガルズ王国の王は彼の父なのだが、実質的な権力はすでにジョンの手に集中しつつある。それを象徴するかのような彼の大胆な行動だった。
「んもぉ……誰だ、こんな朝早くから。朝の玉座は冷えるんだよなぁ……」
ぶるりと身を震わせる王子の傍らには、近衛兵が二人立つのみ。
一見、王の無防備さを狙う暗殺者には絶好の機会に見えるが、今のジョン王子は隙だらけというより、隙しかない状態であった。
その静謐を破るように、窓外の鳥が一斉に羽ばたいた。
暗殺者じみた音のなさで、一人の男が滑り込むように現れ、ジョンの前に跪く。
「おはようございます、殿下」
「おぉ、ビック・ブラックか。おはよう。こんな朝から報告とは、お前さんも相変わらず守銭奴……働き者だな」
「恐悦至極でございます。……実は、殿下への献上金をさらに積み増すべく、マリーン・ヴェイルにて事業拡大をしておりまして。この度、スプリングフェスなる催しにも参戦する運びとなりました」
そう言ってビック・ブラックは殿下にスプリングフェスのパンフを恭しく差し出した。
「マリーン・ヴェイルのスプリングフェス? 楽しそうな響きじゃないか」
「はい。全長約二キロに及ぶ海岸線に、二百を超える屋台がひしめき合う、国内最大の商人の祭典……。商人が人生を賭けて、客を奪い合い、金を搾り取る、金が飛び交う戦場にございます」
「ほほぉん……いいな。俺とアリシアの分の特等席も用意しろ」
王子の言葉に、当然といわんばかりに頷くビック・ブラック。
「承知いたしました。フェスの開幕は二日後。……ちょうど、視察には絶好のタイミングかと」
「うむ。しかし、よくそんな直前に出店枠を確保できたものだな。あそこは利権がうるさいと聞くが?」
パンフを見ながら欠伸を噛み締めるジョン王子の素朴な疑問に、ビック・ブラックは顔を上げ、下卑た笑みを浮かべた。
「ハッハッハッ! 許可など、法を遵守する愚か者のすること。ジョン殿下の御名を使い、反対する地主には不渡りを掴ませて買収。従わぬ店舗には悪評を流して追い込み、しぶとい店主には『通り魔』を差し向けて始末し、三店舗分の土地ををぶち抜き、強奪した次第にございます」
ビック・ブラックの愉快そうな報告を聞き、生返事を打っていたジョンの顔から、みるみる血の気が引いていく。
「え……? 運営とか、ギルドから苦情とか来ないの……?」
「既に来ておりますが、すべて揉み消しております! もはや苦情すら出せぬよう、窓口の役人も買収済みでございます!」
「お前は何をしてんだこらァッ!!」
ジョンは寝ぼけ眼を一気に剥き、玉座の脇に立てかけてあった王家の秘宝――聖剣エクスカリバーを鞘ごと引き抜いた。パジャマの裾を振り乱し、ビック・ブラックへと斬りかかる。
「ひぇええええ!!」
パシッ!
伝説の聖剣を、ビック・ブラックは見事な真剣白刃取りで受け止めた。至近距離で、ジョンの必死の形相と対峙する。
「貴様ぁ! 王家の名に泥を塗るつもりか!」
「い、一蓮托生でございます、ジョン殿下! 毒を食らわば皿までです! さあ、潮風に吹かれに参りましょう!」
「ぬけぬけとっ……!」
ジョンが激昂し、ビック・ブラックの首を刎ねようとしたその瞬間。
パラり、とビック・ブラックの袖から一枚のパンフレットが床に落ちた。
そこには、マリーン・ヴェイルの運営が広告塔として勝手に採用した、あの「マイクロビキニで投げキッスをするサーシャ」の姿が、鮮明な印刷で踊っていた。
「……なっ、サーシャ!?」
ジョンは足元に落ちた紙を、抜き身のエクスカリバーの先で器用に拾い上げた。
「なんだこの破廉恥な格好は! 恥を知らんのかバイカル家は!」
鼻血を拭いながら、血走った目でビキニ姿のサーシャを凝視するジョン王子。
彼女の内面を知っているため、顔を顰めながらそのサーシャの姿が映されたパンフを踏みにじった。
「お嬢様も必死ですなぁ。ですが、殿下……お気づきでございますか? 彼女がいぬ間に、わたくし、既に『ノヴァーリス商会』への挨拶回りを済ませております」
「……挨拶、だと?」
“お気づきなワケないだろうが、今さっき知ったんだぞ”という言葉をグッと飲み込んで、王子は訊き返す。
「はい。彼女の拠点である海の家にはペンキをブチ撒け、夜闇に紛れてボヤを出し、生意気な従業員には辻斬りを差し向けて足止めをしておきました。……今頃、あの場所はただの『廃屋』でございます」
「……、……フッ。血も涙もない男だな、ビック・ブラック。……だが、不敬な女に現実の厳しさを教えるのは、王族としての慈悲というものだ。……そうか、廃屋か」
ジョンは先ほどまでの怒りをどこへやら、口角を醜く吊り上げた。
「当日は、砂にまみれて泣き叫ぶサーシャが見られるというわけだな。クックックッ……」
「すべては殿下の掌の上、歴史の必然でございますよ。ヒヒッ……」
静かな玉座の間に、二人の下劣な笑い声が響き渡った。
一方、そんなこととは露知らず。
マリーン・ヴェイルの別荘の寝室では、一人の「男」が、バトンタッチの時間を静かに待っていた。
◇
「今日の十二時だな……」
俺はベッドの上で、ほのかにむくんだ手を握り締めた。
今回は少し長引いたが、どうやらリハーサル最終日には間に合いそうで安心した。一時はこのままスプリングフェスに突入しちまうんじゃないかとも思ったが、杞憂だったらしい。
明日、『アレックス』としての俺は再び精神の底へ沈み、主導権は『サーシャ』に切り替わる。五日間の孤独な役目も、ようやく終わりだ。
「ようやくですか」
隣で寝巻に着替えたミヤハが、大きな溜息をついた。
「寂しいか?」
「まさか。冗談も鏡を見てから言ってくださいよ。私にはすでに、シュガーライク様という心に決めた方がいるので」
「そうか。そいつは何よりだ」
俺は枕に頭を沈めた。
唯一の心残り――ミヤハの行く末も解消され、心なしか少し気分がいい。
あと何度、こうして浮上してくるかは俺にも分からないが、この長い徒労にも、ゆっくりと終わりが見え始めていることは何となく感じる。サーシャという『器』が、俺の手を借りずに毒を処理できるほどに成長し始めている証拠だろう。
外の喧騒がかすかに耳に届いているが、それもサーシャなら問題なく解決できるはずだ。
どうやら今回も、心おきなく眠りにつくことができそうだ。
「それじゃあ、そろそろ眠るとしよう。ミヤハ、灯りを落としてくれ」
「……おやすみなさい。アレックス」
「おやすみ、ミヤハ」
灯りが消えると同時に、俺の瞼は急激に重くなり始めた。
身体が、俺という人格を切り離して、本来の主を迎え入れるための休息を求めているんだろう。
俺はスクエア型の眼鏡を外し、結んでいた髪を解いた。
視界がぼやけ、色彩が戻ってくる感覚の中、俺は意識を手放した。
◇
キョーキョーというカモメの鳴き声で目が覚めた。
なんか仰山寝たような気がするけど、またいつものアレやろうか。
隣を見れば、疲れた顔のミヤハが横で眠っとる。
うん、たぶんいつものアレやな。
「サーシャ様……?」
「おはようさん。ミヤハ、また私、倒れてたん?」
「はい。五日ほど経っております」
欠伸をしながら伊達眼鏡をかけるミヤハの言葉に、私の意識は完全に叩き起こされ、全身に血流が逆流した。
「い、五日ッ⁉」
やばいやばいやばい、てことはあれか。
リハ前に起きるつもりが、もう準備期間も終わって最終調整日やんけ!?
「ミヤハッ、すぐに着替えるで!」
まだ日は昇りきってへんけど、そんなことは関係ない。
モーニングティーを流し込み、髪を梳かし、光速でメイクを済ませる。私は馬車を飛ばして、マリーン・ヴェイルの砂浜へと向かった。
馬車の中でミヤハが用意してくれたフルーツを口にしながら、静まり返った街並みを窓越しに見る。人通りはまだ少ないけど、資材を運ぶ荷馬車の量は五日前とは段違いや。
何より、宿泊施設の前に並ぶ馬車の数が半端やない。
「あの保養所の前……馬車だけでも三十台はあるんちゃうか?」
高級リゾート施設の門前には、主人が起きるのを待つ御者たちが、各々の馬車で居眠りしながら番をしとる。なんとも奇妙な光景や。
「客も何日も前から泊まり込みで、準備万端って感じやな」
「格安の宿から娼館まで、すべて満室との噂ですよ」
「くぅ……スプリングフェスがこんなに巨大な祭りやって知ってたら、ボロ宿を買い取ってリフォームして大家になったのに~!」
「サーシャ様、ここ一帯の物価は、毎年王都の一等地と変わりませんよ」
「ほんまかいな。……まあ、みんな考えることは同じっちゅーわけか」
あっちゅー間に砂浜に到着すると、そこには釣り人よりも多くの商人たちが集まっとった。誰もが血走った目で、最終リハーサルに向けての準備を始めとる。
「出店の数、百……いや、二百はあるな」
「報告では二百店舗という数字が届いていましたよ」
ミヤハから受け取った資料に目を通す。確かにマリーン・ヴェイル中の店が集結したような、圧倒的な物量や。
「……負けてられへんな。行くでミヤハ! ノヴァーリス商会の城がどうなっとるか、拝みに行くんや!」
軽い足取りで、砂浜を歩く。私たちの拠点となる海の家は、中央からはちょっと遠い端っこの方やけど、おかげで倉庫のある洞窟と、その上にあるマリーン・ヴェイル駅からは近い場所にあった。
駅から降りてくれば、そのままうちらのかき氷の看板に眼が止まることやろう。
───さてさて、どんな立派な外装があれから加わったのやら。心配半分、楽しみ半分と言ったところか。
カモメがキューと鳴いているような朝の砂浜を、ブーツでザクザクと踏み進んでいく。すると自分達の海の家が見える前に、その近くにできた巨大な建造物に思わず目が奪われた。
「な、なんやこれ……⁉ 王宮三ツ星受賞のビック・ブラック屋⁉」
三店舗の敷地を使って建てられた違法建築物には、そうデカデカと豪華な看板と装飾の施された大理石の店が立っとった。
一夜城ならぬ、五日城。どんだけ金を掛けたのか想像もできん、巨大な店の登場に私は一瞬目を白黒させたけど、店がデカいからと言ってそこの商品がイイとは限らんと、心に喝を入れて、私は自分の店に向かう。
あまりの物量攻勢に目眩がしたが、本当の「絶望」はその隣に鎮座しとった。
ザッ、ザッ、ザッ……。
足を止めた私の前。朝日を浴びて輝くはずの「海の家」は。
見るも無残に焼け焦げ、無惨な「黒い炭の塊」へと変貌しとった。
「…………な」
壁にはどぎつい色のペンキがぶち撒けられ、柱はボロボロ。
リハーサル最終日。今日から稼働するはずの私の戦略拠点が、跡形もなく破壊されとる。
「ど、どないなっとんねん、これええええええ!!?」
悲鳴のような絶叫が、静かな朝の砂浜に響き渡った。
高評価・ブックマークが執筆の燃料になります。
ブックマークして、次のお話も読んで下さい(強欲)!
それではまた、次のお話でお会いしましょう。(´・ω・)ノシ




