蒼の洞窟でロマンスの予感? ───マイクロビキニの令嬢は銭の金庫を掘り当てました
“ついて来てほしい”というヴァイノの誘いに乗って、海の家で手の空いたフロストを連れて砂浜を歩くこと五分。あっという間にその場所には到着してしもうた。
「……なるほど、ここが『近くて、涼しい場所』か」
未だに太陽が頭上で輝き、陽炎が立ち込めるような時間だというのに、確かにそこからは冷気を感じることができた。
砂浜の端、岩場にある入江。たまに頭上からゴトンゴトンと列車の走る音が聞こえてくるこの不思議な場所は、どうやらマリーン・ヴェイル駅の下に位置する、『海食洞』のようやった。
入江から空を見上げたら、視界の端にヴァイノがよく絵を描いてるラウンジを見つけることができる。
ココがどうやら、ヴァイノが見せたかった場所で間違いないようやった。
「こんなところがあったんやな……」
人気のない場所に、人が横並びで二人分歩けるほどの細道が洞窟に向かって伸びていた。光源は太陽の光が反射していて、洞窟に流れる水路が光源の代わりを担っているようで、灯りの心配はいらなさそうだった。
「入り口は波に削られて狭いですが、中に入ると、駅の下だというのに驚くほど静かで……真夏でも絵具が乾かず、息が白くなるほど冷えているんです」
ヴァイノの説明に耳を傾けながら、洞窟の壁に触れると、石灰岩と思われるヒンヤリとした質感と手に白い粉がつく。洞窟の奥が更に冷たいというのも間違いやなさそうやった。
このまま引き返すのは勿体ないと思い、私はそのまま中に入ることを提案すると、二人とも了承してくれたので、ヴァイノを先頭に案内役として立てながら三人で洞窟探検としゃれこむこととなった。
◇
「サーシャ、寒くないか? その……だいぶ、涼しそうな格好だが」
背後からフロストが、心配と困惑が混ざったような声で訊ねてきた。
「も、問題ないわ……。商売人は、常にクールでおらんとあかんねん……」
私は強がって見せたが、実際は笑えんくらい寒かった。
洞窟の一歩奥へ足を踏み入れた瞬間、湿り気を帯びた冷たい風が、遮るもののない私の肌――正確には、布面積が数パーセントしかないマイクロビキニの隙間を、容赦なく通り抜けて行きよった時から、後悔はすでに始まっとった。
”おしゃれはガマン、とか一瞬頭に過ったけど……たぶんこれはちゃうな”
うん、と頷きながら、諦めてヒタヒタと歩き進めて行く。せっかく二人がついて来てくれてるのに、『寒いから』なんてワガママな理由で引き返してもらうのは、精神的に私から言うことは無理やった。
そんな私の気を紛らわせるように磯の香りは次第に薄れ、代わりに鼻腔を突いたんは、冷気を閉じ込めた岩肌特有の、硬く湿った匂いやった。そうして暗がりに目が慣れるにつれ、波の音は遠ざかり、代わりに自分たちの「ヒタ、ヒタ」という足音と、どこか奥で滴る水音が不気味なほど鮮明に反響し始める。
「サーシャ、足元は滑りやすいから」
そう言って差し出されたフロストの手。
「───」
その自然な仕草に私は思わず普通に手を取りそうになって、反射的に。
ぴょん。
と、半歩。後ろに飛び退いてしまった。
合理的でスマートな紳士の立ち振る舞いで、そこに下心など微塵もないことは百も承知の上で。
きっと湿気で滑りやすい地面で、私が転ばんようにケアしてくれていることも、よく分かっている上で、逃げてしまった。
そしてこともあろうに、十八歳乙女の脳みそはそこらへんを自分都合に解釈してしまう。
“私だから手を差し伸べてくれているのではないだろうか”などと、都合のいい解釈をしてしまう。
「ぐぬぬぬぬ……」
そこにはある種の優越感と安心感がないまぜになった状態で、『彼の手を取るかどうか』の判断をするための脳内会議が行われるほどには、私の胸中は穏やかではなかった。
「サーシャ?」
彼が名前を呼ぶせいで私の心は一瞬、乙女と少年の心に分離してしまう。
主に体を司る乙女の私は、『フロストはこの機に乗じてどさくさに紛れて手を繋いで私との距離を詰めようと考えているのです。その手には乗ってはなりません』といっている。
一方で理性担当の少年は、『彼の行動はコケそうな娘を見守る心配性の父みたいやで?キョロキョロしとって心配だ、みたいな心情が顔にアリアリとでてるやないか』と言っている。
“はぁ、どうしてこう考えることが違うのか”
私は悩んだ。
私はどちらかの選択肢しか採ることはできない。そしてそれは無意識に彼の手に触れた瞬間に決着がつく。私の顔が上気すれば、乙女心が。信頼を元に彼の手を握り返すことができれば、少年の心が勝どきを上げるのだ。
私は自分の理性を信じて、渋々といった様子で彼の手に手を重ねた。
「───」
握った手が汗ばむ。彼の匂いがとても近くに感じられた。いや、物理的に近くなっているんやろう。入江から歩き始めて少しずつ狭くなっていく通路で、自然とフロストとの距離は近くなっていた。
私は何とか掴まれた手を握り返そうとするも、上手く手に力は入らんかった。
結局今回は乙女心の方が勝ったようで、私は俯いたまま彼の手に集中することになったからや。
“仕事のこと考えなあかんのに何を浮かれてるんや、私は”
理性の私は、感情の私にそうツッコミを入れるけど、こればかりはもうどうしようもなかった。
「ココは凄いな。洞窟の全部が……青で満ちている」
私の理性が再び浮上してきたのは、フロストの漏らした感嘆の声によってやった。
狭まっていた視界が一気に開けていくような感覚と一緒に開けた視界。
そして───
「──────」
そして思わず、肺に残っていた空気が全部漏れ出すほどの絶景に───あぁ、という言葉だけが青の世界に溶けていった。
「凄い景色だな。サーシャも見てるか?」
フロストの声に、私は気の抜けた嘆息だけで返す。
洞窟の中は、太陽光が海の蒼を揺らめく網目模様に反射し、岩肌を紺碧に染め上げる絶景が広がっとった。
私は立ち止まって、声にしてはならない感動を全身で浴び、ゆっくりと瞼を閉じる。
……目で味わった後は、忘れないように脳で味わうのが私のやり方、流儀といってもよかった。真っ暗な脳裏に、さっきの鮮やかな蒼を焼き付ける。そして、その静寂の中で次に考えるのは実利のことやった。
(この静謐なら、私の氷を預けられる。外の地獄のような熱気から守れるし、何より一番美味しい状態で客に届けることができるやろう。……ええやん。ここが、ノヴァーリス商会の『心臓』になるんやな)
再び絶景に目を開け、私は確信を持って一歩を踏み出した。
紺碧の深みが無限に続くような空間に、三人の足音だけが心地よいリズムで反響していた。
◇
「こんなに海が輝いて見えるのは、石灰が沈殿した海底だからだそうです。光は平らな場所だと綺麗に反射するのだと……。昔いた画家の知り合いが……そんなことを教えてくれました……」
前を歩くヴァイノは小さな声で、面白いマメ知識を私たちに教えてくれる。人と話すのが苦手なのかと思ってたけど、実は内気なだけで、自分の好きな領域の話なら口が滑らかになるタイプなのか。あるいはこの神秘的な青に当てられて、少しだけガードが下がったか。
「……両方か」
「サーシャ、何か言ったか?」
「ううん。なんでもない」
洞窟の奥に進むにつれて、天然の照明は少しずつ失われていく。それでも入口からの照り返しが、濡れた岩肌に反射して、足元をぼんやりと照らし出しとった。角度のある朝方なら、もっと鮮やかな蒼が見られるんやろう。
「観光地になってないのが不思議でならんな」
正しく画家たちだけが知る秘密の入江なんやろう。
「……着きました。ココが洞窟の最奥です」
歩くこと十分足らず。洞窟の行き止まりはすぐにあった。
行き止まりの岩壁には、探検家でもなければ通り抜けられへんような狭い隙間があるだけ。一般人の足が届くのはここまでらしい。
「ここなら氷を置いても、誰にも迷惑をかけなさそうだな」
フロストは嬉しそうに私の手を引いて、辺りを見て回る。
確かにここなら大量の氷を置いてても邪魔になることはないやろう。
そして何より、数十分歩いただけやというのに、気温はグッと下がって、五度から七度といったところまで体感温度は下がっとる。氷を眠らせるには、これ以上ない極上の寝床や。
……それでもまだ体が暑く感じるのは、まぁ、こっちの事情もあるやろう。
「どうでしょう、ここなら氷の保管場所になりませんか」
ヴァイノは振り返って、少し満足気に訊くと、後ろで私たちの繋がれた手を見て、少し気恥ずかしそうにそっぽを向いた。
「え、ええと思うわ……つ、連れてきてくれてありがとうな……!」
私は急いでフロストの手を振りほどいて、背中の後ろで手を組んだ。
ココには光源としても使える天然の水路があるから、小舟を使えば搬入も搬出も自在にできる。大通りを通らずに、最短ルートで店舗に氷を送り届けるという目標もこれで達成されたというわけや。
問題があるとすれば、搬入作業は夜の内に済ませるつもりやけど、夜間は太陽の灯りがないから、松明でも壁にかけて作業することになりそうだと言うことぐらい。
私はホッと胸を撫でおろすことができた。
「この洞窟は誰が見つけたんだ?」
帰り際、フロストが何気なく問いかけた。
ただの雑談のつもりなんやろうけど、こいつが聞くとその内なるカリスマ性が漏れ出して、まるで『王による尋問』みたいな重苦しい風格を漂わせてしまう。
「え? ええと……この洞窟の所有権とか、そういうお話でしょうか……?」
「ん?」
「いやフロスト、普通に誰が最初に見つけたか聞いてるだけや。……ヴァイノさん、アンタが見つけたんか?」
「は、はい。偶然、岩肌のデッサンをするために歩いていて……」
変ですよね、と追い詰められた小鹿のように震えるヴァイノ。彼にはフロストが巨大な怪獣にでも見えてるんかもしれん。まああながち間違いでもないんやけど。
「君の絵は現実の風景を切り取ったみたいに繊細だった。俺はああいった絵は見たことがないけど、最近の流行りなのか?」
フロストは小鹿の震えに気づく様子もなく、純粋な興味で畳みかける。
こいつは専門分野を持つ人間を見つけると、その見識を広げようとガツガツ食いつく癖がある。それがなんの役に立つのかはさておき、フロストにとってそれは最高の『娯楽』なんやろうということは、何となく察することができた。
「僕の絵は……流行とは程遠いかもしれません。何もかもをありのままに描く。それが良いこととは限りませんから」
ヴァイノはそう言って、悲観とも諦念ともとれる笑みを零れ落とした。
(……『ありのまま』、か。それが売れへん理由やなんて本気で考えてるうちは、まだまだやろうな)
私は暗闇の中に消えていくヴァイノの背中を見つめながら、私はつい彼が『爆売れ』させるための秘策を口にしそうになって……慌てて飲み込んだ。
「……せや。この話、ウルスラに金貨十枚で売ったろ」
ニヤリと笑みを浮かべて、私は入江を後にした。
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