フロスト外伝:蛮族殺しの悪魔と黄金の獅子
今回ギャグ抜きシリアス多めです。
マリーン・ヴェイルの夜は、潮騒と喧騒が混ざり合い、独自の熱気を持って更けていく。
月明かりが石畳を青白く照らす中、フロスト・ヨトゥンヘイム公爵は、隣で千鳥足の婚約者を支えながら別荘への道を歩いていた。
「……見たか、フロスト。あの店主の、顔……。氷でキンキンに冷やしたグラス握った瞬間、魂抜けたみたいな顔しとったやろアイツら。……ケケケッ、あれで明日からはもうぬるいビールは飲めへんで……そういう呪いを掛けたんや」
サーシャの声は、酒のせいでいつもより少しだけ高揚して、子供のような無邪気さを孕んでいる。
“自分より七つも歳下なんだ、子供っぽいじゃなくて、全然まだ子供なんだよな”
フロストはそんな事を思いながら、彼女が躓かないように手を貸しながら歩く。
あれから、寿司屋『ソーマ』を皮切りに、彼らはさらに三軒の酒場を「侵略」するように回った。
結果、計四件の小口契約を締結。一晩で弾き出した前受金と成約見込み額は、当初の目標であった金貨十枚を軽々と超え、十七枚に達していた。
「ああ、今日は一段と凄まじかった。……だけど、少し今日は飲み過ぎだぞ。足元がふらついてる」
自分を添え木のようにしながらも、隣を歩くお姫様の心配をする公爵。これではどちらが目上の人間か分かったものではなかった。
「……へーきや。私……、こう見えて酒には強いんやから。……酔っても明日には残さへんねん」
別荘の重厚な扉を潜り、ホールへと辿り着くと、彼女は糸が切れたようにヘタリ込んでしまう。そのまま眠りに落ちようかというところで、フロストは彼女を抱きかかえて持ち上げた。
護衛として背後に歩いていた臣下たちには、今日一日の労いを込めて「ご苦労」とだけ告げ、解散を命じる。すると護衛たちは蜘蛛の子を散らしたように、別荘の一室へ次々と吸い込まれていく。
彼もそうしたい気持ちは山々だったが、それをするにはまだもう一つ、自分にしか任せられない仕事が残されていた。
「少しだけだから許して欲しい」
彼は彼女のために用意した寝室へ、彼女の軽い体をヒョイ、と掬い上げて運び始める。始めて彼女の体に触れて、フロストは彼女の体が思いのほか引き締まっていることに気づく。
「……令嬢というのはみんなこんなに均整の取れた筋肉をしているのか?」
しなやかな筋肉は人工的に調整されたあとがある。機械トレーニングか柔軟、あるいはその両方を取り入れていると思われる筋肉の構築。
多くの令嬢が持つ肉の柔らかさとは、退化を意味するものが多い中で、この抱きかかえられた少女の筋肉はどうだろう。
弾き返すような筋肉を軸にしたぷるぷるとした脂肪の着き方。
しなやかさ、とでも表現できる筋肉の着き方をしている。観賞用や愛玩用のような肉の着き方だとフロストは思った。
不要な場所の肉は削ぎ落し、強調させる部位に肉が集約するように企てて作られた歪な肉体。それはコルセットなどで機械的に歪められた体とはまた別種の、ストイックな責め苦がなければ成立しない肉体であることは一目でわかった。
「腕やウエストは細いのに、胸やお尻がやたらと大きいのはそのせいか……?」
王宮で彼女がどのような扱いを受けていたかは知らない。だが、国母となるために教育された女性がどのような精神と肉体を求められるかは、想像を絶するものだろう。
それ故か、彼女は王宮での生活を口にすることはない。
彼女が話すのは全て未来の、これから起きる“楽しい”未来の話だ。そこに生まれるはずの淀みも、苦労も全て彼女は見せる素振りすらない。
彼女のことを助けようにも、そこに取り付く島もないというのが現状だった。
「君には返せない恩がたくさんある。領地を離れることのできなかった俺の前に、命の危険があったにも関わらず来てくれたこと。
たくさんのデモ隊が昼夜取り囲んでいたのに、弱音一つ吐かず、それどころか火種の元であった領地の食料問題まで解決してくれたこと。
俺の仲間を卑下するわけでもなく、同じ目的のために戦ってくれた戦友として労わり、慈しんでくれたこと。
なにから恩返しができるかはまだ分からない。……せめて君の傷がどこにあるか分かればいいんだけどな」
フロストは誰も見ていない場所で、悔しそうな表情を浮かべる。そうして、またその顔を水面下に沈めると、また泰然としたおおらかな表情で彼女の寝室をノックする。
コンコン───
───返事はない。
「もう寝ついてしまったかな……」
再度ノックをする。
すると、
部屋の扉はナイトキャップを被ったミヤハが眠気眼を擦って開けてくれた。
「公爵様……⁉」
先ほどの眠気など吹き飛んだ様子で、部屋に二人を通す。
そこからミヤハは驚いた様子を落ち着かせながら、フロストからサーシャを譲り受けようとした……が、フロストは首を振った。
「ベッドまで少しだから運ばせてくれないか?」
否とは言わせぬ公爵の物言いに、ミヤハは小さく頷く。
「も……申し訳ございません。でしたら、よろしくお願いします」
ミヤハは扉の隣に立って、気まずそうに公爵が部屋の天蓋付きベッドに自分の主を寝かしつける様を、ガラス窓から暗い月明りが差し込む中で見つめていた。
フロストの手を借りてベッドに倒れ込んだサーシャは、プラチナブロンドの髪を扇状に広げ、熱を帯びた吐息を漏らした。
サファイアの瞳はとろんと潤み、頬は極上の林檎のように赤く染まっている。
幼さを残す彼女の美貌は、これからより美しくなるのだろうという未来図を、誰の目にも容易に描かせるもので、彼はベッドの端でその端正な顔を近づけながらまじまじと彼女の顔をみつめていた。
この安からな寝顔から、誰が金勘定ばかりを口にする女傑だと予測できるだろうか、とフロストはクスクスと笑う。酔って会話のスピードが普段の倍速になっていた彼女のトークについて行けるものなど、他になく。
寿司屋から梯子した酒場でも、フロストやその場の人々をも巻き込んで、彼女のトークショーは絶え間なく続いた。
周りに商人がいれば目を輝かせるような未知の稼ぎ方について喋り続ける彼女は、黄金を口から吐き続ける金獅子のようだと誰かが言っていたのをふと、彼は思いだす。
「『金獅子』か。髪の色といい、噛みついたら離さなそうなところといい、ピッタリな名前だな。王国を裏で支配しようと目論む『氷の魔女』なんて異名より全然いい」
彼女を裏で小馬鹿にする悪名は十や二十では済まない。
王国によって流された風評被害によって、彼女の名誉が各地で著しく汚されているのは言うまでもないが、本人がそれを一番気にしてため、自分が気にするのもどうかと思い、彼もまたそういう手合いの相手をしないようにしていた。
そして領地内にそのような者がやってきた場合は、なるべく彼女の眼に触れないところで始末をする。サーシャには見せるつもりのない彼の冷酷な一面が、敵には容赦なくその牙を剥いていた。
彼女がそんな事を望まないことはわかっている。そんなことはきっと金の無駄とでも言うだろう。しかし、フロストはこの処罰をなんら間違いではないと思っていた。自分の婚約者の悪口を言うヤツは全員始末する。
そんな単純な快・不快の区別で人殺しをすることこそ、彼女の最も嫌うところだが、それは彼の関知するところではなかった。見つかれば喧嘩になることぐらいは容易く予想できたが、たかがその程度の代償で彼女の日常に一時の平穏が訪れるのであれば、彼はそのぐらいの咎を受ける用意があった。
それほどまでに公爵が彼女に入れ込んでいるんなどと、一体誰が予想できたであろう。他国を非難しては戦争を吹っ掛け侵略を続ける蛮族殺しの悪魔が、領地に留まり、あまつさえ婚約者のご機嫌とりなど。
関係者全員がひっくり返って頭をうつような異常性だ。そしてそれをさも当然のことのように受け入れている子爵令嬢もまた、公爵を洗脳しているように大衆の眼には映り込んでいた。歴史は彼女をあらゆる男を手玉に取る悪女と記すことだろう。
そんな彼女は絶賛口を開けたまま涎を垂らして、幸せそうな微睡に体を泳がせているところなのだが。
「んん……ウへへ……大儲けやぁ……フロストみてみぃ……金貨のプールで寒中水泳やぁ……」
支離滅裂な夢の内容を語りながら、手をバタバタとするサーシャ。
ここで返事をすると夢から覚めない、そんな物騒な話をフロストは思いだし、クスクスと笑って、彼女の髪を優しく掻き分ける。
「夢の中にも俺はいるんだな……凄く光栄だよ」
それから長居は不要だと思っていても、中々この機会を逃すのは惜しいと思ったフロストは、もう少し間近で自分の婚約者の顔を眺めていようと、顔を近づけて見つめていたところ、すぐにそうも言ってられない状況に陥った。
「ウゥへ……熱いってぇ……」
泥が跳ねたり、おつまみの染みがついたりした白のワンピースを、無防備なお姫様がうざったそうに肩ひもをサーシャが外そうとし始めたからだ。
“ま……まずい!”
何がマズいのかは本人も理解していない。ただこのまま視界にそれを収め続けてしまえば、自分は理性に何か不具合が生じると本能的に嗅ぎ取ったのかもしれない。
フロストは急いで顔を背ける。
自分はこれ以上ここにはいられない。直観的にそう悟ったフロストはベッドの端から立ち上がると、あとのことはメイドに任せて自分は立ち去ることにした。
「よろしいのですか?」
気配を消していたメイドは暗がりの中主人の婚約者に問う。
部外者であればいざ知らず、フロストにはその権利がある。ここまでお膳立てされた状況を作ったのは自らの主人の不始末でもある。そこらへんは痛い思いをして覚えて貰ってもいいと考えていたメイドにとっての、これは甘い誘惑でもあった。
「どういう意味だ?」
穏やかな男の声が闇夜に響く。彼女と会話するのはコレが初めてのことだった。
自分の婚約者のメイド、彼女の秘密の多くを知るであろう一番の理解者が、彼に向きなって、真剣な眼差しを向けていた。
「婚約者様です。その程度の“覚悟”は彼女だって───」
そう言いかけた口を止めるように、フロストは言葉を被せた。
「いや、それは違うと思うぞ」
ミヤハは月明りの中、彼を見上げた。
彼がどんな表情をしているかは分からない。
ただ、初めて当てられた感情に彼女は小さく、肩を震わせた。
「そう………ですね」
「ああ。それじゃあ俺は失礼する」
「出過ぎた真似を致しました。申し訳ございません」
「構わないよ。それがメイドの務めを越えていないのであればね」
明確な殺意。
常人が浴びるには濃すぎる殺気を、一瞬とはいえ彼から浴びせられた彼女は委縮して、ただ扉の前で佇むことしかできない。
何が彼の逆鱗に触れたのかはミヤハには分からない。ただ、変わり者のサーシャを気に入るぐらい、彼もまた変人なのだということ今晩彼女は思い知ったのだった。
「てっきり酔わされて、そのまま……なんて思っていたけれど。下衆の勘ぐりだったようですね。良かったですね、サーシャ様。彼が理性的な人で」
ミヤハはそう言うと、背中に隠し持っていた燭台を暖炉の上に戻して、彼女を寝巻に着替えさせる。その手は不出来な妹の着替えを手伝う姉のようであった。
本編の『氷』の物語とは全然関係ないですが、フロストの外伝をなぜか書きたくなったので書きました。
面白いかどうかは置いといて、フロストの理解が深まる回になったかと思います。今まではどうしても、都合のいいただのヒーローだったので。




