公爵領は寒すぎる
馬車の窓から見える景色が、白一色の暴力に塗り替えられて久しい。
「……暖房なしの北海道やな。死ぬど、これ」
吐き出す息は白を通り越して、ダイヤモンドダストのようにキラキラと凍りついている。 私は手元の資料を閉じ、膝の上の毛布を握り締めた。
目の前にそびえ立つのは、ヨトゥンヘイム公爵邸――という名の、巨大な石造りの砦や。 太い円柱状の石塔がいくつも立ち並び、急勾配の黒い屋根が被さっている。
「あれ、雪かきコストを削るための設計やな」
「お嬢様、初手で維持費の計算をするのはおやめください。もっとこう、北国の神秘に感動するとか……」
隣に座る侍女のミヤハが、伊達眼鏡をクイと押し上げながら呟く。
「アホ。神秘で飯は食えん。……行くで」
馬車が泥濘の中を通り抜け、中庭へと滑り込む。 ドアが開いた瞬間、ヒュオオッ!と鼓膜を突き刺す地吹雪。 私はドレスの裾が汚れるのも構わず、那由他彼方の悪路を踏破し、出迎えの者たちの前に立った。
「出迎えご苦労。私はサーシャ・バイカル……って、なんやあれ」
挨拶が凍りついた。 整列した使用人たちの最前列。そこに、直立不動の「狼」がおった。 首から下はパリッとした軍服。首から上だけが、最高級の毛皮で作られたリアルすぎる狼の被り物。
「……ワン!」
狼男が、腹に響くような良い声で鳴きよった。
「申し訳ありません、バイカル様。当主のヨトゥンヘイムは取り込み中でして。代わりに、この……『私の愛犬』の相手をしてやってくれませんか?」
忍び笑いを噛み殺しながら歩み出てきたのは、クリーム色の髪をしたインテリ風の男――補佐官のシュガーライクや。
(……この眼鏡、後で裏切る顔しとるな)
「愛犬……? どう見ても二足歩行の不審者ですけど」
「いえ、犬です。人語は解しますので」
シュガーライクはそう言い残し、私と「犬」を応接間に放り込んで去って行きおった。
◇
広い客間に、私と狼男が一匹と一人。 暖炉では薪がパチパチとはぜているが、目の前の狼男は被り物を脱ごうともせず、じっと私を見つめてくる。
「……暇やな」
私はソファに深く腰掛けた。革がギィギィと鳴る。 相手が公爵なら猫を被る必要もあるが、相手は変な被り物をした不審者だけや。緊張するだけ無駄やろ。
「どしたんワンコ。……あんたのご主人様、私に興味なさそうやな。こんな辺境まで来させておいて『犬と遊べ』とは。不渡り掴まされた気分やわ」
「くぅ~ん」
犬の分際で困ったような声を出すので、私は少しだけ毒を吐くことにした。
「正直、不安やってん。ここの公爵様は『蛮族殺しの悪魔』なんて呼ばれてるし、無理な徴収で領民を飢えさせてるって聞く。顔が良くても中身がシリアルキラーやったら、損切りして逃げるしかないしな」
狼男がピクリと耳を動かした。 彼は懐からスケッチブックを取り出すと、サラサラと何かを書いて見せてきた。
『もし、あなたがここの女主人になったら何をする? ワン』
「喋れへん設定は守るんかい。……そうやな」
私は身を乗り出し、狼の瞳の奥を見据えた。
「私なら、この『寒さ』を売るわ」
狼男が、不思議そうに首を傾げる。
「この領地には一年中溶けへん氷があるやろ? これを使えば、肉や魚を腐らせずに遠くまで運べる。『冷蔵物流』という名の革命や」
私は指を折りながら、脳内そろばんを弾く。
「氷を使えば、世界中の美味いもんがここに集まるし、ここの特産品を新鮮なまま世界に届けられる。そうなれば、領民はお腹いっぱい食べられるし、金だって潤う。……あんたみたいな変な被り物してる人にも、もっと美味いもん食わせてやれるで」
これは、私がここで生き抜くための経営戦略。 狼男は身じろぎもせず、私の言葉を聞いていた。その瞳が、被り物の奥で真剣な光を宿しているように見えて、私は思わず手を伸ばす。
「ハハッ、大人しく聞いてくれてありがとうな。ワンコ」
ワシャワシャと、毛皮の上から頭を撫で回す。 その奥にある体温が、シルクの手袋越しでも分かるくらい熱い。
「なんや、意外に可愛いやんけ」
そう笑った、次の瞬間だった。
「……ワン」
短く鳴くと、狼男は迷いなく被り物をスポンと脱ぎ捨てた。
現れたのは、汗で濡れた黒髪。 獲物を狙うような鋭さと、燃えるような熱を孕んだ黒い瞳。 肖像画の百倍はマシな――いや、もはや景品表示法違反レベルで男前の、ヨトゥンヘイム公爵フロスト。
「……へ?」
その「中身」と目が合った瞬間、私の脳内レジは、景気良く爆発した。
毎日投稿です。
たまに修正もいれます。
よろしくお願いします。
リアクションされると喜びます。
それではまた、次のお話でお会いしましょう。(´・ω・)ノシ




