三頭会議───ナニワの令嬢の兄は、国の売り込みに来たようです。
ジョン王の精神崩壊一歩手前の慟哭が、フロストの足を奇しくも止めた。罰は罰として与えるこの男にとって、これは珍しい衝動だと彼は淡泊に分析する。
何が原因でこのナメクジのような顔の声に足を止めたのか。彼がサーシャの婚約破棄をした張本人であったことに思い当たった。
サーシャにとっては大きな屈辱となったその日は、フロストにとっても運命を変えた日として記憶に新しい。
前々からサーシャの卓越した国家運営の手腕に惚れこんでいたフロストは、何とかして自分の領地に彼女を取り込みたいと考えていた。だが王子の婚約者という立場がそれを難しくしていた。
相手は母国を統べる王子の婚約者。略奪することはできないフロストは、極寒のヨトゥンヘイムで戦争を続けながら、密かにその高嶺の花を眺めることしかできなかった。
そんな時だった。ジョン王子からの婚約破棄の報告を間諜から受けたのは。
その瞬間、フロストは世界が極彩色に塗り直されたような感覚に包まれた。脳内麻薬が分泌され、圧倒的な幸福感に浸され、生を実感した。婚約破棄という言葉が血と共に全身を駆け巡り、彼を高揚させていた。
王子を馬鹿だと思う気持ちと、これなら自分の傍に置けるという支配欲が交わり、死にかけるほどの快楽で破裂しそうであった。
しかしこれは、言い換えるならば、彼のとてつもない愚かさから生まれた縁ともいえる。だからか、フロストは彼の処遇についてもう少し考えてもいいと思った。
だが、逡巡の末に彼が出した答えは沈黙。ポリポリと頭を掻いて、やはり彼には絶望が似合いだと思い、扉に手を掛けた。しかし、その僅かな逡巡が未来を変える。
扉はフロストが力を込める前に捻じられ、開かれた。
正面に立っていたのは、平均的で中肉中背、これといって特徴のない男だった。強いていえば、白い手袋が特徴的。あのサーシャの兄とは思えない無個性さが、かえって不気味な商人──アリステアがそこには立っていた。
「ご歓談の終わりに失礼いたします。フロストさん、ちょうどいい品をもってきました。少しお時間よろしいでしょうか」
「ここには陛下もいるし……別の部屋でしよう」
「いえ、この話は陛下にもご関係のある話でございます」
ドロドロに顔の溶けたジョン王は、フロストの背後から姿を少し現す。その様子を見て、アリステアは商機を確信したのか、指を一本立てて進言した。
「フロストさん、国を三つほど買いませんか」
◇
暗い部屋に蝋燭の灯りが小さく灯る。三人の男が机を囲んでいた。一人はぺしょぺしょに顔を崩した現国王、一人は事務的に戦争を終えた蛮族公、そして一人は、笑顔という張り紙をつけた飄々とした商人。
各階級の代表が揃った密談で、最初に口を開いたのは、この戦争の勝利者であるフロストだった。
「それで──国を売りたいというのは、どういうことかな」
今回の戦いが予算内に終わった安堵から一転、黒幕の登場にフロストの意識は臨戦態勢に入っている。この男さえいなければ、この戦争は起こらなかったのだ。
武器を売るために、不勉強なミズガルズの王を誑かし、ドワーフの国を巻き込み、戦争ビジネスを生み出した。彼こそは諸悪の根源だ。
「今回の件で私は敵を作り過ぎました。誰が、とまでは申しませんが。これでは今後の人生で少々肩身が狭い」
今この場で惨殺死体が生まれなかったことが不思議なほどの、全方面への挑発的な発言。ミズガルズ王は憎しみの形相で睨みつけている。フロストも面白くないと感じたのか、表情を穏やかな笑顔から無表情に切り替えていた。
次の言葉次第では、たとえ誰の兄であっても切り捨てる──そんなフロストの視線に、敏感なアリステアはゾクゾクとしたものを感じた。挑発しすぎだと、吹き出しそうになる感情を必死に抑える。彼にとって人生最高の瞬間だった。
彼にとっての味方とは、額に汗掻く労働者や商人であり、それらを支配する権力者は嫌悪の対象でしかない。そんな奴らが今や彼の前で雁首揃えて、彼を睨みつけている。
彼にとってこの状況は、ピンチではなく、死の淵と紙一重の遊技場でしかなかった。
「───なので良いことをしようと思いました。慈善事業です。みなさんよくやられていますよね。それも今回は妹に習って三方ヨシの方法で考えてみました」
三方ヨシならば、慈善事業ではないではないか。というツッコミをグッと飲み込んだのは、ジョン王だった。彼もまた国民へのばらまきなど、慈善事業に勤しむ王であったが、今の彼に発言権はなかった。
「今回の騒動、ミズガルズは再建不可能なほどの痛手を負い、今やゆっくりと滅びを待つのみの状況となってしまいました。政権奪取をするよりも残酷な処刑方法です。御見それしました。さすが妹の婚約者様だ」
妹の婚約者、というキラーフレーズによって積もった殺意が霧散する現場。その歪さを滑稽に思いながら、アリステアは話を続けた。
「ですが、このままミズガルズ王国が滅びるのは見ていて、心が痛い。聞けば、王妃と年端のいかぬご子息まで処刑なさるとか。民衆はさぞ喜ぶでしょうが、国家の運営には大打撃だ。外交カードを二枚も失うことになる」
彼の言葉は軽く、人の命さえも手札の一枚と言ってしまう辺り、道徳も皆無のようだった。そんな彼だからこそ、無慈悲なフロストに届く言葉があった。
「そんな手札を失った時、商売上手なウチの妹ならきっとこう言うでしょう。『あぁ! アカンアカン、勿体な⁉』とね」
突然、完璧なサーシャの真似をするアリステア。何処か面影さえ感じられる彼女のものまねに、ブフォ、と噴き出したフロストを見て、アリステアは笑みを浮かべた。どんなやり方でも客の心さえつかんでしまえば、後は押しの強さで何とかしてしまうのが、彼の常套手段。客であるフロストの趣向を突いた、重い空気を取り払う一発芸だった。
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