ニマーヌとアリステア───二人を乗せた馬車はアールヴヘイムへ
馬車がヴァナヘイムの城門を抜けてなお、二人の背には、あの絶対的な王の眼光が焼き付いていた。
天下を掌握し、民を率いてなお飽き足らぬ知略の獣───。あの賢王の面前で、わずかな言動の揺らぎも許されない極限の対話が、今ようやく終わったのだ。
黒い布で覆われた車内では、サーシャによりもたらされた新型の冷房設備により、冷気と乾燥がもたらされている。ひんやりとした革張りのシートにニマーヌは深く沈み込み、白い指先で自らの震える喉元をさすった。
「……心臓が止まるかと思いんした」
向かいに座るアリステアは、大仕事を成し遂げたばかりの安堵するニマーヌを一目見て、人を食ったような笑みで頷く。
「死線は越えたと言ってもよいでしょう。あの王は自らの差配で、我々をアールヴヘイムに向かわせたと考えている。我々にそう仕向けられたとも知らず」
「にしてもようやりんすなぁ……。ドワーフの国でも、あんな風にあの賢人会の老人どもを誑かしんしたか?」
無智を装った詮索に、アリステアは無言のまま、工作員から寄せられた報告に視線を走らせる。
「妾を無視する男は初めてです。……傷つくわぁ」
そうは言いつつ、ニマーヌは目の前の男に韜晦は無意味と分かるや、鼻を鳴らして法杖を突いて、はぁ~、と溜息をついた。
「あの毛玉の相手をするのも疲れました。可愛いところもありますが、少々甘えん坊がすぎます。気晴らしが必要でしょう?」
「その割には随分と巻き込んでしまいましたが、それについて良心の呵責は?」
「必要ですか?」
ニマーヌの言葉にアリステアは一度視線を上げると、再び報告書に視線を戻す。キャスパリーグ王の一番傍にいるだけあって、彼同様に寛容にして残忍なのだと、改めて認識する。
「貴女は平均から逸脱している。普通ではない」
だから嫌いだ、とまでは口にしない。普通でないものは、数式を狂わせる。世界に規格をつくる者として、例外はいるだけで面倒な邪魔者だ。そんな普通の感想をアリステアは抱いた。
「普通の女に王の妃が務まるものですか」
謎に自慢げな王妃のお言葉に、報告書に眼を通しながら、アリステアは「ごもっとも」と返答した。
◇
さほど舗装されていない畦道では、どれだけゆっくり移動してもある程度の揺れが生じる。
だというのに、涼しい顔で報告書に眼を通す商人に、ニマーヌはどこか人外じみた不気味さを見出していた。
「ドワーフの国で感情を無くすよう、体を機械にでもしんしたんやないかしら。まったく面白味のない」
書類にばかり目をやるアリステアをつまらなく思い、ツンツンとおでこを指先でつついで遊ぶが、当の本人は前向きに検討したらしく、
「体を機械に……実に面白い考えだ」
などという始末だった。
「……変な御方。妾の気まぐれに付き合ってくださる理由も未だに掴めぬままですし。もうそろそろ話して頂いても構わないのですよ? その人を食ったような性格も、いい加減面倒です」
同じ王を謀った共犯者だというのに、互いの利害関係を真に理解していないのは、ニマーヌであっても面白くない。アリステアは以前から「規格のため」という言い分を変えることはないが、それではこれだけの労力と時間を割く理由にしては少し薄いと感じていた。
「真の目的があるから手を貸すのでしょう。あの場所に」
「何ゆえそのような誤解をされているのです」
「エルフの勘です」
鷹揚な態度で微笑を浮かべる彼女は、その審美眼でアリステアという存在に興味を示していた。元来ニマーヌは、人の欲しがるものは全て手に入れたい性分。食えぬ男であるならば、なおのこと彼が興味を示すものは手に入れたいと、その気持ちが大きくなっていた。
「なぜそのような世迷言を口にされるのか、私には皆目見当もつきません。私は世界のルールを統一された世界で生きていたい。そのために動いているにすぎません」
「統一された世界で。あの場所は有利に働くのですね? 悪いようにはしません。アールヴヘイムで何かをしたいのであれば、妾を通しておくと何かと融通が利きますよ?」
あどけなさと美しさを兼ね備えた絶世の美女が、自信に満ちた表情で、全て曝け出すようにお願いをする。大抵の男であれば屈してしまうその美しさにも、この男にはとある理由から通じなかった。
「買い被りというものでしょう。貴女にはすでに多くの条項で同意して頂いています。その恩返しと思って頂ければ幸いです」
中々尻尾を出さないアリステアに、ニマーヌは少し頭を使って彼が何を生業にしていたか、今一度考えることにした。
(確か……香辛料と武器、確かこの男はそんなものを売っていましたね)
アールヴヘイムに香辛料はない。むしろそういったものは排する掟がある。となると武器の材料になるものがあの場所にはあるのかも知れない。
───そう考えた時、ニマーヌは自らの髪飾りについている珍しい貴金属について思い出した。
エルフの工芸品であるブローチだ。近くの洞窟から取れる偽物の銀と呼ばれる貴金属で、変色や錆に強く、美しい白い輝きを持つ。これを武器の装飾用に欲しい、というのはどうだろうかと考えた。
初代エルフの女王の名にちなんで、貴金属こう名付けられていた。
「もしや、アリステア。貴方が欲しているのはこの『プラチナ』ですか?」
「───」
アリステアは報告書を流し読みする視線を上げ、少し困ったように眉をひそめた。
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