孤城落日───キャスパリーグ王とアリステアの謀議
今回はサーシャのお話ではなく、キャスパリーグ王とアリステアのお話です。
少し長めです。
3話後にサーシャは出てきます。
サーシャ一行が内陸に住むエルフの村、通称『アールヴヘイム』に移動した知らせを受けた王宮。その客間には二つの影があった。
一つは丸々と太った紫色の体毛を持つ猫───キャスパリーグ王の影。
もう一つは、席を立って三秒も経てば顔を忘れてしまうほどの平凡な顔立ちの男、アリステアのものだった。
「守備の方はどうなのだ。アリステアよ」
「我々の計画は順調に進んでおります。この三か月の間に、すでにヴァナヘイムはもちろんのこと、この南の大陸全土に統一した秤と錘の普及が進みつつある。『次の時代』に向けて、幸先のいいスタートを切ったと言っても過言ではないでしょう」
「鉄は十分そうか?」
「常に不足はしています。ですがご安心ください。陛下がすでに発令されました、『武具徴収令』により、平民から武器の買い上げを続けている最中でございます。これにより治安維持と資材調達の両得を進めることが出来ている状況です」
「『大陸平穏令』の効果はどうじゃ。誰も内乱をしとらんか?」
「そちらも問題ないかと。火種で言えば一つ憂慮すべき案件が一つございますが……そちらは私どもにお任せ下さい」
「なんじゃ、申してみよ。儂は全てを知っておく必要がある。小さなことでもいい、なんでも話すがよい」
「では……アールヴヘイムの地に、我が愚昧が向かったようでして」
「ムッ……あのお前さんと似ても似つかぬ、美しい女子か。確か名前はビャーカル令嬢だ。あの娘には暫く世話になったからの。憶えておるぞ」
それが何ゆえ憂慮すべき案件に繋がるのかと、キャスパリーグ王は首を傾げた。
「名前を憶えて戴き、恐悦至極にございます。私の妹であるサーシャは剛毅果断にして傲慢、そして何よりも“公平であること”を重要視します。仮にあれが誰かから軽んじられた時、どのような行動に出るかは想像に難くないかと」
アリステアは否応なしに、複数の未来をその目に見ることができる。そのうち約九割が、地獄の窯を開くような結果だった。
「お主の目に何が見えた。答えよ」
「最悪の未来は、何かしらの理由でアールヴヘイムにて暴れたサーシャが、エルフによって捕らえられる未来でしょう。これは我々の命すら危うくなる大災厄を招き入れる」
アリステアは冗談を好む男だったが、この時ばかりは冗談を言う気にはなれなかった。
キャスパリーグ王は、我が身に降りかからんとするその災厄の芽の正体について考える───まもなく、答えが頭に浮かんだ。
「……フロストか」
キャスパリーグ王は逆立つ体毛を抑えられず、耳をぺたりと伏せながら、震え声でその死神の名を口にした。豊かな尻尾は、力なくソファの上に垂れ下がっている。
「はい。仮にフロスト・フォン・ヨトゥンヘイムの耳にこれが入ったとします。彼は現在ご存知のこととは思われますが、ヨトゥンヘイム領からミズガルズ王家を滅ぼすため、軍を進めている最中にあります」
「知っておる。誰が唆したか、ドワーフ国が突如として裏切り、兵力を削がれたミズガルズ王家は続々と王家派閥の貴族の離反に遭い、現在は籠城をしているとな」
キャスパリーグ王は淡々と他国の情勢を口にする。かつてサーシャを婚約破棄した王子が指揮するミズガルズ王国は、彼女のあずかり知らぬところで、滅びの憂き目にあっていた。
「ですが仮にサーシャがエルフの村に捕まったと、フロストさんが耳にすれば恐らく……」
「大義名分を得たフロストが進路を変えて、こちらに侵攻を開始してくる……あ奴らには大量の食料をこちらから送っているのだぞ。さすがに儂らを攻撃することはあるみゃー」
そう言い切る声とは裏腹に、尻尾の先だけが小さく苛立たしげに揺れていた。
「もちろん、我々が選択を間違わなければ問題ありません。ただし、ニマーヌ様はどうでしょう。彼女はアールヴヘイム出身とお聞きしています。彼女は故郷を守る立場に立たれるのではないでしょうか。その時、陛下は彼女に同郷のエルフの命は諦めろと言えますか? 」
「……」
ようやくキャスパリーグ王は自分の首に死神の鎌が掛かっていることに気が付いたのか、カタカタと全身が震えだす。軍縮したばかりの発展途上国と、装備も兵士も万端だった先進国を滅ぼしつつある氷王。戦えばどちらが負けるかは赤子でも分かる。
かといって、フロストの仲間をすれば、人間に与する王として、南の地域に数多ある種族は再び声を上げ、南の大陸は混沌の時代を迎えるだろう。その矛先が真っ先に向かうのは、当然のことながら現在の主権を担うキャスパリーグ王だ。
「しかし聞けばビャーカル令嬢は、ただの婚約者というではないか。来ないという選択肢もあろう!」
優先順位が国取りと、婚約者では明らかに前者を優先するのが支配者であるべきと、キャスパリーグ王は主張した。アリステアもそれには強く賛同をする。
「ええ。それは十分にあり得る話です。あの人は戦争に私情は挟まない男。仲間がどれだけ殺されようと決められた破壊活動しかしない。私情で大量虐殺など決してしない男です」
「そうであろう。……ホッ」
「しかし、それはあくまで私情を挟まないというだけのこと。起こす戦争に利益があると分かれば、フロストは瀕死の王家を置いて、戦争を仕掛けてくるでしょう。特にこのヴァナヘイムは食料が不足するヨトゥンヘイム領にとって、格好の獲物と言っていい。豊富な食料に人的資源だ。喉から手が出るほど欲しいでしょう」
「じ、人的資源だと……⁉」
驚いた拍子に、太い尻尾がビタンとソファを叩いた。
「フロストは先の内乱にて、獣人の有用性というものに気が付いたはず。獣人は寒冷な土地でも生きることができ、種類によっては人よりもはるかに足が速く力も強い。兵士にするには十分な資質と考えるのは当然のことでしょう」
「あの男はこのヴァナヘイムを植民地にする気だがね……⁉」
「いえ、あの人は一度侵攻した土地に居付くことは決してありません。彼らは金品を巻き上げた後に、兵士と食料を吸収し、さらに大きくなった後はヨトゥンヘイムに引き返すのです。さながらそれは全てを巻き込んで成長する台風のように」
シーンと、静まり返る客間。
嵐の前の静けさを彷彿とさせる、不気味な余白だった。
「ええい……もうフロストの話はいい。ようは、火種が上がる前に消せばいいのだ。可及的速やかに、現場に使者を送れ。なんとしてでも、穏便にことを進め、なるべくビャーカル令嬢を速やかに邸に帰す。そうでにゃーと、儂らの命が危ない」
「人選はなるべく、アールヴヘイムの土地に詳しい者が良いかと」
「貴様……まさかニマーヌを外に出せというとるんじゃあるみゃーな」
「裁定者としてこれほど、適任な方もそうおられないかと」
「ダメだ。ニマーヌはエルフが降伏をしてきた折りに、儂に差し出してきた全てのエルフを代表する者だぞ。ニマーヌが村へ帰ってしまえば、エルフがまた叛旗を翻しかねん」
エルフが差し出して来た人質としての役目もニマーヌにはあるのだぞ、とキャスパリーグ王はアリステアを睨む。しかし、それに屈するほどアリステアもヤワではない。
「フロストとエルフ、どちらを敵に回すと厄介か。ご聡明な陛下であれば、既に答えは出ているものと思われますが、いかがされるおつもりでしょうか?」
「……」
キャスパリーグ王はしばらく肘をソファについて、苦悶の表情で悩んだ。
「エルフは降伏するのに随分と手こずらされたのだ。分かるか? 一つが謀反を企てて動けば、四方から火の手が上がるようになる。エルフは底抜けに面倒なのだ。来るかどうかも分からぬ脅威のために、目の前で燃える小さな火に薪をくべてやる必要もなかろう?」
「来るかどうかも分からぬ脅威ではありません。エルフであれば、まだ陛下の私兵で対処可能でしょう。私どももご助力できるかと存じます。ですが、ヨトゥンヘイム軍ともなれば、話は別。おそらくフロストさんは私にも声をかけてくるでしょう。当然断れません」
「なぜじゃ。お前は儂の味方じゃろう」
「ええ。ですが、サーシャの兄でもある。妹をエルフが傷つけるというのであれば、当然敵対するのは止む無しということになりましょう。損得勘定で考えても、エルフとサーシャの命、どちらが利益を生むか考えるまでもありません。そうなっては困るのでは?」
「お主、儂を恫喝しておるのか?」
耳がピンと後ろに反り、全身の体毛が逆立つ。低い唸り声が喉の奥から漏れていた。
「恫喝しているのです」
「───」
冷たい静謐の中で、互いの睨みが交差する。そして溜息を漏らしたのは、キャスパリーグ王だった。ぺしゃりと垂れた耳が、その敗北を何よりも雄弁に語っていた。
「わかった。しょうがねー。おいっ、ニマーヌを連れてこい」
キャスパリーグ王は扉の前に立つ使用人に呼びかけると、暫くしてニマーヌがゆったりとした服装で、酷評していたフラッペを口にしながら登場した。
「どうしたでありんすか。陛下」
「お主に頼みがあるんだ。ちーとばかし、故郷に戻ってビャーカル嬢が問題を起こさんか見張って欲しいんだがや。外に出るのが嫌なのもじゅーぶん、承知しておる。だが、しばらく故郷にも帰れておらんだろう? 家族の顔も見たくはないか?」
「陛下、よろしいのでありんすか?」
「構わぬ。ただこれだけは約束してくれ。必ず儂の下に戻ってくると」
「でないとエルフの里を滅ぼすぞ、でありんすか?」
キャスパリーグ王の顔は、作り笑顔から一瞬、能面のような無表情に変わる。しかしそれも一瞬の出来事。すぐに悲しい顔を作って、首を振った。
「そんな酷いことはせんと前にも言ったであろう? 儂にはもうそのような力は残されておらぬ。だから、信用だけが頼みの綱なのじゃ。儂はお主を信用しておるのだ。分かってくれるな? ニマーヌ」
涙ぐむキャスパリーグ王を、冷淡に道化を見るような目でニマーヌは見つめた。やがて、
「……かしこまりんした。陛下の言われるところでしたら、何処へでも」
眉を上げ、愛想笑いを返した。
「そうと決まれば、アリステアよ。お主もニマーヌに同行せよ」
「私もですか」
驚くアリステアの肩に、爪先を僅かに立てながら手を置いて、キャスパリーグ王は耳打ちをする。
「オマエでなければ、誰がニマーヌを連れて帰ってくる。帰りを躊躇うようなら、引きずってでも連れて帰ってこい。分かったか」
キャスパリーグ王の宝石のような金色の瞳が、瞳孔の拡張によって真っ黒に染まっていた。
「……承知しました」
アリステアが了承したのを確認すると、キャスパリーグ王はまた愛らしい笑顔を張り付けて、ソファにでっぷりと腰を下ろした。
「ではそういうことで。二人とも、ヴァナヘイムのため。尽力してほしい」
キャスパリーグ王にそう言われた二人は、目を一瞬合わせて頷いた。




