湖の異変①
時は流れ、彼女が10歳になった年、相次いで両国の王が急死し、その息子たちがそれぞれ即位して二年が過ぎた頃、フィスノダ国ではジーサスレイン王の長男が即位していたのだが、彼の弟によりクーデターが起き政権が変わった頃から、フィスノダ国との交流が途絶え、フィスノダ国側が戦いをしかけてきて、再び戦争が始まってしまった。
それから再び二年の月日が過ぎた。
幼い子供達も大人へと近づいてきていた。ランドとアルとルカの三人は十四歳になると、三人揃って軍の予備部隊に志願し、昼間は訓練と学業の両立の道に進み、マルーシャとはともに遊ぶ機会はかなり減ってきてはいたが、相変わらず四人の友情は変わらずに続いていた。
マルーシャはというと、時間ができると、自分の愛馬にまたがり、気が向くままに城の外の草原を駆けるのを日課にしており、時々は御供の者たちを従えて、スシュル湖に行ったりもしていた。
けれど十日ほど前から急に、マルーシャの城外への外出が禁止になってしまったのだ。
何度理由を聞いてもただしばらくの間禁止だというばかりで、誰も何も答えてはくれなかった。
その為、マルーシャはこの十日というもの、様々な方法で、いつも彼女についている護衛の兵士たちの目を盗んでは、こっそり城を抜け出そうと、あの手この手と問題を起こしていた。
「マルーシャス! お前という奴は、次から次へと問題ばかりおこしおって、いい加減にしないか!」
今朝も早朝から、マルーシャが強引に城から抜け出そうとし、騒ぎになっていた。
ちょうど、昨夜の雨のせいで、城のいたるところで水たまりができており、マルーシャを止めようとした兵士達から逃げながら城中を走り回っていたせいで、全身泥だらけになってしまっていた。
そこへちょうど、視察の為に馬車で城門を通過しようとしていたトルベル王と鉢合わせをしてしまい、馬車から出てきたトルベル王の怒鳴り声が城中に響き渡るかのように響いたのだった。
マルーシャは目の前でカンカンになって怒っている父王を下から見上げ、頬を口いっぱいに膨らませながら睨みかえした。
「お父様が私を無視するからですわ」
マルーシャの言葉にトルベル王は大きなため息をついた。
「この間から何度も言っているであろう。フィスノダ国との冷戦が崩壊した今、王女であるお前がむやみに城外へでるのは危険なのだ。お前は王女としての自覚がなさすぎる。私が戻るまで南の塔でおとなしく反省していなさい」
「ですが今までは良かったではありませんか。お父様! どうして私だけが城から出てはいけないのですか? お父様はいつも視察と称して城をでているではありませんか? 今までなら一人じゃなければ外出はできていたわ。なのに急に、城を出る自体だめっていうばかりで、理由を教えてくれないし、ただ駄目だっていうだけでは納得できないわ」
マルーシャは父王をキッと睨みながら言い返した。
「何度も申しておるではないか、供の者を連れて馬車で城下に行くのは止めはせぬ、だがお前が行きたいのはスシュル湖であろう。あそこは今は危険地帯になったゆえ、立ち入り禁止になっておるのだ。危険がなくなるまであそこにしばらく近寄るのは止めるように再三申しておるであろう」
「わからないわ、私は何が危険なのか教えてくださいとお聞きしているのです。お父様は駄目だ駄目だとおっしゃってばかりで、今どのような状況で立ち入り禁止になっているのか説明してくださっていませんわ」
「今は調査中でお前にはまだ言えぬのだ。もう暫く待てと言っているではないか」
「いいえ、お父様がそうおっしゃってからもう十日たちました。もう待てません。何か異変が起きているのなら、私もこの目で見たいといっているのです。それがなぜいけないのですか? 一人が駄目なら何人でも兵士をつければいいでしょう」
「そちが見てどうにかできる状況ではないのだマルーシャス、これが最終通告だ! これ以上城を無断で脱け出そうとしたり、騒ぎを起こせば今度こそ地下牢にいれるぞ、よいな」
トルベル国王はそれだけいうと、泥だらけのマルーシャを睨みつけ、再び馬車に乗り込んだ。
「お父様、答えになっていません。地下牢だろうと、お好きなところに閉じ込めればいいわ。私は諦めませんからね」
マルーシャがそういうと、泥だらけの手を自分の服で拭き、顔を手で拭い、きびすを返して歩き出した。
「姫様、どちらへ」
騒ぎで駆け付けたマルーシャ専用の世話係エセルがたずねた。エセルの家族は貧しく、彼女は一年前から城の下働きとして働きにきていたのを、マルーシャが気に入り、マルーシャ専用の世話係として毎日マルーシャに仕えていた。
「南の塔へ戻るのよ! 何が最終通告よ。まったく、お父様ったら私の思いなんてこれっぽっちもわかってくださっていないんだから。いいわよ、ずーっと南の塔に居座ってやるんだから」
マルーシャはそう言うと、足をドンドン鳴らしながら、慣れた様子で南の塔に向かって歩き出した。
「でっでも姫様、ひとまず着替えをなさってくださいませ。湯あみの用意をいたしますので」
泥だらけのマルーシャを見てエセルは慌ててマルーシャを追いかけて言った。
「いらないわ。あんなほこりっぽい塔の中じゃ、このかっこうで十分よ。手は塔の近くの井戸で洗ってから入るから。あっそうだわ、着替えならランド達に持ってこさせて、スエル総帥に私からの頼みだっていえば、あの三人も自由時間がもらえるはずだから」
「でっですが姫様!」
エセルはおろおろしていたが、マルーシャは平気な様子で右手をエセルに向かってふると、南の塔に向かってかけて行ってしまった。そんなマルーシャを心配そうに見つめていると、スーリア王妃がエセルに近づいてきた。
「エセル」
「王妃様」
エセルは慌ててスーリア王妃に向かって頭を下げると、小さな声で言った。
「王妃様、マルーシャス様は大丈夫でしょうか? あのような場所でもう十日間もこもりっぱなしです。お食事などはきちんとなさってくださいますが、不潔な所ですので、私が掃除しますと申し上げているのですが、聞きいれてくださいません」
「あなたは心配しなくてもいいのよ。マルーシャの食事を運んでくれるだけでいいわ。あの子が自分の部屋に戻る気になったら、またマルーシャの世話を頼むわね」
「ですが・・・」
マルーシャより一つ年下の、まだ幼さが残るエセルは心配で仕方ない様子だった。
「大丈夫ですよエセル、あなたが心配しなくても、姫様はものすごく神経がずぶとくて丈夫ですし、この間、塔に登って部屋の様子をのぞきにいったら、誰に運ばせたのか、ちゃっかり使わなくなった兵士の簡易ベットやソファーや机やらを運び入れて、自分の部屋のように快適な部屋にしてあるんだから、どうせあなたが食事を運んできても、部屋には絶対入らせないんでしょ。オーバ―に咳なんかしながら受け取るんでしょ」
長い黒髪を後ろに束ね、眼鏡をかけたスーリア王妃と同じ歳ぐらいの侍女頭のグレナがエセルに声をかけた。
「はっ、はい。でもどうしてお分かりになるのですか?」
「あの姫様を生まれた時から見ていますからね。まったくどなたに似たのやら」
グレナはそう言うと、隣にいたスーリア王妃に視線を向けた。
「そうね、誰に似たのかしら、あの子を見ていると飽きないわねグレナ。さて、そろそろ忙しくなりそうね。エセル、あなたはマルーシャの伝言をスエル総帥に伝えに行ってちょうだい。グレナ、私達は食堂に行きますよ」
「はい? スーリア様? また何か起きるのでございますか? こんな派手な騒ぎを起こした後に」
グレナは理解できない様子でスーリア王妃に向かってたずねた。
「そうねえ、あの目はこりていないわね。ふふっ私の子ですもの、あのぐらいで引き下がったりしないわ」
スーリア王妃は我が子を愛しそうに眺めながら微笑みを浮かべてグレナに向かってウインクしてみせた。グレナは大きくため息をつきながら、先に食堂の方へと歩きだした。エセルも慌ててスエル総帥を捜しに駆け出した。
「マルーシャ、あなたはあなたのやりたいようにやりなさい。神は常にあなたのそばにいらっしゃるわ」
スーリア王妃は南の塔に向かって周辺の小さな砂利を踏み散らかしながら駆けていく娘の後ろ姿を見えなくなるまでみていた。




