変わり者マンタ③
マルーシャは無我夢中で坂道を駆けあがっていた。
(うそよ! あの透き通っていた湖が黒くなるわけないわ。きっとルカがまた私を驚かそうとしているのよ)
マルーシャは心の中で何度も同じ言葉を繰り返し、息が切れそうになりながらも休むことなく湖のある頂上に近づいて行った。
やがて、木々の間から懐かしい、緑の芝生が見えてきた。
「なんだぁ、いつもと同じじゃ」
マルーシャはそういいかけて言葉を失ってしまった。湖の周辺の景色は以前と変わらず緑の芝生がひきつめられていて、水辺に唯一生えている大きな一本の樹齢数千年の巨木は相変わらずそこに悠然とそびえていてその巨木を守るかのように、色とりどりのバラが咲き乱れていた。
湖の東側の方角にはフィスノダ国の境界線になっているシアフィスの森がかすかに見えており、南側は遥か遠くにスーハ海が地平線の向こうにかすかに見えていた。
西側から北西にはラールシアの首都であるラミドの都があり、北側にはトレイ山脈が遠くにそびえているのが見えた。
この湖からはラールシア国が一望できる場所としてマルーシャのお気に入りの場所だった。
ただ一つ、いつもと違ったのは湖の水の色が真っ黒の色に変わってしまっていたことだった。マルーシャはその場にしゃがみ込んでしまった。
すぐ後からマルーシャを追いかけてきたランドも目の前の光景をみて同じように言葉を失っているようだった。
二人が呆然としていると、何者かが木々の茂みの中から二人の様子をうかがっている者がいた。
「あれ誰だ? あっあそこは誰も近づいちゃなんねえ。かっ神様がまた怒っちまうだ。早く追い出さねえと」
声の主は湖の入り口から少し逸れた場所の木の茂みの中にいるようだった。体は小さな子供のようなだが着ている服は上からボロ布を一枚被っているだけで腰に紐が結んであり、腰には小さな短剣らしいものがつけてあった。茶色のボサボサの長い髪を後ろに束ね、顔や手足まで泥まみれになっていた。
その少年が独り言のように同じ言葉を繰り返すと、二人にそっと音もなく近づくと、手に持っていた輪にした大きな縄を自分の頭の上でまわし始め、二人めがけて投げ付けた。
とっさに気配に気がついたランドが縄が二人の頭上に届く直前腰の短剣でその縄を払いのけ、しゃがみ込んで呆然としているマルーシャの背に回りこんで睨みつけた。
「何者だ!」
ランドの声で正気に戻ったマルーシャは驚いて後ろを振り向くと、少年はすごい勢いで二人めがけて走りだしてきた。
「こっ、ここに入ったらいけねえだ! いっ今すぐ帰れ!」
少年が二人に殴りかかるのかとランドが身構えたその時、なんとその少年は二人の横をすり抜け、湖の入り口に回りこみ両手を広げて立ちはだかった。
「こっここは入っちゃだめだ! 今、ちっ近づくとしっ死んじまうぞ。おっお前達、こっここからでてけ!」
少年は振るえているような声で二人を睨みつけながら叫んだ。
「あなたこそ誰なの? ここは王家所有の湖よ、あなたから出て行け呼ばわりされる筋合いはないわ」
マルーシャはすくっと立ち上がると、その少年にゆっくり近づきながら言った。
「おい、マルーシャ止めろ! こいつはこの森の南側に住んでいるイクパクの子供だ」
「イクパク? この森に人なんか住んでいたの? この森は植物や木々の管理のために入ることはできても、この森の中には誰も住めないんじゃなかったの?」
「いや、彼らはこの森の南側にある場所に遥か昔から住んでいる住人で、唯一、この森で住むことを許されている村人だよ」
マルーシャが振り向くといつの間にかアルとルカも追いついていた。
「アルそれ本当なの? 私ここには何十回ときているけど、一度も見かけたことなかったわよ」
「彼らは本来用心深い人種だから、めったに人前に姿を見せないんだよ。彼らのほとんどは彫刻師でね。彼らが作る木彫りのイクーリア神像なんかはすごく人気があるんだよ。君の部屋にも確か、一つあったと思うよ。それに彼らが住んでいる場所からこの道は正反対だしね。北側にはめったにこないって聞いたよ」
アルの説明に思い当たる節があるのか、マルーシャの表情が一変した。
ルカは珍しいものを見るかのようにその少年をじろじろ眺めていると少年はあとずさりながら叫んだ。
「オッ、オラはみっみせもんじゃねえぞ!」
少年は近づいてきたルカにむかって拳を振り回しながらにらんできた。
マルーシャも近づこうと一歩歩きだした瞬間ランドの手がマルーシャの左腕を掴んだ。
「素性が分かれば怖くないわ。それにこの子は私達に危害を加えようとしているんじゃないみたいじゃない。この森に住んでいるんだったらこの黒い水の色のことも何か知っているかも知れないじゃない」
マルーシャは小声でランドに言うと、ランドの手を振りほどきその少年に近づいていった。
「くっくるな」
「私はあなたに危害を加えるつもりはないわ。ただ、教えて欲しいの。聖なる湖に何が起こってこんなになってしまったのか? 私はこの湖が大好きなのに、最近全然これなくなっていたの。あなたお名前は? 知っているなら教えてくれないかしら? このままでは気になって帰れないわ」
「おっお前は、こっここにくっ黒い水を放り込んだ奴のなっ仲間じゃないのか?」
「私はマルーシャス、この国の王女よ」
「おっ王女様だけぇ~オッオラしっ知らなかったもんだけ、オッオラ、マンタだ。すっすまねえだ」
マンタと名乗った少年は王女だと聞くやいなや、あわててその場に土下座して頭を地面につけた。
「おっかあがいってただ、、おっおっ王様やおっ王女様たちはすっ、すっごい人じゃけ、さかろうたら牢屋に入れられるって、オッオラ、知らなかったもんじゃけ、ごっごめんなさい」
「そうあなたマンタっていうのね、安心して、あなたを牢屋に入れたりしないわ。私はただ、早く元の湖になるように、何が原因かを調べたいだけなの。この水を調べればなにかわかるかもしれないから」
そういってマルーシャは驚いているマンタの横をすり抜けようとしたがマンタは急に立ち上がって湖の水に手を入れようとしたマルーシャの手を掴んだ。
「だっダメだ! そっその水に触ったらしっ死んじまうだ」
湖から少し離れたマンタはあわてて掴んでいたマルーシャの手を離して、また地面にしゃがみ込んで頭を下げた。
「すっすまねえだ。だっだけんど、オッオラ、あの水はどっ毒だから、きっ昨日もとっ鳥がみっ水を飲んでしっ死んだのみっみたから」
その真剣な様子のマンタをみたマルーシャは自分もしゃがみ込んた。
「教えてくれてありがとう。もう、ここから先へは行かないわ。そうだわ、私本当はここでピクニックしようと思ってきたのよ。さっき少し食べちゃったけど、まだパンや果物もたくさん残っていると思うから、あなたのお勧めの場所で一緒に食べない? それともお昼はもう食べたの?」
マルーシャの言葉にマンタは驚いた顔で聞き返した。
「オッオラ、さっきまでねっねずみ追いかけていたんだ、おっ王女さっ様たちがのぼってくるのがみえたから、食べ損ねたんだ。ほっ本当にくっくいもんくれるのか?」
「ええもちろん、たくさん用意してきて四人じゃ食べきれないの」
マルーシャはマンタから数歩下がってから少年に向って笑みを浮かべながら少年がしゃべり出すのを待った。
「わかっただ、食べたら森をでていくんだな。あっあの黒い水は、あっあぶねえんだからな」
「わかったわ、約束するわ」
「おい、アル。お前どっちだと思う? マルーシャが大人しく引き下がると思うか?」
「いや、ここまできて何もしないで帰るわけはないと思うけど。何か考えがあるんじゃないのかな?」
「いや俺の勘だと、何も考えてないな、マルーシャのやつ成り行きにまかせる気だぜ、きっと」
アルとルカは小声で話しながら少年とマルーシャの話に耳を傾けた。
「ちょっと、そこの二人、何ブツブツいっているのよ。早く来ないとほっていくわよ」
二人が気付くと、マルーシャとマンタが湖から離れ、来た道をすでにおりていた。
ランドがそのすぐ後につけていた。二人はあわてて三人の後を追った。




