【ディストピアSF】地下七千メートル
暗い。
地下七千メートル。ここは太陽の光が届かない世界だ。
カイトは天井を見上げた。人工照明が淡く光っている。LEDの白い光。この光が、地下都市アンダーグラウンドの唯一の明かりだ。空はない。雲もない。星もない。あるのは、岩盤だけだ。
カイトは歩き出す。居住区画の通路。幅は三メートル。高さは二メートル五十センチ。人がすれ違うのに十分な広さだが、圧迫感がある。天井が低い。壁が近い。どこまで行っても、同じ景色だ。灰色のコンクリート。配管。ケーブル。
地下都市アンダーグラウンド。人口五十万人。地球の地下七千メートルに築かれた巨大都市。三百年前、地上が居住不可能になったとき、人類は地下に逃げた。核戦争、気候変動、環境汚染。複合的な原因で地上は死んだ。生き残った人々は、地下深くに穴を掘り、都市を作った。
それが、ここだ。
カイトは中央広場に向かう。広場といっても、地上のそれとは違う。ドーム状の空間。直径百メートル。高さ五十メートル。天井には巨大スクリーンが設置されている。そこには、かつての地上の映像が映し出されている。青い空、白い雲、緑の草原。全て過去のものだ。
広場には人々が集まっている。仕事に向かう人、学校に行く子供、買い物をする主婦。みんな、同じような服を着ている。グレーの作業服。地下都市の標準服だ。個性はない。必要ないからだ。
カイトは人混みを抜ける。エレベーターに乗る。下に向かう。第五層。カイトの勤務先がある階層だ。地下都市は十層に分かれている。上層ほど居住環境が良い。下層ほど悪い。カイトは第三層に住んでいる。中流階級だ。
エレベーターが止まる。ドアが開く。第五層。ここは工場地帯だ。巨大な機械が動いている。空気清浄装置、水処理プラント、発電機。地下都市の生命維持装置だ。これらが止まれば、都市は死ぬ。
カイトは自分の持ち場に向かう。配管の監視室。小さな部屋。モニターが並んでいる。各配管の圧力、流量、温度が表示されている。異常があれば、アラームが鳴る。カイトの仕事は、それを監視することだ。
単調な仕事。しかし、重要だ。配管が破裂すれば、都市は水没する。地下水が流れ込む。防ぐ手段はない。だから、監視が必要だ。
カイトは椅子に座る。モニターを見る。全て正常。圧力、流量、温度。全てが基準値内だ。問題ない。カイトはため息をつく。今日も、何も起こらない一日が始まる。
しかし、三時間後。モニターの一つが赤く点滅した。アラームが鳴る。カイトは飛び起きる。モニターを確認する。配管番号7-C-42。圧力異常。基準値の150%。上昇し続けている。
拙い。
カイトは通信機を掴む。「管理センター、こちら監視室。配管7-C-42に異常。圧力上昇中。指示を」
『了解。現場確認しろ。緊急バルブを閉じろ』
カイトは部屋を飛び出す。走る。配管7-C-42の場所は分かっている。第五層の最深部。工場地帯の端だ。距離にして五百メートル。カイトは全力で走る。
周囲の作業員が振り返る。何事かと訝しむ。カイトは無視する。時間がない。配管が破裂すれば、この階層全体が浸水する。何千人もの命が危ない。
三分後、現場に到着する。配管が見える。直径一メートルの鋼鉄製。表面が振動している。内部の圧力が高まっている証拠だ。カイトは緊急バルブに手を伸ばす。ハンドルを回す。重い。力を込める。
回らない。
錆びついている。メンテナンス不足だ。カイトは両手でハンドルを掴む。全身の力を込める。回す。少しずつ動く。きしむ音。カイトは歯を食いしばる。
回った。
バルブが閉じる。配管の振動が止まる。圧力が下がっていく。モニターの数値が正常に戻る。成功だ。カイトは床に座り込む。汗が噴き出している。心臓が早鐘を打つ。
「間に合ったか」カイトは呟く。
しかし、問題は解決していない。なぜ圧力が上昇したのか。原因を突き止めなければならない。カイトは配管を調べる。表面に亀裂がある。小さいが、確実に広がっている。老朽化だ。
地下都市の配管は、三百年前に設置されたものが多い。定期的にメンテナンスされているが、全てをカバーできているわけではない。予算が足りない。人手も足りない。結果、老朽化が進む。
カイトは通信機を取る。「管理センター、配管に亀裂を確認。修理が必要だ」
『了解。修理班を手配する。お前は持ち場に戻れ』
カイトは頷く。立ち上がる。監視室に戻ろうとする。
そのとき、地震が起きた。
揺れ。
激しい揺れ。
カイトは壁に手をつく。バランスを保つ。周囲の機械が軋む。配管が揺れる。天井から埃が落ちる。
十秒ほどで揺れは収まった。
カイトは息を吐く。地震。地下都市では珍しくない。地殻変動による自然現象だ。しかし、毎回恐怖を感じる。もし、都市の構造が崩れたら。岩盤が崩落したら。全員が生き埋めになる。
カイトは急いで監視室に戻る。モニターを確認する。いくつかの配管で異常が検出されている。圧力低下。どこかで漏れが発生している。
「くそ」カイトは舌打ちする。
通信機が鳴る。管理センターからだ。『全監視員に告ぐ。地震により複数箇所で配管損傷。修理班を派遣する。各自、持ち場で状況を監視しろ』
カイトは椅子に座る。長い一日になりそうだ。
勤務終了。カイトは監視室を出る。疲れた。十二時間勤務。途中、何度も配管の異常に対応した。修理班と連携して、損傷箇所を特定し、修理した。全ての配管が正常に戻ったのは、勤務終了の三十分前だった。
カイトはエレベーターに乗る。第三層に戻る。居住区画。カイトのアパートがある。狭い部屋。十平米。ベッド、机、椅子。それだけだ。窓はない。当然だ。地下七千メートルに窓など必要ない。
カイトはベッドに倒れ込む。天井を見る。灰色のコンクリート。いつもの景色。カイトはため息をつく。この生活は、いつまで続くのだろう。
地上に行きたい。青い空が見たい。太陽の光を浴びたい。草の上を歩きたい。
しかし、それは不可能だ。地上は死んでいる。放射能、有毒ガス、極端な気候。人間が生きられる環境ではない。測定データがそう示している。
カイトは目を閉じる。眠ろうとする。しかし、眠れない。頭の中で、ある噂が繰り返される。
「地上は、本当は住めるらしい」
誰が言い出したのか分からない。しかし、この噂は地下都市に広がっている。政府が嘘をついている。地上は回復している。しかし、政府はそれを隠している。なぜなら、もし地上に人々が戻れば、地下都市の階層社会が崩壊するからだ。
カイトは噂を信じていない。陰謀論だ。根拠がない。しかし、完全に否定もできない。政府を信用していないからだ。
カイトは起き上がる。机に向かう。端末を起動する。地下都市の情報ネットワークにアクセスする。ニュースを見る。今日のトピック。配管の損傷、地震の影響、食料生産の報告。つまらない情報ばかりだ。
カイトは別のページを開く。非公式の掲示板。匿名で書き込めるサイト。ここには、政府の公式見解とは異なる情報が流れている。
最新のスレッド。「地上探査計画」
カイトはクリックする。
スレッドの内容を読む。ある人物が、地上への探査を計画しているらしい。参加者を募集している。危険だが、真実を知りたい人は来い、と書いてある。
カイトは迷う。本当か?罠か?しかし、興味がある。真実を知りたい。地上が本当に死んでいるのか、確かめたい。
カイトは返信を書く。「参加したい。詳細を教えてくれ」
送信する。
数分後、返信が来る。プライベートメッセージだ。「了解。明日、第九層の廃棄区画で会おう。時間は二十時。一人で来い」
第九層。地下都市の最下層の一つ。廃棄された区画が多い。人気がない場所だ。
カイトは頷く。行く。真実を知るために。
翌日の夜。カイトは第九層に降りた。エレベーターを降りると、薄暗い廊下が続いている。照明が少ない。予算削減で、下層の照明は最低限に抑えられている。
カイトは指定された場所に向かう。廃棄区画C-14。かつては居住区画だったが、構造上の問題で放棄された。今は誰も住んでいない。
区画の入口に着く。ドアが半開きになっている。カイトは中に入る。暗い。懐中電灯を点ける。光が闇を切り裂く。
「来たか」声がする。
カイトは光を向ける。男が立っている。三十代半ば。痩せている。顔には傷がある。
「お前が、募集していた人間か?」カイトが訊く。
「そうだ。俺の名前はレオ。地上探査を計画している」
「本当に行くのか?」
「ああ。俺は地上に行く。真実を確かめる」
カイトは周囲を見回す。他にも人がいる。五人。男が三人、女が二人。全員、カイトと同じように、真実を求めてここに来たのだろう。
レオが話し始める。「みんな、よく来てくれた。俺が計画している地上探査について説明する。地下都市には、地上に繋がる旧式のエレベーターシャフトがある。第十層の最深部にある。三百年前、地下都市を建設したときに使われた。今は封鎖されている。しかし、俺は開ける方法を知っている」
「どうやって?」誰かが訊く。
「俺は以前、都市のメンテナンス部門で働いていた。シャフトのメンテナンス記録を見た。封鎖コードも知っている」
カイトは訊く。「地上に着いたら、どうする?」
「調査する。大気の成分、放射線量、気温。全てを測定する。そして、本当に住めるのか確かめる」
「もし、住めたら?」
「戻ってきて、みんなに伝える。地上は安全だと」
カイトは頷く。「分かった。参加する」
他のメンバーも同意する。全員、同じ思いだ。真実を知りたい。
レオは微笑む。「では、明日の深夜、第十層で会おう。必要な装備は俺が用意する」
翌日の深夜。カイトは第十層に降りた。ここは地下都市の最下層。工業廃棄物の処理場がある。空気が悪い。化学物質の臭いがする。
レオと他のメンバーが待っていた。全員、防護服を着ている。レオがカイトにも防護服を渡す。「着ろ。地上は有毒ガスがあるかもしれない」
カイトは防護服を着る。密閉式。酸素ボンベが背中に装着されている。
レオが先導する。廃棄物処理場を抜け、奥に進む。古いドアがある。錆びついている。レオが端末を取り出し、ドアの電子ロックに接続する。コードを入力する。
ドアが開く。
中は、巨大なシャフトだった。直径十メートル。上に向かって延びている。天井は見えない。暗闇が続いている。
レオが懐中電灯で照らす。「これが、地上へのエレベーターシャフトだ」
カイトは上を見上げる。七千メートル。この距離を登るのか。
「エレベーターは動くのか?」誰かが訊く。
「いや。動力は切られている。だから、登る」
「登る?」
「ああ。梯子がある。シャフトの壁に設置されている。それを使う」
カイトは梯子を見る。確かにある。しかし、七千メートル。途方もない距離だ。
「時間はどれくらいかかる?」
「二日。休憩を入れながら登る」
カイトは覚悟を決める。行くしかない。
レオが最初に梯子を登り始める。他のメンバーが続く。カイトも登る。
梯子は冷たい。金属製だ。手が滑りそうになる。カイトは慎重に登る。一段、また一段。
登り続ける。時間の感覚がなくなる。ただ、登る。周囲は暗闇。下を見れば、奈落。上を見ても、闇。
六時間後。レオが止まる。「休憩だ」
カイトは梯子の踊り場に座る。狭い空間。全員が集まる。疲れている。汗が防護服の中で流れる。
レオが水を配る。「飲め。次の休憩まで六時間だ」
カイトは水を飲む。喉が渇いていた。
休憩は三十分。再び登り始める。
同じことの繰り返し。登る、休憩、登る、休憩。カイトの腕が痛い。足も痛い。しかし、止まれない。
二日後。ついに、天井が見えた。シャフトの最上部。地上だ。
レオがハッチを開ける。光が差し込む。
眩しい。
カイトは目を細める。外に出る。
地上。
カイトは周囲を見回す。
何もない。
荒野が広がっている。岩だらけの大地。灰色の空。太陽は見えるが、ぼんやりとしている。風が吹く。砂埃が舞う。
「これが、地上か」カイトは呟く。
レオが測定器を取り出す。大気を測定する。放射線量を測定する。数値を読み上げる。
「大気、問題なし。酸素濃度、正常。放射線量、基準値内。気温、摂氏二十度」
カイトは驚く。「住めるのか?」
「ああ。完全に安全だ」
他のメンバーも測定器を確認する。全員、同じ結論に達する。
地上は、住める。
カイトは防護服のヘルメットを外す。生の空気を吸う。新鮮だ。地下都市の再生空気とは違う。
「政府は、嘘をついていたのか」
レオは頷く。「そうだ。地上は回復している。もう、地下に住む必要はない」
カイトは空を見上げる。灰色だが、空だ。雲が流れている。地下都市では見られない景色。
「戻ろう」レオが言う。「みんなに伝える。地上は安全だと」
全員が頷く。シャフトに戻る。下に降り始める。
二日後。地下都市に戻った。カイトたちは、探査の結果を広める。地上は安全だ、と。
しかし、政府は否定する。「デマだ。地上は危険だ。彼らの測定は間違っている」
カイトたちは証拠を示す。測定データ。写真。しかし、政府は受け入れない。
そして、カイトたちは逮捕された。「虚偽情報の流布」という罪で。
カイトは独房に入れられる。狭い部屋。窓はない。
なぜだ。なぜ、真実を隠す。
カイトは理解した。地下都市の階層社会は、地上が危険であることを前提に成り立っている。もし、地上が安全なら、人々は地上に戻る。地下都市は不要になる。支配層は権力を失う。だから、隠す。
カイトは壁を叩く。怒りが込み上げる。
しかし、どうすることもできない。
カイトは床に座る。天井を見る。灰色のコンクリート。いつもの景色。
地下七千メートル。ここが、カイトの世界。




