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世界は静かに壊れている【ショートショート集・短編集】  作者: 御影のたぬき


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129/219

【ポストアポカリプス】凍結された時間

 寒い。


 身体の芯まで冷えている。


 指先が動かない。いや、指があるのかも分からない。


 目を開けようとする。瞼が重い。凍っているような感覚だ。


 ここはどこだ。俺は何をしていた。


 記憶が曖昧だ。霧がかかったように、何も思い出せない。


 ゆっくりと、瞼が開いていく。視界が白く滲んでいる。焦点が合わない。ぼやけた天井らしきものが見える。白い。何もかもが白い。


 呼吸をする。肺が痛い。冷たい空気が喉を通り、身体に入ってくる。


 生きている。俺は生きている。


 その事実だけは理解できた。




 パアアアアン。




 何か音がした。機械的な音だ。警告音のようにも聞こえる。


 俺は身体を起こそうとした。筋肉が強張っている。長い間動かしていなかったような感覚だ。腕に力を込める。肘が曲がる。ゆっくりと、上体を起こしていく。


 視界が少しずつはっきりしてくる。


 俺は、白い部屋にいた。


 いや、部屋というより、カプセルの中だ。透明な蓋が開いている。俺はそのカプセルの中で横たわっていたらしい。周囲には同じようなカプセルが並んでいる。十個、いや、二十個以上はある。


 全てのカプセルは閉じられている。中に人影が見える。


 冷凍睡眠装置だ。


 その認識が、突然頭に浮かんだ。


 俺は、冷凍睡眠をしていたのか。


 なぜ。いつから。どれくらいの期間。


 疑問が次々と湧いてくる。しかし、答えは出ない。


 俺はカプセルから這い出した。床に足をつける。冷たい。金属製の床だ。身体が震える。寒さなのか、恐怖なのか、分からない。


 周囲を見回す。


 部屋は広い。天井は高く、壁は灰色のコンクリートのような素材でできている。照明は薄暗い。非常灯のような赤い光が点滅している。


 静かだ。


 あまりにも静かだ。


 人の気配がまったくない。機械音すら聞こえない。あの最初の警告音以外は、何も聞こえてこない。


 俺は他のカプセルに近づいた。


 中を覗き込む。


 人がいる。男性だ。目を閉じている。眠っているように見える。いや、冷凍されているのだ。


 次のカプセルも、その次のカプセルも、全て同じだった。人が入っている。男性、女性、子供。年齢も性別も様々だ。


 全員が眠っている。


 いや、違う。


 俺は一つのカプセルの前で立ち止まった。


 中の人物、若い女性の顔色がおかしい。青白い。いや、灰色に近い。皮膚が変色している。


 死んでいる。


 この女性は死んでいる。


 俺は他のカプセルを見て回った。


 全てのカプセルの中の人物が、同じ状態だった。顔色が悪い。明らかに生きていない。


 冷凍睡眠装置が故障したのか。それとも、何か別の原因があるのか。


 俺だけが生きている。


 なぜ俺だけが。


 俺は自分のカプセルに戻った。カプセルの側面にモニターがついている。タッチパネル式だ。電源は入っているようだ。画面には赤い文字で何か表示されている。


 『緊急覚醒プロトコル起動』

 『被験者ID: A-247』

 『覚醒日時: 2147年3月15日 午前7時32分』


 2147年。


 俺は画面を見つめた。


 2147年。


 その数字が意味するものを理解するのに、数秒かかった。


 俺が冷凍睡眠に入ったのは、いつだったか。記憶が曖昧だが、確か2047年だった。はずだ。


 百年。


 百年も眠っていたのか。


 信じられない。しかし、画面の数字は明確だった。2147年3月15日。


 俺は深呼吸をした。落ち着け。パニックになるな。状況を整理しろ。


 事実を並べる。


 一、俺は冷凍睡眠から目覚めた。

 二、百年が経過している。

 三、他の被験者は全員死んでいる。

 四、この施設には誰もいない。


 では、なぜ俺だけが生きているのか。なぜ俺だけが目覚めたのか。


 モニターをさらに操作する。タッチパネルに触れると、メニューが表示された。ログ、システム状態、施設情報。


 ログを開く。


 画面に文字が流れていく。


 『2047年6月1日 - 冷凍睡眠プロジェクト開始』

 『被験者250名、全員の冷凍睡眠成功』

 『2048年1月12日 - 施設外部との通信途絶』

 『2048年3月25日 - 外部環境異常検知。放射線レベル上昇』

 『2048年7月3日 - 電力供給システム異常。バックアップ電源に切り替え』

 『2049年2月14日 - 被験者149名、生命維持システム停止』

 『2050年8月9日 - 被験者217名、生命維持システム停止』


 ログは続いていく。


 年を追うごとに、被験者の数が減っていく。システムの故障、電力不足、冷却装置の不具合。様々な理由で、一人、また一人と、被験者が死んでいった。


 そして、最後のログ。


 『2147年3月15日 - 最後の生存者、被験者A-247を覚醒。緊急覚醒プロトコル実行。電力残量3%。施設機能、間もなく完全停止』


 つまり、俺は最後の一人だったのだ。


 施設の電力が尽きる寸前に、自動的に覚醒させられた。他の被験者は、とっくの昔に死んでいた。百年の間に、システムの故障で死んでいった。


 俺が生きていたのは、運が良かっただけだ。たまたま俺のカプセルが最後まで機能していた。それだけのことだ。


 では、外の世界はどうなっているのか。


 ログには「外部環境異常」「放射線レベル上昇」とあった。何が起きたのか。


 俺は施設情報のメニューを開いた。


 地図が表示される。この施設の位置が示されている。どうやら、地下深くに建設されたシェルターのようだ。核シェルター。


 核戦争が起きたのか。


 それとも、何か別の災害が。


 外部カメラの映像を見ようとしたが、カメラは全て故障しているようだった。画面には「接続エラー」の文字だけが表示される。


 俺は立ち上がった。


 出口を探さなければならない。外の世界を確認しなければならない。


 部屋の奥に、金属製のドアがあった。非常口のマークがついている。俺はそのドアに向かった。


 ドアの横にパネルがある。電子ロックだ。しかし、電力が不足しているのか、パネルは消えている。


 俺はドアを押してみた。


 動かない。


 引いてみる。


 やはり動かない。


 ロックがかかっているのだ。


 俺は周囲を見回した。何か道具はないか。ドアを開ける方法は。


 部屋の隅に、工具箱のようなものが置いてあった。俺はそれに近づき、蓋を開ける。


 中にはバール、ハンマー、ドライバーなどが入っていた。


 俺はバールを手に取り、ドアに戻った。


 ドアの隙間にバールを差し込む。力を込めて、こじ開けようとする。


 ギィィィィ。


 金属が軋む音がした。ドアが少し動いた。さらに力を込める。汗が額を伝う。筋肉が悲鳴を上げる。百年眠っていた身体は、思うように動かない。


 しかし、諦めるわけにはいかない。


 ここに留まっていても、電力が尽きれば、俺も死ぬ。


 外に出なければならない。


 ガシャン。


 ドアが開いた。


 俺は息を整え、ドアの向こうを見た。


 長い廊下が続いている。照明は消えている。真っ暗だ。


 俺は工具箱に戻り、懐中電灯を探した。幸い、一つ見つかった。スイッチを入れる。光が点く。


 懐中電灯を手に、俺は廊下に足を踏み入れた。


 静寂が支配している。


 足音だけが廊下に響く。壁は湿っている。どこかから水が漏れているのだろう。天井から水滴が落ちてくる。


 俺は懐中電灯の光を頼りに、廊下を進んだ。


 いくつかの部屋の前を通り過ぎる。全ての部屋のドアは閉じられている。覗き込む気にはなれなかった。中に何があるか、想像したくなかった。


 やがて、階段が見えてきた。


 上に続く階段だ。


 俺は階段を登り始めた。一段、また一段。身体が重い。息が切れる。百年眠っていた身体は、想像以上に衰えている。


 途中で何度か立ち止まり、息を整えた。


 そして、ようやく階段の最上部に辿り着いた。


 そこには、大きな金属製のドアがある。


 シェルターの出口だ。


 俺はドアのハンドルに手をかけた。重い。しかし、ロックはかかっていないようだ。


 力を込めて、ドアを押す。


 ギィィィィ。


 ドアがゆっくりと開いていく。


 外の空気が流れ込んでくる。


 そして、光が差し込む。


 俺は目を細めた。眩しい。百年ぶりに見る太陽の光だ。


 ドアを完全に開け、外に出た。


 そして、俺は見た。


 灰色の世界を。


 空は灰色に覆われている。太陽は見えない。厚い雲が空を覆っているのだ。


 地面も灰色だ。灰が積もっている。風が吹くたびに、灰が舞い上がる。


 建物の残骸が見える。崩れ落ちたビル、壊れた橋、ひしゃげた車。全てが灰に覆われている。


 木は枯れている。草は生えていない。


 生命の気配がまったくない。


 これが、百年後の世界なのか。


 俺は立ち尽くした。言葉が出てこない。


 人類は、滅んだのか。


 それとも、どこかで生き延びているのか。


 俺は分からなかった。


 ただ、一つだけ確かなことがある。


 俺は、この灰色の世界で、生きていかなければならない。


 たった一人で。




 俺は灰色の世界を歩いていた。


 シェルターから出て、もう何時間経っただろうか。時計は持っていない。太陽も見えないから、時間の感覚が掴めない。


 ただ歩いている。目的もなく。ただ、何かを探して。


 生存者。食料。水。希望。


 何でもいい。何か見つかれば。


 しかし、見つかるのは廃墟ばかりだった。


 崩れ落ちた建物の中に入ってみた。床には灰が積もっている。家具は朽ちている。食料はない。水もない。


 全てが失われている。


 俺は次の建物に向かった。


 そこは、かつてスーパーマーケットだったようだ。看板の残骸が転がっている。文字はほとんど消えているが、かろうじて読める。


 中に入る。


 棚は倒れている。商品は散乱している。しかし、食料はない。腐っているか、既に持ち去られたか。


 俺は棚の間を歩き、奥の倉庫に向かった。


 倉庫のドアは半開きになっている。中は真っ暗だ。懐中電灯の光を向ける。


 棚がある。段ボール箱が積まれている。


 俺は一つの箱を開けた。


 中には缶詰が入っていた。


 食料だ。


 俺は安堵のため息をついた。


 缶詰を取り出す。ラベルは剥がれているが、缶自体は無事だ。賞味期限はとっくに切れているだろうが、缶詰なら食べられるかもしれない。


 俺は缶詰をいくつか拾い、リュックサックに詰めた。シェルターから持ってきたリュックだ。


 倉庫の奥には、ペットボトルの水が積まれていた。ボトルの一部は割れているが、無事なものもある。


 俺は水を確保した。


 これで、数日は生き延びられる。


 俺は倉庫を出て、スーパーマーケットを後にした。


 外に出ると、風が吹いていた。冷たい風だ。灰が舞い上がる。俺は口を覆った。灰を吸い込みたくない。


 何が起きたのか、まだ分からない。しかし、この灰は危険かもしれない。放射性物質を含んでいる可能性がある。


 俺は、マスクを探さなければならない。防護服も。


 しかし、それよりも先に、避難場所を見つける必要がある。


 夜になる前に。


 もし夜になったら、この灰色の世界は完全な暗闇に包まれるだろう。太陽が見えないのだから、月も見えないはずだ。


 俺は急いで歩き始めた。


 建物を一つずつ確認していく。使えそうな建物はないか。屋根があって、ドアが閉められて、安全な場所は。


 やがて、一軒の家を見つけた。


 二階建ての家だ。壁は崩れていない。窓は割れているが、ドアは無事だ。


 俺は家の中に入った。


 玄関には靴が置いてある。誰かが住んでいた家だ。


 リビングに入る。


 ソファがある。テーブルがある。テレビがある。全てに灰が積もっている。


 壁には写真が飾られている。家族写真だ。父親、母親、子供二人。笑顔で写っている。


 彼らはどこに行ったのか。


 生き延びたのか。それとも。


 俺は写真から目を逸らした。


 考えないようにする。考えても仕方がない。


 俺は二階に上がった。


 寝室がある。ベッドがある。埃まみれだが、寝られないことはない。


 窓を確認する。割れていない。良かった。夜の冷気を防げる。


 俺はリュックサックを下ろし、缶詰を一つ取り出した。


 工具箱から持ってきたナイフで、缶を開ける。


 中身は、野菜の煮込みのようだった。匂いを嗅ぐ。腐っていないようだ。


 俺は缶を口に運んだ。


 冷たい。しかし、食べられる。


 百年ぶりの食事だった。


 味はしない。いや、味覚が鈍っているのかもしれない。しかし、それでもいい。腹を満たせればいい。


 食事を終え、俺はベッドに横になった。


 天井を見つめる。


 静寂が支配している。


 人の声も、車の音も、何も聞こえない。


 俺は一人だ。


 この世界に、俺しかいないのかもしれない。


 その考えが頭をよぎった瞬間、恐怖が襲ってきた。


 孤独。


 絶対的な孤独。


 誰とも話せない。誰にも会えない。ただ一人で、この灰色の世界を彷徨う。


 それが、俺の未来なのか。


 俺は目を閉じた。


 眠ろう。眠れば、何も考えずに済む。


 しかし、眠れなかった。


 恐怖と孤独が、俺を支配していた。




 目が覚めた。


 どれくらい眠っただろうか。身体はまだ重い。疲れが取れていない。


 窓の外を見る。


 灰色の空が広がっている。昨日と変わらない。いや、今が昼なのか夜なのかも分からない。太陽が見えないから、時間の感覚が完全に狂っている。


 俺は起き上がり、リュックサックを背負った。


 この家に留まるわけにはいかない。食料と水は限られている。もっと多くを確保しなければならない。


 そして、何よりも、他の生存者を探さなければならない。


 俺は家を出た。


 灰色の世界は相変わらずだ。風が吹き、灰が舞う。


 俺は目を細め、周囲を見回した。


 どこに行けばいいのか。


 そのとき、遠くに何かが見えた。


 建物だ。しかし、普通の建物ではない。高い塔のような構造物だ。


 通信塔だろうか。それとも、何か別の施設か。


 俺はその方向に向かって歩き始めた。


 距離は遠い。一時間以上は歩かなければならないだろう。しかし、行く価値はある。


 もしかしたら、そこに何かあるかもしれない。生存者、情報、希望。


 何でもいい。


 俺は歩き続けた。


 廃墟の街を抜け、壊れた橋を渡り、枯れた森を通り過ぎる。


 全てが死んでいる。


 生命の気配がまったくない。


 鳥も飛んでいない。虫も這っていない。動物の姿も見えない。


 この世界は、完全に死んでいるのか。


 俺は不安になった。


 しかし、歩みを止めるわけにはいかない。


 やがて、塔の下に辿り着いた。


 近くで見ると、それは通信塔ではなかった。何か別の施設だ。巨大な円筒形の建造物で、表面には無数のパネルが取り付けられている。


 ソーラーパネルだ。


 発電施設なのか。


 俺は建物の周囲を歩き、入口を探した。


 やがて、金属製のドアを見つけた。ドアには電子ロックがついている。しかし、電源は入っていないようだ。


 俺はドアを押してみた。


 動かない。


 バールでこじ開けるしかない。


 俺はリュックサックからバールを取り出し、ドアの隙間に差し込んだ。


 力を込める。


 ギィィィィ。


 ドアが開いた。


 中は真っ暗だ。懐中電灯の光を向ける。


 廊下が続いている。壁には配線が走っている。機械音が微かに聞こえる。


 電力が残っているのか。


 俺は廊下を進んだ。


 いくつかの部屋を通り過ぎる。制御室、機械室、倉庫。


 そして、最奥の部屋に辿り着いた。


 ドアには「中央制御室」と書かれたプレートが掲げられている。


 俺はドアを開けた。


 部屋の中央には、巨大なコンピューターが設置されている。モニターが複数並んでいる。そのうちのいくつかは点灯している。


 誰かいるのか。


 俺は警戒しながら、部屋に入った。


 人の気配はない。しかし、コンピューターは稼働している。


 俺は一つのモニターに近づいた。


 画面には、文字が表示されている。


 『気候制御システム - ステータス: 稼働中』

 『大気浄化プロセス - 進行率: 47%』

 『推定完了時期: 2247年』


 気候制御システム。


 大気浄化。


 つまり、この施設は、灰に覆われた世界を元に戻すために稼働しているのか。


 俺はさらにモニターを見た。


 別の画面には、世界地図が表示されている。地図上には、複数の赤い点が打たれている。


 それぞれの点には、施設名が書かれている。


 「シェルターA - 生存者: 0」

 「シェルターB - 生存者: 0」

 「シェルターC - 生存者: 1」


 シェルターC。それが、俺がいたシェルターだ。


 他のシェルターは、全て生存者がゼロになっている。


 つまり、俺だけが生き残ったのだ。


 地球全体で。


 俺は画面を見つめた。


 信じられない。しかし、データは明確だった。


 俺は、地球最後の人類なのか。


 その事実が、重く俺の肩にのしかかってきた。


 しかし、俺には時間がない。感傷に浸っている余裕はない。


 俺はさらにコンピューターを操作した。


 何か情報はないか。何が起きたのか。


 ログを開く。


 画面に文字が流れていく。


 『2047年12月7日 - 第三次世界大戦勃発』

 『2048年1月3日 - 核兵器使用。主要都市壊滅』

 『2048年2月15日 - 核の冬到来。気温低下、農作物壊滅』

 『2048年5月22日 - 人類人口、推定90%減少』

 『2049年8月9日 - 気候制御システム起動。大気浄化開始』

 『2050年3月11日 - 人類人口、推定99%減少』


 核戦争。


 人類は、核戦争で自滅したのだ。


 そして、生き残った者たちも、核の冬で死んでいった。


 気候制御システムは、その状況を改善するために作られた。しかし、完了するまでに百年かかる。


 その百年の間に、ほとんどの人類が死んでしまった。


 俺を除いて。


 俺は、なぜ生き残ったのか。


 ただの偶然だ。


 俺のカプセルが、たまたま最後まで機能していた。それだけのことだ。


 運が良かっただけだ。


 しかし、その運は、祝福なのか、呪いなのか。


 俺は一人で、この灰色の世界を生きていかなければならない。


 百年後には、世界は元に戻る。空は青くなり、草は生え、木々は緑に覆われる。


 しかし、その時、俺は生きているのか。


 百年も生きられるわけがない。


 つまり、俺は、復興した世界を見ることなく死ぬのだ。


 孤独の中で。


 その事実が、俺を絶望させた。


 俺は、なぜ目覚めたのか。


 このまま眠っていた方が良かったのではないか。


 死んでいた方が幸せだったのではないか。


 そう思った。


 しかし、次の瞬間、俺は自分を叱った。


 弱気になるな。


 生きている限り、希望はある。


 たとえ一人でも、生きていく方法はある。


 俺は、モニターをさらに調べた。


 何か、生き延びるための情報はないか。


 そして、一つのファイルを見つけた。


 『長期生存プロトコル』


 俺はそれを開いた。


 画面に文章が表示される。


 『気候制御システムが完了するまで、生存者は以下の手順に従うこと。

 一、食料・水の確保。推奨場所: 旧都市部の地下倉庫。

 二、放射線防護。マスク・防護服の着用必須。

 三、他の生存者との接触。生存者データベースを参照。

 四、冷凍睡眠施設の利用。再度冷凍睡眠に入ることで、気候回復後に目覚めることが可能。最寄りの施設: シェルターD。座標: 北緯35.6度、東経139.7度』


 冷凍睡眠施設。


 再び眠ることができるのか。


 そして、百年後に目覚めることができるのか。


 俺は希望を見出した。


 つまり、俺はもう一度冷凍睡眠に入ればいい。そして、気候が回復した後に目覚める。


 その時には、世界は元に戻っている。


 俺は、復興した世界で生きることができる。


 それが、唯一の希望だった。


 俺は、シェルターDの座標をメモした。


 北緯35.6度、東経139.7度。


 かつての首都の近くだ。


 そこまでの距離は、どれくらいか。


 地図を確認する。


 直線距離で約二百キロメートル。


 歩けば、二週間はかかるだろう。


 しかし、行くしかない。


 それが、俺が生き延びる唯一の方法だ。


 俺は決意した。


 シェルターDに行く。


 そして、再び眠る。


 百年後に目覚める。


 その時には、この灰色の世界は、緑の世界に変わっているはずだ。


 俺は、制御室を出た。


 長い旅が始まる。




 俺は歩き続けた。


 一日目、二日目、三日目。


 日数を数える意味はない。太陽が見えないから、一日の長さも分からない。


 ただ歩く。


 食料と水を確保しながら、北へ。


 シェルターDを目指して。


 途中、いくつかの街を通り過ぎた。


 全て廃墟だった。


 人の姿はない。動物もいない。


 ただ、灰と沈黙だけが支配している。


 俺は、時折立ち止まり、周囲を見回した。


 何か変化はないか。


 しかし、何も変わらない。


 灰色の空、灰色の地面、灰色の建物。


 全てが灰色だ。


 色のない世界。


 生命のない世界。


 俺は、この世界に適応していかなければならない。


 孤独に慣れなければならない。


 しかし、それは簡単なことではなかった。


 夜になると、恐怖が襲ってくる。


 完全な暗闇の中で、俺は一人だ。


 何も聞こえない。何も見えない。


 ただ、自分の呼吸音だけが聞こえる。


 生きている証拠。


 しかし、それ以外には何もない。


 俺は、時々叫びたくなった。


 誰かいないか。


 誰か答えてくれ。


 しかし、叫ぶことはなかった。


 無駄だと分かっているから。


 誰も答えない。


 この世界には、俺しかいないのだから。


 四日目。


 俺は、ある建物の前で立ち止まった。


 図書館だ。


 看板は朽ちているが、かろうじて読める。


 「市立図書館」


 俺は、中に入ってみることにした。


 何か情報が残っているかもしれない。


 ドアを開ける。


 中は薄暗い。窓から差し込む灰色の光だけが、室内を照らしている。


 本棚が並んでいる。本は散乱している。床には灰が積もっている。


 俺は、本棚の間を歩いた。


 タイトルを見る。


 歴史書、小説、科学書。


 全てが残っている。


 人類の知識が、ここに保管されている。


 しかし、それを読む者はもういない。


 俺は、一冊の本を手に取った。


 『人類の歴史』


 ページをめくる。


 紙は湿っている。文字は滲んでいる。


 しかし、読むことはできる。


 俺は、その本を読み始めた。


 人類の歴史。


 誕生、発展、繁栄、そして滅亡。


 全てがここに書かれている。


 俺は、涙が溢れてくるのを感じた。


 人類は、こんなにも多くのことを成し遂げてきた。


 文明を築き、芸術を創造し、科学を発展させてきた。


 しかし、最後には、自らを滅ぼしてしまった。


 核戦争。


 愚かな選択。


 取り返しのつかない過ち。


 俺は、本を閉じた。


 読むのが辛い。


 人類の終わりを知るのが辛い。


 俺は、図書館を出た。


 外は相変わらずの灰色だ。


 しかし、俺は歩き続けなければならない。


 シェルターDまで。


 希望を掴むために。


 五日目。


 俺は、ある発見をした。


 道路の脇に、車が停まっていた。


 ほとんどの車は壊れているが、一台だけ、比較的無事な車があった。


 俺は、車に近づいた。


 ドアを開ける。鍵はかかっていない。


 運転席に座る。


 ハンドルを握る。


 エンジンをかけてみる。


 しかし、反応はない。バッテリーが切れているのだろう。


 俺は、車を降りた。


 歩くしかない。


 しかし、その時、俺は気づいた。


 車のトランクに、何か入っているかもしれない。


 俺は、トランクを開けた。


 中には、段ボール箱が入っていた。


 箱を開ける。


 中には、缶詰、ペットボトルの水、懐中電灯の予備電池、そして、一冊のノートが入っていた。


 俺は、ノートを手に取った。


 開いてみる。


 文字が書かれている。


 日記だ。


 誰かの日記だ。


 俺は、読み始めた。


 『2048年3月15日

 戦争が始まった。核兵器が使われた。街は壊滅した。

 家族と一緒に、シェルターに避難した。

 しかし、シェルターは満員だった。入れなかった。

 仕方なく、車で逃げることにした。

 どこに行けばいいのか分からない。

 ただ、生き延びるために、走り続けるしかない。』


 『2048年3月20日

 食料が尽きてきた。水も少ない。

 街はどこも同じだ。廃墟ばかりだ。

 人の姿も見ない。

 みんな死んでしまったのか。

 それとも、どこかに隠れているのか。』


 『2048年3月25日

 妻が倒れた。放射線の影響だ。

 薬がない。病院もない。

 どうすればいいのか。

 神様、助けてください。』


 『2048年3月28日

 妻が死んだ。

 子供たちも具合が悪い。

 もう長くはないだろう。

 俺も、身体が動かなくなってきた。

 この日記を残す。

 もし、誰かがこれを読んだら、覚えていてほしい。

 俺たちは、生きようとした。

 最後まで、諦めなかった。

 しかし、運命には勝てなかった。

 人類は、愚かだった。

 戦争なんて、するべきではなかった。

 もし、もう一度やり直せるなら、平和を選ぶ。

 しかし、もう遅い。

 さようなら。』


 それが、最後の日記だった。


 俺は、ノートを閉じた。


 涙が止まらなかった。


 この人たちは、最後まで生きようとした。


 家族を守ろうとした。


 しかし、死んでしまった。


 放射線の影響で。


 俺は、彼らの遺体を探した。


 車の近くを見回す。


 やがて、木の下に、三つの墓標を見つけた。


 石が積まれている。


 誰かが埋葬したのだ。


 恐らく、日記を書いた男だろう。


 妻と子供たちを埋葬し、そして自分も死んだのだ。


 俺は、墓標の前で手を合わせた。


 安らかに眠ってください。


 そう祈った。


 そして、俺は歩き続けた。


 彼らの分まで、生きるために。


 六日目。


 俺は、ついにシェルターDの近くまで辿り着いた。


 地図で確認した座標の場所だ。


 そこには、大きな施設があった。


 地下に続く階段がある。


 入口には、「シェルターD」と書かれた看板が掲げられている。


 俺は、階段を降りた。


 長い階段だ。


 やがて、金属製のドアに辿り着いた。


 ドアには電子ロックがついている。


 しかし、電源は入っているようだ。パネルが光っている。


 俺は、パスワードを入力する画面を見た。


 しかし、パスワードは分からない。


 どうすればいいのか。


 俺は、周囲を見回した。


 ドアの横に、小さなパネルがある。


 「緊急アクセス」と書かれている。


 俺は、それを押した。


 パネルが光る。


 『緊急アクセス要請を受け付けました。身分証明を提示してください』


 身分証明。


 俺は、ポケットを探った。


 シェルターCから持ってきた、IDカードがある。


 それを、パネルにかざした。


 ピピピ。


 『身分証明確認。被験者A-247。アクセスを許可します』


 ドアが開いた。


 俺は、中に入った。


 廊下は明るい。照明が点いている。


 電力が供給されているのだ。


 俺は、廊下を進んだ。


 やがて、広い部屋に辿り着いた。


 冷凍睡眠装置が並んでいる。


 シェルターCと同じだ。


 しかし、ここのカプセルは、全て空だった。


 誰も使っていない。


 つまり、このシェルターには、誰もいなかったのだ。


 準備されていたが、使われなかった。


 俺は、一つのカプセルに近づいた。


 モニターがついている。


 操作してみる。


 画面に文字が表示される。


 『冷凍睡眠装置 - ステータス: 待機中』

 『使用可能。覚醒設定時期を入力してください』


 覚醒設定時期。


 つまり、いつ目覚めるかを設定できるのだ。


 俺は、入力画面を見た。


 2247年。


 気候制御システムが完了する年だ。


 俺は、その年を入力した。


 『覚醒設定: 2247年1月1日。確定しますか?YES/NO』


 俺は、YESを選択した。


 『設定完了。冷凍睡眠を開始します。カプセル内に横たわってください』


 俺は、カプセルの中に入った。


 横たわる。


 天井が見える。


 白い天井だ。


 カプセルの蓋がゆっくりと閉じていく。


 俺は、深呼吸をした。


 これで、百年後に目覚める。


 その時には、世界は元に戻っている。


 青い空、緑の大地、生命に満ちた世界。


 俺は、その世界で生きることができる。


 希望がある。


 未来がある。


 俺は、目を閉じた。


 眠気が襲ってくる。


 冷凍睡眠が始まったのだ。


 意識が遠のいていく。


 最後に、俺は思った。


 人類は、滅びた。


 しかし、俺は生きている。


 俺が、最後の人類だ。


 俺が、人類の希望だ。


 俺は、百年後に目覚める。


 そして、新しい世界を見る。


 それが、俺の使命だ。


 俺は、微笑んだ。


 そして、完全に意識を失った。




 暗い。


 真っ暗で何も見えない。


 ここはどこだ。


 俺は、ゆっくりと意識を取り戻した。


 身体が冷たい。動かない。


 また、冷凍睡眠から目覚めたのか。


 百年が経ったのか。


 俺は、目を開けようとした。


 瞼が重い。しかし、少しずつ開いていく。


 視界がぼやけている。


 焦点が合わない。


 しかし、徐々にはっきりしてくる。


 カプセルの蓋が開いている。


 俺は、上体を起こした。


 周囲を見回す。


 冷凍睡眠装置が並んでいる。


 シェルターDだ。


 俺は、カプセルから出た。


 床に足をつける。


 身体は動く。百年前よりも、スムーズに動く。


 俺は、モニターを確認した。


 『覚醒日時: 2247年1月1日 午前0時0分』


 設定通りだ。


 百年が経った。


 俺は、施設の出口に向かった。


 階段を登る。


 そして、ドアを開けた。


 外の空気が流れ込んでくる。


 俺は、外に出た。


 そして、見た。


 青い空を。


 太陽が輝いている。


 雲が浮かんでいる。


 地面には、草が生えている。


 緑の草だ。


 木々が立っている。


 葉が茂っている。


 鳥が飛んでいる。


 虫が鳴いている。


 生命に満ちている。


 世界は、元に戻っていた。


 灰色の世界は、緑の世界に変わっていた。


 俺は、涙が溢れてくるのを感じた。


 美しい。


 この世界は、美しい。


 俺は、地面に膝をついた。


 草に手を伸ばす。


 触れる。


 柔らかい。


 生きている。


 この草は、生きている。


 俺は、笑った。


 声を上げて笑った。


 俺は、生き延びたのだ。


 二百年の時を超えて。


 そして、この新しい世界で、生きることができる。


 俺は、立ち上がった。


 周囲を見回す。


 遠くに、建物が見える。


 新しい建物だ。


 人が住んでいるのか。


 俺は、その方向に向かって歩き始めた。


 生存者がいるかもしれない。


 いや、きっといる。


 百年の間に、新しい人類が生まれたのかもしれない。


 それとも、他のシェルターから目覚めた者がいるのかもしれない。


 どちらでもいい。


 俺は、もう一人ではない。


 この新しい世界には、希望がある。


 未来がある。


 俺は、歩き続けた。


 緑の世界を。


 青い空の下を。


 新しい人生が、始まろうとしていた。

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水が死んだ日

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