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世界は静かに壊れている【ショートショート集・短編集】  作者: 御影のたぬき


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124/216

【SF】完全なる羽化(不完全な翼-続編)

プロローグ 羽化災害

 2045年7月26日。

 午前11時23分。

 東京羽化センター第三施設。

 マグニチュード8.2の大地震が発生した。

 施設には、328名の蛹期の人間が保管されていた。

 地震で電源が途絶え、カプセルの温度調整が停止した。

 補助電源の起動が遅れた。わずか17分。

 だが、その17分が、全てを変えた。

 温度低下により、一部の蛹の変態プロセスが中断された。

 部位ごとに独立した変態指令。

 その指令が、不規則に停止した。

 右腕だけが羽化を完了した者。

 左半身だけが変化した者。

 翼が片方しか生えなかった者。

 内臓の一部が再構築されず、慢性的な疾患を抱えた者。

 328名のうち、完全羽化は112名のみ。

 216名が、部分羽化となった。

 これが、後に「7.26羽化災害」と呼ばれる事件だった。



 北条誠ほうじょう まことは、羽化生物学の第一人者だった。

 38歳。国立羽化研究所の主任研究員。

 彼の研究テーマは、「完全羽化の保証」。

 部分羽化をゼロにする。それが、彼の使命だった。

「北条先生、データが出ました」

 助手の若林が資料を持ってくる。

「7.26災害の被験者、216名のうち、87%が深刻な後遺症を抱えています」

「身体的な問題か?」

「身体的問題が63%。精神的問題が24%。両方が13%です」

 北条は資料を読んだ。

 片翼の少女は、バランス障害で歩行困難。

 右腕が未羽化の少年は、慢性的な痛みに苦しんでいる。

 内臓が不完全な青年は、常に人工補助装置が必要だ。

「これは...悲惨だな」

「はい」

 若林が同意する。

「彼らの人生は、災害で破壊されました」

 北条は窓の外を見た。

 研究所の庭で、完全羽化者たちが飛行訓練をしている。

 美しい翼。自由な飛行。

「彼らを救いたい」

「先生...?」

「部分羽化者を、完全羽化に導く方法を見つける」

 北条が決意した顔をする。

「それが、俺の仕事だ」


 だが、研究には壁があった。

 倫理だ。

「北条先生の研究計画、却下します」

 羽化研究倫理委員会の委員長、白石が告げた。

「なぜですか?」

 北条が抗議する。

「人体実験だからです」

「人体実験ではありません。治療です」

「治療?」

 白石が資料を見る。

「これは実験です」

 北条の研究計画には、こう書かれていた。

『部分羽化者を再び蛹期に戻し、変態プロセスを再起動させる』

「再蛹化」

 という、前例のない手法だ。

「これは危険です」

 白石が指摘する。

「通常の蛹期でさえ、5%の死亡率がある」

「再蛹化は、その数倍のリスクがあるでしょう」

「でも、成功すれば、部分羽化者を救えます」

「成功すれば、ですね」

 白石が冷たく言う。

「失敗すれば、被験者は死にます」

「リスクは承知しています」

「承知していても、認められません」

 白石が断言する。

「人命を賭けた実験は、倫理的に許されません」

 北条は拳を握った。

「では、部分羽化者はどうすればいいんですか?」

「一生、不完全なまま生きろと?」

「それは...」

 白石が言葉を詰まらせる。

「現状では、リハビリと補助技術で対応するしかありません」

「それでは根本的な解決にならない!」

「わかっています」

 白石が溜息をつく。

「しかし、倫理を無視することはできません」

 会議は、平行線のまま終わった。


 北条は諦めなかった。

 公式には認められない。

 なら、非公式にやるしかない。

「若林」

「はい」

「極秘の研究プロジェクトを立ち上げる」

「極秘...?」

「倫理委員会には報告しない」

 若林が驚く。

「それは...規則違反では?」

「規則を守って、部分羽化者を見殺しにするのか?」

「でも...」

「お前は、彼らの苦しみを見ただろう」

 北条が資料を叩く。

「片翼の少女が、毎日リハビリで泣いているのを」

「右腕未羽化の少年が、痛みで眠れないのを」

「内臓不完全の青年が、補助装置なしでは生きられないのを」

 若林が黙る。

「俺は、彼らを救いたい」

「たとえ、規則を破ってでも」

 若林は少し考えて、頷いた。

「...わかりました。協力します」

 極秘研究が始まった。

 北条と若林は、夜間に研究所の地下施設で実験を行った。

 最初は動物実験だ。

 羽化する生物、蝶や蛾を使って、再蛹化のプロセスを研究する。

 だが、人間と昆虫では、生理機構が違いすぎる。

「これでは、データが不十分だ」

 北条が悩む。

「人間での実験が必要です」

 若林が言う。

「だが、どうやって?」

「被験者を募集しましょう」

「募集?」

「部分羽化者に、治療の機会を提示するんです」

「リスクも説明した上で、同意を得る」

 北条は考えた。

「...やってみよう」


 募集広告は、インターネットの掲示板に匿名で投稿された。

『部分羽化者の方へ。完全羽化を目指す治療プログラム。被験者募集』

 反応は、予想以上だった。

 3日間で、82名の応募があった。

 北条は、その中から慎重に選んだ。

 最終的に選ばれたのは、3名。

 一人目:桜井奏美、19歳、女性。

 7.26災害の被害者。片翼のみ羽化。

 二人目:高橋翔、17歳、男性。

 右腕が未羽化。慢性的な痛みを抱えている。

 三人目:田中健一、22歳、男性。

 内臓の一部が未羽化。人工補助装置が必要。

「よろしくお願いします」

 三人が北条の前に座っている。

「リスクは理解していますか?」北条が確認する。

「はい」

 奏美が答える。

「死ぬかもしれない。それは承知しています」

「でも、このままじゃ生きていけません」

「片翼では、普通の生活ができない」

 高橋も頷く。

「俺も同じです。この痛み、もう耐えられない」

「治療が成功すれば、普通の生活ができる」

「失敗すれば、死ぬ」

「どっちでもいい。今の地獄よりマシです」

 田中が言う。

「俺は、補助装置なしでは生きられません」

「一生、機械に繋がれたまま」

「それなら、賭けてみたい」

 北条は三人の決意を感じた。

「わかりました。では、治療を開始します」

 

 治療は、地下施設の密室で行われた。

 特殊な蛹用カプセル。

 通常のカプセルより、温度・湿度・栄養供給が精密に制御される。

「では、桜井さんから」

 奏美が最初の被験者となった。

 彼女はカプセルに入り、再び蛹期に入る。

 体が溶けていく。

 骨格が崩壊し、筋肉が液状化する。

 そして、再構築が始まる。

 北条と若林は、24時間体制で監視した。

 データを記録し、異常があればすぐに対処する。

「先生、彼女の心拍が不安定です」

「栄養供給を増やせ」

「はい」

 緊張の数週間が続いた。

 そして、4週間後。

 奏美の再蛹化が完了した。

 カプセルが開く。

 そこには、完全羽化した美咲がいた。

 両翼。均整の取れた体。

「成功した...」

 北条は感動した。

 奏美が目を覚ます。

「...先生?」

「桜井さん、成功です」

 奏美は自分の体を見た。

 両方の翼がある。

「...本当に?」

「はい」

 奏美が泣き出した。

「ありがとうございます...」

「ずっと...ずっと夢見てた...」

「完全な体で生きることを...」

 北条も涙を拭った。

「よかった」

 次は高橋だ。

 彼も再蛹化のプロセスに入った。

 だが、途中で問題が起きた。

「先生!高橋さんの体温が急上昇しています!」

「冷却装置を起動しろ!」

「起動しています!でも、下がりません!」

 北条が焦る。

「くそ、拒絶反応か...」

 高橋の体が、再蛹化を拒否している。

 免疫システムが暴走している。

「先生、どうしますか?」

「...中止だ。カプセルを開けろ」

「でも、中途半端な状態で開けると...」

「死ぬよりマシだ!開けろ!」

 カプセルが緊急解放された。

 高橋が飛び出す。

 体は、半分溶けた状態だった。

 右腕は完全に再構築されていた。

 だが、左半身は液状化したままだ。

「うわああああ!」

 高橋が叫ぶ。

「痛い!痛い!」

「若林、鎮痛剤!すぐに!」

 高橋に薬が投与される。

 彼の意識が遠のいていく。

 翌日。

 高橋は生きていた。

 だが、体は悲惨だった。

 右腕は完全羽化。

 だが、左半身は未羽化のまま。

 さらに、背中には異形の突起が生えていた。

 失敗した翼の名残だ。

「俺...どうなったんだ...」

 高橋が鏡を見て、絶望する。

「桜井さん、すまない」

 北条が謝る。

「治療は失敗だ」

「逆に、悪化させてしまった」

 高橋が泣く。

「もういい...殺してくれ...」

「こんな体で生きたくない...」

 北条は何も言えなかった。


 田中の治療は延期された。

 高橋の失敗を受けて、プロトコルを見直す必要があった。

 だが、その間に事件が起きた。

 倫理委員会が、北条の極秘研究を察知したのだ。

「北条先生、説明してください」

 白石が怒りを隠さない。

「あなた、無許可で人体実験を行っていますね」

「...はい」

「なぜですか?」

「部分羽化者を救うためです」

「救う?」

 白石が叫ぶ。

「高橋翔さんを見ましたか?」

「彼は治療前より、ひどい状態になった!」

「それは...予期せぬ合併症で...」

「予期せぬ?」

 白石が資料を叩く。

「私たちが警告したじゃないですか」

「再蛹化は危険だと」

「失敗すれば、取り返しがつかないと」

 北条は黙った。

「北条先生、あなたは研究者を辞めてください」

「え...?」

「即刻、解雇です」

「そして、この研究は中止」

「被験者の方々には、適切な補償を行います」

 北条が立ち上がる。

「待ってください!」

「桜井さんは成功したんです!」

「完全羽化できたんです!」

「一人成功しても、一人失敗しています」

 白石が言う。

「しかも、田中健一さんはまだ治療を受けていない」

「彼にも、高橋さんと同じリスクがある」

「でも、彼は治療を望んでいます!」

「彼の同意は無効です」

 白石が断言する。

「なぜなら、あなたは正確なリスクを伝えていなかった」

「高橋さんの失敗を見せずに、桜井さんの成功だけを見せた」

「それは、インフォームドコンセントの違反です」

 北条は反論できなかった。


 だが、北条は諦めなかった。

 解雇されても、研究を続けた。

 地下施設に潜伏し、若林と共に。

「先生、これは完全に違法です」

「わかっている」

「でも、田中さんはまだ治療を望んでいます」

 田中は、高橋の失敗を知っても、治療を受けると言った。

「俺は、賭ける」

「成功すれば、普通の生活ができる」

「失敗すれば、死ぬ」

「でも、今のままでも、いずれ死ぬ」

「なら、賭けたい」

 北条は田中の決意を尊重した。

「わかった。治療を行う」

 田中の再蛹化が始まった。

 だが、今回は監視を強化した。

 高橋の失敗から学んだ教訓を活かす。

 拒絶反応の兆候があれば、即座に対処する。

 数週間が経過した。

 田中の再蛹化は、順調に進んでいた。

「先生、もうすぐ完了です」

「ああ」

 北条は希望を感じていた。

 成功すれば、高橋の失敗を補える。

 再蛹化の技術が確立できる。

 無数の部分羽化者を救える。

 だが、その時。

 施設に警察が踏み込んできた。

「動くな!」

「北条誠、あなたを逮捕します」

「何の罪で?」

「無許可医療行為。そして、人体実験」

 北条は抵抗した。

「待ってくれ!あと数日で、田中さんの治療が完了する!」

「そんなことは知らん」

 警察が北条を拘束する。

「頼む!あと数日だけ!」

 だが、警察は聞かなかった。

 北条が連行される中、若林が田中のカプセルを見守った。

「田中さん、もう少しです」

「先生は捕まったけど、私が見守ります」

 だが、警察は施設の電源を切った。

「これは証拠品だ。全て押収する」

「待って!」

 若林が叫ぶ。

「中に人がいます!」

「人?」

「被験者です!蛹期の!」

 警察が慌てる。

「すぐに救出しろ!」

 カプセルが緊急解放された。

 田中が引き出される。

 だが、変態は未完了だった。


 田中健一は、生きていた。

 だが、体は完全ではなかった。

 内臓の再構築は80%完了していたが、残り20%は未完了。

 補助装置は不要になったが、常に体調が不安定だ。

「中途半端だ...」

 田中が病室で呟く。

「治療前より、マシになった」

「でも、完全じゃない」

「中途半端だ」

 北条は裁判にかけられた。

 罪状:無許可医療行為、人体実験、倫理規定違反。

「被告人、北条誠」

 裁判長が言う。

「あなたは、倫理を無視し、人体実験を行いました」

「その結果、高橋翔さんは深刻な後遺症を負いました」

「田中健一さんは不完全な治療に終わりました」

「これは、重大な犯罪です」

 北条は反論した。

「私は、部分羽化者を救おうとしただけです」

「桜井美奏美さんは、完全羽化できました」

「彼女は今、普通の生活を送っています」

「それは、私の研究の成果です」

「一人の成功は、他の失敗を正当化しません」

 裁判長が言う。

「医療には倫理が必要です」

「あなたは、それを無視しました」

「よって、懲役5年を言い渡します」

 北条は刑務所に送られた。


 5年後。

 北条は刑務所から出所した。

 研究者としてのキャリアは終わった。

 だが、彼は諦めなかった。

「再蛹化の研究は、続けられるべきだ」

 北条は、倫理的に正しい方法で研究を再開しようとした。

 だが、誰も協力しなかった。

「北条先生の研究は、危険すぎます」

「倫理委員会は、絶対に許可しません」

 全ての扉が閉ざされた。

 ある日、北条は桜井奏美に会った。

 彼女は完全羽化者として、普通の生活を送っていた。

「先生、お久しぶりです」

「桜井さん、元気そうだね」

「はい。おかげさまで」

 美咲が翼を広げる。

 両翼。美しく、力強い。

「先生のおかげで、私は救われました」

「でも...」

「でも、高橋さんと田中さんは...」

 美咲が悲しそうな顔をする。

「彼らは、私のために犠牲になったんですよね」

「いや、そうじゃない」

 北条が首を振る。

「彼らは、自分の意志で治療を選んだ」

「結果が良くなかったのは、俺の技術不足だ」

「彼らのせいじゃない」

 奏美が涙を拭う。

「先生、ありがとうございました」

「いや、礼を言うのは俺の方だ」

「君が成功してくれて、少しは救われた」

 北条は、その後も部分羽化者の支援活動を続けた。

 研究者としてではなく、支援者として。

 リハビリのサポート。

 補助技術の開発。

 社会的差別の撤廃運動。

 全てに関わった。

 10年後。

 北条は、再蛹化の研究が再開されたことを知った。

 別の研究者が、倫理委員会の承認を得て、慎重に研究を進めている。

「ついに...」

 北条は感慨深かった。

 自分の研究は失敗だった。

 倫理を無視し、被験者を傷つけた。

 だが、その失敗が、次の研究の礎になった。

「これでいいのかもしれない」

 

エピローグ

 現代。

 再蛹化技術は確立された。

 成功率は95%。

 部分羽化者のほとんどが、完全羽化できるようになった。

 高橋翔も、新しい技術で治療を受けた。

 異形の突起は除去され、左半身も完全羽化した。

「やっと...普通になれた...」

 高橋が涙を流す。

 田中健一も、再治療を受けた。

 内臓の残り20%が完全に再構築された。

「これで、自由だ...」

 田中が微笑む。

 北条誠は、70歳で亡くなった。

 彼の葬儀には、多くの部分羽化者が集まった。

 桜井奏美も、高橋翔も、田中健一も。

「先生は、英雄です」

 美咲が弔辞を読む。

「先生の研究は、倫理的に問題があったかもしれません」

「でも、先生の情熱が、今の技術を生みました」

「無数の部分羽化者が、先生のおかげで救われました」

「ありがとうございました」

 拍手が起こる。

 北条の墓石には、こう刻まれている。

『完全なる羽化を目指して』

 それが、彼の人生だった。

 倫理と情熱の間で葛藤し、失敗し、傷つけ、それでも諦めなかった。

 彼の研究は、多くの問題を残した。

 だが、同時に、多くの希望も生んだ。

 現代の部分羽化者たちは、北条を複雑な気持ちで見ている。

 英雄か、犯罪者か。

 その答えは、誰にもわからない。

 ただ、確かなことが一つある。

 北条誠がいなければ、今の技術はなかった。

 部分羽化者たちは、今も苦しんでいたかもしれない。

 だから、彼らは感謝する。

 複雑な感情を抱きながらも。

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水が死んだ日

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