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スケルトンの述懐  作者: ぎじえ・いり
遠い未来・遠い過去
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遠い未来・遠い過去

 クリアな視界で世界を見た。

 いや、見たというのは違うのかもしれない。

 だが世界を確かに認識している。

 死後の世界?

 そんなものがあるか。

 あるはずがない。

 思わず自分自身を確認しようとして、そこに右手がないことに気が付いた。

 そして左手の有様に。

 それは骨身だった。

 白い骨身にやや茜色の燐光を放っている。

 スケルトンだ。

 自分がそれになったのだと、すぐに分かった。

 混乱はない。

 混乱するのは人間であって、骨身の魔物に混乱などないのだと誰に言われなくても理解する。


 ああ、そうか。


 そんな簡単な納得があった。それだけだった。

 暗い部屋だった。

 あるのは1本のロウソクの灯りだけ。

 その灯りがひとりの少女の姿を浮かび上がらせている。

 金色の髪が揺れる。

 驚き目を見開いた少女が俺を見ていた。


「スケルトン……?」

「ああ、そうだ。大丈夫か?」


 自然に声が出ていた。

 声を発した俺に少女が口を開く。

 少女とは反対に俺に驚きはなかった。

 自分に何が出来るのか分かるのだ。

 かつてのエキオンのように。

 自分がどうしてここに存在しているのかは分からない。

 しかし、自分がどういう者なのかは分かる。


「スケルトンがしゃべった!?」

「ああ。そうだな。良いから落ち着け。俺はお前に危害は加えない。お前が俺の主なのだ。その手を見ろ」


 言われた少女は自分の両手を見た。

 その左手には刻印がある。

 それは俺がかつて自身の右手に宿していた刻印と似ているが、細部は違っていた。

 それでもそれが俺の依り代なのだろう。


「お前は俺の主となった。その手の刻印が証だ。さて、それで命令は何だ?どうして俺はここにいる?」


 これが少女との出会いであり、そして俺がこの世界に再生された瞬間でもあった。






 少女は語る。

 要領を得ない話に根気づよく耳を傾け、俺はそれを整理して理解する。

 俺がこうしてスケルトンとしてここにある理由を。

 少女はとある貴族に育てられているのだが、その貴族の家の人間ではないという。

 その貴族には邸に関するある噂があった。

 いくつもある邸の中に、閉ざされた地下室があるという。

 そこにはひとつの宝が隠されている。

 その宝を手に入れれば、国すらも手に入れられる。

 そんな話を少女は耳にして、そして探し始めた。

 宝が本当にあるのかと。

 少女は貴族には世話になっているにも関わらず、まるで貴族の血族であるかのように大切に育てられているようだ。

 普通、貴族でもない人間が貴族の邸をうろうろと勝手に調べ回れるはずがない。

 だが、少女はそれが可能であり、実際に地下室に至るであろう魔法仕掛けの隠し扉を発見した。

 ところがその扉は開かなかった。

 少女は諦め、そしてそのことはずっと忘れていたという。


「軍の学校に入って、魔法の勉強をいっぱいして、それで思い出したの。扉のことを。今なら開けられるんじゃないかって、それで……」


 貴族が邸を空けている間に少女はその扉に向かい、そしてそれは開いた。

 その先にはひとつの玄室があった。

 そこで真っ先に目に飛び込んできたのは、ひとつの遺体。

 全身に包帯が巻かれていて、誰なのかは分からない。


「私、怖くなって逃げて、自分の部屋のベッドに飛び込んで思い出したの」


 遺体だけじゃなく、そこには膨大な量の本があったことを。

 その1冊が魔法書だったことを。


「遺体は怖かったけど、そこにどんな魔法書があるのかが気になって、もう1回だけ確かめようと思って」


 再び玄室へと入り、魔法書を見た。1冊だけじゃなく、すべてが魔法書だった。

 そこには学校では絶対に教えてくれない魔法のことが書かれていた。

 ネクロドライブ。

 かつて、この国を救った英雄が使っていたとされながらも、今では秘匿されたように、表立っては誰も使わない魔法。


「それからおじさんの隙を見ては入って調べたわ。知る内にどうしても試したくなって……」

「それで試したのか。そこにあった死体で」

「……そう」


 その結果、ここに俺が創造されたという訳だ。

 だが、それにしては分からないことが多すぎた。

 何よりも分からないのは。


「何故、俺には記憶がある?俺が、いや、この身体がかつて生きていた頃の記憶があるはずがない」


 あのクソババアは確かに成功させていたが、俺はそんな魔法など知らない。

 まさか、ここに俺の死体を隠した人間があのクソババアなどということはないだろう。

 それだったら、俺ではなく、あのクソババアの意識になっていて然るべきなのだから。


「ご、ごめんなさい。分からないです」


 そこにあっただけの魔法書で得た知識をそのまま試しただけ。

 どうしてそうなるのかは少女自身にも分からないらしい。


「……その魔法書ってのは、今ここにあるのですべてか?」

「何冊かは部屋に持ち帰っちゃったから、ないのもあります」


 記憶がある不思議は自分で確かめるしかなさそうだ。

 少なくとも手がかりはここにあるらしい。


「じゃあ、それも戻してくれ。俺も読んで確かめたい。ところで、その貴族ってのは誰だ?」

「今の御当主はジャスパー・ノヴァク様です」

「……そうか」


 少しばかり、俺が死んでここにその死体が隠された事情が分かる気がした。

 どうやらダニエルが取りはからってくれたのだろう。

 だが、ダニエル自身ではないということは、俺が死んでから随分と時が経ったということだ。ノヴァク家にそんな人間がいたとは聞いたことがない。


「あの」

「ん?なんだ?」

「その、スケルトン……さん?は名前は?」


 名前。

 俺の名前。

 それが分からない訳では無い。

 エキオンは名乗った。

 同じように俺もまた名乗れる。

 だが、俺にはどうしてもそれが憚られた。

 その名前の男は死んだのだ。

 何ひとつとして約束を果たせずに。

 約束を破るのは人でなし。

 そう、俺はもう人ではなくなったのだ。

 ならば、俺に名乗るべき人の名前などない。


「人に名前を尋ねる時は、まず自分から名乗れって教わらなかったか?」


 俺の言葉に少女は慌てたように、姿勢を正して名乗った。

 はっきりと。

 凛と響く声で。

 そうやって名乗るべき名前なのだと示して。


「ごめんなさい!ハルモニア!ハルモニア・ナーよ!」


 その名前に俺の思考が止まった。

 記憶が溢れ出す。

 かつての彼女の姿がよぎる。

 その顔を。

 その声を。

 その髪を。

 目の前の少女には確かにその面影があった。

 間違い無く、彼女のように思えた。

 まさか時を遡って、彼女の幼少時代に現れたなどということなど有り得ない。

 ならば、これはそういうことなのだろう。

 かつて、この身体の男は望んだ。

 未来を。

 その未来こそが今なのだと理解した。


「……ん?スケルトンさんの名前は?名乗ったんだから、教えてよ!」


 俺が名乗りを返さなかったので、少女は焦れたようにせがむ。

 考えてみても、俺はなんと名乗れば良いのか分からなかった。

 この骨身の名前がなんなのか、判断することができなかった。


「俺は死んだんだ。死んだって事は、名前も無くなったって事だ。名前は無い。それで良いんだ」


 そう返した俺に少女は不満そうに顔をしかめた。

 彼女とは違って、少女は表情豊かに俺に話しかけ、時に怒り、時に笑う。

 本当ならば俺が生きて見るはずだった未来がここにはあった。

 だが、俺は死んだ。

 死んだのだ。

 時が経てば経つほどに、俺は自分の存在意義を疑っていった。

 この骨身の魔物は何故、ここにいるのか?と。






『英雄は兵を率いて、邪悪なドラゴンへと立ち向かう』


『しかし、奮闘むなしく、英雄を残して兵は死んでしまう』


『それでも英雄はひとりで勇敢に立ち向かう』


『剣を振るい、跳び、そしてまた剣を振るう』


『戦いは夜になっても終わらず、そして暁が訪れる』


『茜色の輝きが世界を照らす』


『いかなる奇跡か』


『倒れた仲間がひとり、またひとりと立ち上がる』


『ドラゴンの吐く炎に焼かれて、骨だけとなった体で』


『骨だけとなって尚も戦う不死の仲間と共に、英雄はドラゴンを打ち倒す』


『ドラゴンを打ち倒し、英雄が振り返るとそこに仲間の姿は無い』


『そこにあったのは茜色に輝く太陽だけだった」


 お気に入りの絵物語を読んで聞かせてやると、少女はいつの間にか眠りについていた。もう絵物語を喜ぶような年でもないだろうに。

 綺麗に切りそろえられた金色の髪を撫でてやると、くすぐったそうに身を揺する。

 ハルモニア・ナー。

 それが少女の名前。

 あの時、俺は確かに死んだ。

 それでもこの少女がここにいるということは、きっと俺は守れたのだ。

 未来を。

 だが、どうして守れたのかは分からない。

 しばらく寝かしておいてやり、起きたら上へと戻してやった。

 少女は度々ここを訪れて、俺に話をねだった。

 少女は俺をおじさんと呼んだ。

 この骨身の魔物が何を為した人間の、何を成せなかった人間の死体を元に創造されたのかなど、気付きもしていないようだ。

 少女の知らない魔法の話。

 世界のすべてが戦乱の業火に包まれた遠い過去の話。

 砦へとたったひとりで攻め込んだ少年の話。

 少女はそれを目を輝かせて聞いた。

 どんな絵物語に語られる英雄譚よりも喜んだ。

 だが、俺の語るのはただのひとりの男の死だ。

 どうして死に至ったのか、それを順に説明しているだけに過ぎない。

 ただの述懐。

 ただの記憶。

 かつての英雄になり損ねた男のひとりよがりな一人称。

 俺に語るべきものなどそれくらいしかない。

 だから仕方無く語って聞かせているだけだ。

 それでも少女が喜べば、俺は不思議な感覚を得ていた。

 喜び?

 この骨身の魔物にそんな感情なんてあるはずがない。

 ならば、これはなんなのだろうか?

 分からないままに語って聞かせ、少女は俺の話を聞いて大きくなっていく。

 少女が去った部屋の中を見る。

 ここはまるで玄室だ。

 死者を埋葬する墓だ。

 周囲は真っ黒な岩で囲まれている。

 切り出されたそれはひとつひとつが大きく、大理石のように輝いている。

 3人の大人が両腕を広げて手をつないだらそれでいっぱいになりそうな狭さだった。

 ただただ静謐な空間。

 俺はそこに座り、周囲に山積みにされた魔法書のひとつを手に取る。

 少女がただひとつの出入り口であるハシゴの備え付けられた縦穴の先へと消えれば、俺には何もやることはない。

 ただ時間が流れるままに待つだけだ。

 再び少女が現れるのを。

 少女が現れれば、語って聞かせてやる。

 それを繰り返す。

 いつまでも。

 いつまでも。

 いつまでも。

 少女が誰にも秘密にするままに、俺はひとりでここで過ごす。

 俺もまた外には出なかった。

 彼女が命じなかったから。

 命令されなければ、望むことなどない。

 それがスケルトンというものだ。

 当たり前のことなのだが、そんな俺をどこかで誰かが揶揄しているようなそんな気になった。

 それでも俺は待った。

 少女が現れるのを。






 少女は少女ではなくなる。

 それくらいの年月が流れていた。

 そこにいるのはもう絵物語に喜び、気付けば眠っているような子どもではない。

 そこにいるのはひとりの女だ。

 綺麗に切りそろえられた髪。

 一見すれば冷淡にも見える怜悧な目。

 そこにいるのはかつての彼女に他ならない。


 何もかもが変わらずに、俺の側にずっと居続けたかのような。


 幻想ですらない。

 単純に特徴が酷似していると判断しただけのこと。

 あるいはいつからかその指に、見覚えのある指輪をするようになったからかもしれない。

 そんな彼女に俺は告げた。

 もう俺の最期はとうに話した。

 俺に話すべき述懐はもう残されていない。

 話すことはなく、やるべきこともない。

 彼女は俺に命令しない。

 ただ、共にいて、話をするだけ。

 そんなスケルトンに何の意味がある?

 話ならば人とすれば良い。

 外には多くの人がいるはずだ。

 彼女の話に耳を傾け、そして力になってくれる者たちが。

 俺の未来はすべて消えたのだ。

 彼女こそが未来なのだ。

 俺の望んだ未来は、俺のような過去と関わることではない。


「もう良いだろう。お前はもう大きくなった。頼るべき者が外の世界に幾らでもいるはずだ。だから、俺を死体に戻せ」


 彼女は俺に語らない。

 外の世界がどうなっているのかを。

 俺は知らない。

 ひとりの男が死んだ後に世界がどうなったかなど。

 それでももう長い時が流れていた。

 もうかつての敵も誰かが滅ぼしただろう。

 あんな世界の敵が存在していて良いはずがない。

 放置されるはずがないのだから。

 俺は飽いていたのだ。

 夜は長い。

 かつての俺の片腕だったアンデッドの言葉を思い出す。

 そうなのだ。

 夜は長い。

 世界というのはこんなにも膨大な時間が流れていたのかと、この身になって初めて認識した。

 最初は俺にも役目があると思った。

 きっといつか少女が俺に出番だと告げるのだと。

 だが、出番は来ない。

 あるのはただの日常だ。

 小さな女の子に話をしてやり、そして小さな日常の出来事を聞いてやるだけ。

 確かにかつて男が望んだ未来がここにあった。

 平穏な日常。

 男の望んだ未来に他ならない世界。

 だが、それを望んだ男はもういない。

 失われたのだ。

 確かにそれを自分の記憶として認識していながらも、今の自分がそれを望んでいるようには思えなかった。

 望みなどない。

 この身になって分かったことのもうひとつ。

 スケルトンとは、アンデッドとは所詮は使役されるだけの存在なのだ。

 そう、かつて通された法令の通り、ただの奴隷だ。

 自らに願い、望み、叶えたいものなど何ひとつとしてない。

 あるのはただの命令だけだ。

 俺にとっては目の前の少女の命令だけ。

 命令がなければただ待つだけ。

 そうした時の果てに、俺は判断した。

 俺がここにある価値などないと。

 彼女は口を開き、何も言わずにそのまま閉じた。

 きつく噛み締めるようにして。

 彼女の目から涙が落ちる。

 彼女は泣いた。

 何も言わずにただただ泣いた。

 俺はそれに手を差し伸べることもせず、ただ見つめていた。

 その落ちる雫を。

 もう未来を俺は見た。

 ならば、俺にはもう何もないのだ。

 名を持たないただのアンデッド。

 何も持たずに世界に出でて、そして消えていくだけのただの死体。

 かつて男は望んでいた。

 強い意志を持ったアンデッドを。

 だが、実際にはどうか。

 意志などいらないではないか。

 ただ忠実に命令をこなせばそれで良いのだ。

 永劫の時に何を思う?

 何も思わない。

 それがアンデッドという存在なのだから。

 それでも彼女の涙に想起されるものがあった。

 かつて未来だと信じた女も泣いていた。

 目の前の彼女と同じように。

 それでも俺は何も思わない。


 思わないはずなのに。


 どこかから衝動が生じるような気がした。

 この骨身を突き動かすような衝動が。

 それはきっとかつての男の記憶に引きずられているだけだ。

 今のこの骨身のアンデッドの感情などではない。

 そう考えても衝動は消えなかった。

 少女が泣いている間。

 ずっと。


 大きくなった彼女は実際的なことを俺に尋ねる。

 話す事はもう無かった。

 そう言う俺にそれならばと、戦術について、戦略について聞いてくるようになったからだ。

 人と人とが戦う場合。

 人と魔物とが戦う場合。

 地形効果。

 陣形効果。

 不利な状況での奇策。

 話が終わると俺は決まって言った。

 死体に戻せ、と。

 その言葉をいつも彼女はとても悲しい目をして聞いていた。






 暗闇に身をひたす。

 暗い玄室の中で。

 人間であれば気の狂う空間だ。

 だがこの身は既に人ではない。

 その魂も人のような意志を持ちながら、結局は人ではないのだ。

 狂いはしない。

 時の流れをただ見つめるように、ただただ時間が流れた。

 そして俺は知る。

 方法を。

 山のような魔法書をすべて読み終え、長い長い思索の果てに、確かにこれならばと思えるものを見つけた。

 後は試せば良い。

 それで俺は解き放たれる。

 成功すれば良し。

 失敗したならばさらに改良すれば良い。

 だから試せば良いのだ。

 そのはずなのに、俺はそれを試しはしなかった。


 カドモス様。


 おじさん。


 その声がいつまでも俺の過ごす玄室の中に響いている気がした。

 俺はいつまでもその声を暗闇の中で聞いていた。






 いつものように彼女が訪れる。

 冴え冴えとした目の下にはくまができていた。

 どうやら満足に眠れていないらしい。


「どうした?うまくいかないことでもあるのか?」


 訪ねる俺に、彼女はうつむき黙ったままだった。

 やがて嗚咽が漏れ出す。

 俺はそれをただ見つめる。

 つらいことがあったのかもしれない。

 それでもそんな彼女を慰めるのは、こんな骨身の魔物の役目などではない。

 だから俺は何も言わずに見つめていた。


「……本当はずっとおじさんにはここで私の話を聞いてもらいたかった。もっとおじさんの話を聞きたかった……でも、もう駄目みたい」


 彼女が顔を上げる。

 その表情はどこか笑っているようでもある、不思議な泣き顔だった。


「おじさん……いや、カドモス・オストワルト様。どうか力を貸して下さい。私はこの国を救いたい。だから……」


 まなざしが変わる。

 それはひとりの軍人の顔だ。

 彼女は語る。

 外の世界を。

 そしてかつて失敗したひとりの男の話を。






「私が成人した時、おじ様……ジャスパー・ノヴァク卿から聞かされました。私の祖母の話を。そして手記と指輪と古鍵とを渡されました。祖母が記した手記にはひとりの男性について綴られていました。その名前がカドモス・オストワルト。かつてこの国をドラゴンから救った英雄です」


 彼女は話した。

 俺のこととは言わずに英雄と彼女の祖母の話を。


「英雄はドラゴンを退治した後、ある悪魔と戦うことになりました。悪魔が遣わしたレギオンを倒し、そして悪魔の巣窟となったアキュートに向かい、祖母は兵士たちと共に同行しました」


 俺はその時のことを昨日のことのように思い出せた。

 もう長い長い年月が経っているのに。

 まるでさっき起こったばかりのように。


「そして祖母は失敗します。英雄はそこで死を迎えました。そこに綴られていたのは後悔だけでした。自らの未熟さ、力のなさ、そして英雄の力に頼り切るだけで、本当には助けようとしなかった自分の心のありようすらも。側にいて、盾になって死ぬことすら出来なかったことを、ずっと後悔していました」

「……」


 彼女は僅かに目を伏せながらも、それでも嘘をつくのは許されないとばかりに、耐えるように話した。

 確かに、祖母は幸せに暮らしました、と語っても、俺は彼女の祖母を知っている。そういう女ではなかったのではないかと疑うだろう。


「失敗したのは祖母だけではありません。英雄は死ぬ間際に自身をアンデッドに変えてでも戦おうとしましたが、結局、失敗しました。デスにも、デスナイトにも、勿論スパルトイにもなれませんでした。英雄が死に、その瞬間に自らにかけた魔法が生んだのはただのゾンビ、それ以下の存在でした」


 命令者たる主を持たず、それでいて自らの意志もない。身動きひとつ取ることのないただのスケアクロウ。

 それで勿論、ビフロンスを倒すことなど出来るはずがなかった。

 彼女の祖母は残った兵士のほとんどを失いながらも逃げ出した。

 その意志なきアンデッドを連れて。

 ただの死体に等しい出来損ないの魔物をかばうようにして。


「祖母はそこで片腕を失いながらも生き延びました。何の力も持たなくなった英雄を投げ捨てたりせずに。そしてウムラウトへ、トレマへと命からがら辿り着き、そしてほどなくして軍をやめました」


 理由は身籠っていることが分かったためだった。

 生まれた子どもを守るために、彼女の祖母は危険な軍務から離れたのだ。


「軍をやめた祖母はひとつの魔法の研究を始めます。ひとりの貴族の支援を受けながら」


 支援した貴族の名はダニエル・ノヴァク。

 研究したのはネクロドライブ。


「結局、祖母はその魔法を解き明かすことはできませんでした。祖母は死に、その研究は祖母の子と、支援した貴族が引き継ぎ、成果が出るまで続けられました」


 そうか。

 ハルモニアは死んだのか。

 そうだろう。

 分かっていたことだ。

 生きているならば会いにきたはずだ。

 それがこうして彼女しか現れないのなら、答えは決まっていた。

 分かっていた。

 ただ、それを実際に聞かされると、奇妙な感覚が身体に流れた。

 この身に涙などない。

 感情もだ。

 そんな自分に思わず笑いたくなった。

 生きていたならば、それは虚しさとでも言うべきものだろうか。

 苦しくはない。

 ただ虚しかった。

 何も守れてなどいなかったのだと、はじめて理解した。

 後悔させ、そして彼女の未来を閉ざした。

 そうしたのは他でもない。

 この俺だ。

 彼女が死を選ばなかったのは我が子を守るため。

 それがなければ自ら死を選び、苦しむ時間は僅かにしてやれたかもしれない。

 彼女が死を選ばなかったのは新たな復讐のため。

 ビフロンスという新たな仇の存在を許せずに。

 俺の死という新たに生じた悔やむべき過去を引きずり、それでも子のために未来へと歩き、今度は死を救いとすることもできず、他でもない自分自身が自分を許せず、俺を殺したビフロンスを憎み。

 苦しみ。

 そんな言葉では終わらせることのできない、果てることのない感情の渦。

 そこへと突き落としたようなものではないか。

 未来?

 笑わせるな。

 笑わせるな。


「実際に、ネクロドライブについては軍も協力して大勢の人間の力を集めて進められました。かつてアキュートと呼ばれていた地に現れたひとつの国に対抗するために」


 その国の名はデストピア。

 神を自称する魔物が統べる死者の国。


「デストピアは度々死者の軍勢をウムラウトに差し向けました。ウムラウトはデストピアの被害にあった他の国や、脅威に感じている国と協力して撃退し続けました。他国と協議をして戦術魔法すらも使用しましたが、それでもデストピアは依然として存在し続けています。今も」


 デストピアには、ひとりとして生きている人間はいない死の国だ。

 それはその国の王が建国と同時にひとつの魔法を使ったため。

 その結果、あの国はただのひとりも生あるままに存在することが許されない国となった。

 かつてアキュートと呼ばれた国に秘蔵されていた戦術魔法、人の肉体のみならず、生きとし生けるすべての存在の肉体を冒す猛毒が自身の国へと放たれたためだ。

 大地は汚染され、そこに少しでも人が留まれば、内蔵が壊死し、血が濁り、視界は消え、やがては死に至る。

 そうして骨身の魔物が徘徊する魔都が生まれた。


「未だにあの国で神を自称する悪魔、ビフロンスの姿を見た人間はいません。あの国のどこにいるのか、誰にも分かりません。人間の接近を拒み続け、それでもビフロンスが未だあの国にいると分かるのは、時折リッチやデスナイト、レッドスケルトンがこの国へと襲いかかってくるからです」


 どんなに強力な魔法、それが戦術魔法であっても、対象がどこにいるか分からなければ当てることなどできやしない。そのための汚染だった。

 それを他国にも使わないのは、それで一度に人間を滅ぼしては、手に入れられる死体が減るとでも考えているのか。

 アンデッドの研究に死体は不可欠。

 今でも諦めていないのだろう。

 デスを。

 その創造を。


「先日、再びレギオンが侵攻してくるのが確認されました。……もうウムラウトも限界です。軍備も、それにウムラウトに暮らす人々の心も。私は守りたい。かつて祖母が守ろうとしたこの国を。英雄が……おじさんが」


 彼女の目から涙が溢れた。

 溢れ出す涙は止まることなく流れ続ける。


「貴方が守ろうとしたこの国を!」


 彼女は知っていたのだ。

 俺が何者なのかを。

 そして何故死んだのかを。

 何故、彼女は俺に何も命じなかったのか。

 それは守りたかったのだ。

 何よりも、俺自身を。

 主である己よりも、奴隷であるこの俺を。

 かつて彼女の祖母が果たせなかったことを、その孫である自分こそが代わりに果たすかのように。


「貴方はいつも私を待っていてくれた。私はいつもどきどきしていたの。あなたの話す私の知らない話を聞いて。貴方の声を聞いて。ずっと聞いていたかった。貴方を守りたいの。傷つき、壊れる貴方なんて見たくない。祖母の代わりとしてじゃなく、私自身のために、貴方を、貴方を……」


 恐れていた。

 いつか誰かが俺を見つけ、外に連れ出し、戦わせ、そして傷つき、やがて滅ぶのを。

 だから隠した。

 必死に。

 誰にも見つけられないように。

 誰にも知られないように。

 大事な宝物をそっと棚の奥に仕舞うように。

 俺の静寂も、俺の平穏も、みんな彼女が造り出したものだった。

 それを俺が知らないだけで。

 何も変わらないように。外の世界が平穏だと信じられるように。


「でももう駄目なの。分かってる。レギオンを止められるだけの力はもうこの国にはない。そうしたらトレマは滅ぼされる。ウムラウトがなくなっちゃう。貴方を見つけ、ビフロンスはきっと連れ去るでしょう。それだけは絶対に嫌……ごめんなさい。貴方を守れる私じゃなくて。ごめんなさい」


 涙は止まらず、彼女が顔を覆い隠した。

 その手には指輪がある。

 古ぼけた、飾りも何もない、みすぼらしいとすら思える指輪。

 ふたりの彼女が重なる。

 きっと彼女もずっと俺に謝罪し続けたのだろう。

 この玄室で。

 俺の死体を見つめながら。

 今の彼女と同じように。

 ずっと、何も言わない俺に謝り続けたのだろう。

 謝るのは俺の方だ。

 何もかも俺のせいだ。

 そう言ってやることもできず、俺はここで死んでいただけ。

 死んでいただけだった。

 ずっと。

 ずっと。

 だからこそ願う。

 今度こそ、この願いを届けよう。

 せめて、今、目の前にいる彼女だけにでも。

 それで何の贖罪にはならないことは分かっている。

 それでも俺は願いたい。


「その指輪の来歴を知っているか?」


 俺は語って聞かせる。

 過去を。

 最後の述懐を。


「それは契約だ。約束だ。その指輪がある限り、守ると誓った男がいた」


 この国を。

 国とはすべてだ。

 国土だけでもない。

 民だけでもない。

 この国にあるすべてを守る。

 それが約束だった。

 決意なんていらない。

 ただ果たすだけだ。

 今、俺の目の前で涙を流すひとりの女を守る。

 それこそがこの身体に残されたただひとつの約束。

 今度こそ果たす。

 未来のために。

 彼女のために。

 彼女の頭に手を乗せる。

 未だ残る、ただひとつの手で。


「俺はずっと望んでいた。平穏を。戦わずとも良い世界を。ありがとう。ハルモニア。お前がくれた平穏は確かに心地よかった」


 手から輝きが漏れる。

 魔法だ。

 この身になって造り出したただひとつの魔法が発現する。


「何を……」

「その指輪にはもうひとつの約束がある。それは俺の命令をきくことだ。聞け。ハルモニア・ナー。幸せになれ。笑え。笑うんだ、ハルモニア・ナー」


 彼女は気を失い、倒れかける。

 俺はそれを優しく抱きとめた。

 そしてそっとそこに寝かせる。

 その手に刻印はもうない。

 代わりに俺の左手に刻印があった。

 玄室を出る前に、もう一度、最後にその顔を見た。

 かつて俺と共に未来を見た女ではなく、目の前のハルモニア・ナーのその顔を。

 忘れることなく、焼き付けるように。

 そして俺は玄室を出た。

 長い間、見ることのなかった外の世界へ。

 約束を果たすために、外の世界へと出た。



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