25、ブリキの人形
25、ブリキの人形
しばらく細く、小さな暗い道が続いた。
チルトは一人で、めげずに進んで行った。
先に少し明るい場所が見えたかと思うと、チルトは小走りに駆ける。
抜けると、少しの段差を飛び降りて、視界が開けた。
そこは大きな回廊だった。
円をなして上へと伸びる階段は、螺子のよう。
中央には柱が一本聳えて、終わりが見えない。
行く先の階段は、見上げると裏から透ける。
「見つけたぜ、」
チルトは少年の声に振り返った。
円く落ちていく階段の途中に、ひとりの生徒はこちらを捉えて睨んでいた。
トラスだった。
「ちびのチルト、お前ひとりか、はん、」
ケンカ腰であざ笑って、トラスはエルアやルビーやリラシーラがいないことを指摘した。
しかし、トラスの周りには、アイオリータはもちろんのこと、誰もいない。
「カリトーネは、」
「お前こそ、お友達はどうしたよ、あの不良くさいエルアや、リラシーラやルビーはどうしたよ、」
「まだ、落ちていないさ、」
さっき別れたばかりなので、それだけは確かな、はずだった。
弱みを見つけたとばかりに、トラスはここぞと眼を光らせる。
「どうだかね、いいや、間違いなく落ちているね、こんな厳しい試験で、あいつらが落ちないわけないんだよ、いつもしゃべり通してる、仲良しこよしのあいつらがよお、」
チルトは、静かにむっとした。
じりと、足を下へ寄せるが、そんな様子を捉えたトラスが、待ちかまえたようににやりと笑んだ。
「来るなら来いよ、ちびのチルト、お前が重たいのは知ってんだよ。お友達がバカにされて怒ったか? さあ、来てみろ腰抜け、」
黒に近い紺色の制服は、トラスの肌色を隠すが、しかし黒髪から覗く彼のそうぼうは、生気がない。
チルトは、だんだんとそんな必要以上にしつこく絡むトラスが見え透いてきた。
ここまで来たトラスは、喪失感に襲われているはずだった。
ともすれば、そうしなければ、チルトを馬鹿にしていなければ、そうやって感情を生み出して吐かなければ、彼は安定しないのではないかと、チルトは思った。
「お前なんか、生まれからして違うんだよ。僕の父は“幽霊”なんだ。」
前からよく絡んでくることに、ルビーは言っていた。
“トラス、彼は、きっとあなたが支えなのよ。
あなたに感情を向け続けていなければ、きっとどこにも感情が向かわなくなってしまうのではないかしら。
そうしなければ、自分が軽くなりすぎるという気がしてならないのではないかしら。”
それはもちろん、ルビーの予想にすぎなかった。
しかし、必死な顔をしてまでチルトに嫌なことを言い続けるのは、チルトにはそうだとしか思えなかった。
「僕には才能がある。分かったか、僕の父は、」
なお言いかけて、トラスは表情を固めた。
視線は、チルトを通り越して先を行っていた。
チルトは、振り返って見上げた。
曲がっていく階段の途中に、ヒトが立っていた。
肌色のローブに身を包み、上から上身の隠れる黒塗りのポンチョを着た男だった。
灰の髪は短く、張りの強そうな髭が、耳元までうっすらと陰をつくる。
覗く顔は、剛胆だが虚ろなものだった。
「僕の父は、」
トラスは針で留めたようにそのヒトを見開いた瞳で見続けて、うわごとのように言葉だけで呟いていた。
「父さん、」
トラスの足とともに、言葉が跳ねた。
そしてそれを皮切りに、トラスは堰を切ったようにまくしたてた。
「僕はあなたのことを、写真で何度も見たことがある。斜塔を上れば、いつか会えると思っていた。」
トラスは途端、表情に一転して見たこともない嬉しさが溢れたていた。
トラスの子どものような笑顔だった。
「話したいことがたくさんあります。一体何から話していいものか。あなたは僕が小さい時にいなくなった、僕はあなたの顔をあまり覚えていなかったが、何度も何度も見たのです。会いたかったのです、父さん、やっと会えました。僕が小さい頃にあなたがくれた、ブリキの人形、僕は今でも、」
その時、男は灰色のローブの重なりに手を入れると、何か引き出した。
身体の右の方に、手を伸ばして掲げる。
見取ったトラスは、言葉とともに興奮することもそこで途切った。
「ブリキの人形、」
トラスがまた呟く。
男が手に取り出したのは、手のひらに少し余るくらいの人形だった。
メッキが剥落して、露骨に茶けた色合いが古さとなって浮き出た、
ボロボロの人形だった。
男が掲げた先は、硝子の回廊の真ん中だった。
そこは階段が重ならず、どこまでも吹き抜けて、空洞になっている。
それを見て男の行動に何かを感じ取ったトラスは、気を弾けさせた。
トラスは、見たこともない、我を忘れたような鬼気迫る表情で、男に駆け寄ろうした。
男は、それを待つまでもなくひらひらと、子どもをあやすように引きつけて、愛着も素っ気もなく、手を放した。
ブリキの人形が、空洞を落ちていく。
トラスはそれに手を伸ばすここともなく、眼で追った。
それが父親だというので、チルトは怒りを感じていた。
「父親だろう、何でそんなことするん、」
チルトは言いかけたが、トラスの声が上塗りした。
「僕の父は、“幽霊”なんだ、」
そうしてもはやチルトのことなんて忘れたように、男の方に向き直ると、途方に暮れたように呆然として言った。
「だけど、それがなんだったというのだろう、」
瞬間、トラスの足下の硝子が割れた。
粉々の破片が舞う。
落ちていく直前のトラスの表情は、“失望”だった。
喪失感とはまた違う、絶望。
それはおそらく、もっとも胸を重くするものだった。
消えたトラスに気を奪われているうちに、“幽霊”はもう、どこかへ消えていた。




