24、筆記と鍵
24、筆記と鍵
チルトはバケツを握り締めていた。
エルアは、昨日部屋で見た、奇妙な“グラス・レコォド”の円盤を腕に抱えていた。
バケツと同じように、それも幽霊から取り返したのだろう。
一方でチルトは、隣を歩みながら、感情をたくしてしまったことをエルアに悟られないか不安に思った。
優秀な生徒が幾人か通り抜けたであろう道。
進むと、三叉に先が分かれていた。
「こんな道、昨日はなかった」
こんな道どころか、しいの樹の森だって見たことはなかった。
何か昨日とは、構造自体が変わっているように思えた。
「よし、バケツに聞いてみよう」
言われて、チルトはエルアにバケツの口を向ける。
「おい、どれが正解の道だ」
チルトはバケツをかたかたと揺らす。
「左、左だよ」
エルアは頷いた。
「左だそうだ、」
「違う、左を向くんだ」
チルトは促す。その先には、ルビーがいる。
「そこの生徒、手を上げるんだ」
チルトはバケツを揺らしながら指示をだす。ルビーは何のことか分からず、とりあえず従って腕を上げた。
「え、こう?」
「もっと高く!」
言うと、ルビーはばんざいをする形になる。チルトは次なる指示を加える。
「跳ねて、」
「な、なんで?」
「いいから跳ねるんだ! 何度も!」
切羽詰ったような真剣な声でチルトは言った。雰囲気に気圧されたルビーは、ばんざいしたまま何度も跳ねるという、間抜けことをした。
そこでチルトは落ちを言う。
「はい、見ての通りお手上げー」
ぴし。
ルビーの足元に、静かにひびがいった。
固まったまま、ルビーは何も言わず眼を伏せていた。
びし、みしみしみし。
ひびが亀裂になって広がっていく。ルビーの本気の怒りに、チルトたちは青ざめた。
「さ、さーて、やっぱり右に行こうかなあ」
「そ、そうだな、よし、張り切って、行こうぜ」
取り直して歩き出すと、ルビーは、溜息をついて言う。
「茶番。」
何とか空気を繕おうとする二人の画策も、一言で切り捨てられた。
しかしこれでは、それもそうだとチルトは思った。さすがにやりすぎた。しばらくルビーが歩くたびに、床が軋んだ。
結局、右の道を選んで進むと、階段が聳えていた。
これも昨日のものかどうか、チルトにはまるで分からなかったが、三人は硝子の靴で上っていった。
上った先をしばらく歩くと、突き当たりに立ち止まる。
「行き止まりね、」
「こっちを見て、」
チルトは廊下の右側の壁を示した。
二人も向き直る。
「扉か、」
そこには、密林に潜む湖のような色の扉があった。
「次には何があるのやら、」
「入ってみましょう」
扉には、いたずら書きで“toy box”と刻んで書かれていた。
それは大抵、やんちゃで騒がしい子どもたちが寄せ集まった教室を、揶揄するものである。
ルビーは取っ手に手をかけて、右に滑らせる。
小さな部屋に、机が規則正しく三つ並んでいた。
前には四角が引き伸ばされた形の硝子板が掛かる。
両脇には腰ほどの棚が壁に沿う。
そこは小さな教室だった。
「教室だ、」
チルトは呆けたように呟いた。
三人が教室に入っていく。
「一体何のための?」
ルビーは訝しむ。
「他に扉も道もないみたいだな、」
エルアは教室を見回りながら言う。
「どうすればいいんだろう、」
三人はそれぞれ途方に暮れて席に着いた。
ルビーは片足をたわめて天井を見上げながら座り、チルトは机に、エルアは椅子にもたれて座っていた。
不意に前の硝子板を上眼に見ると、文字が書かれていた。
驚いて何も言えなくなった。チルトは一拍置いて読み上げる。
「“筆記試験を始めます”、」
頭が混乱する。
始めるも何も、テストの紙すらない。
「見て、チルト、」
異変に気付いたルビーが、机を指し示した。
見ると、机の硝子に直接文字が書かれている。
浮き上がると言うよりも、彫り付けられたような文字だった。
“嘘偽りなく問いに答えて下さい”
文字が現れ、消え、また現れた。
“あなたは友達といて、楽しいと思いますか?”
「筆記具はどこにある、」
エルアが疑問を唱えた。
「前を見て、机の抽斗の中だってサ。」
チルトは硝子板を見て言った。
それぞれに開けて筆記具を取り出す。
翠青色の透き通った硝子ペン。
澄明な瓶には、純白のインク。
試しに机に書きつけて見ると、白い線はすぐに吸い込まれるようにして消えた。
まるで確かめることのできる水面のように波紋となって揺らぐ。
チルトは“Yes”と書くと、文字は問いとともに消え、机には次の問いが現れた。
「おかしなことばかり、机と会話するなんて、」
呟いたルビー。
チルトもそう思っていたし、エルアも思っているだろう。
硝子の斜塔の硝子には、血が通うように、何か意志のようなものが通っているのではないかというような感覚を抱かせた。
あながち床が薄くなっているというさっきの推測も、間違ってはいなかったのかもしれない。
“そう。硝子の斜塔には意思がある。”
昨日ルビーが伝えたかったことが、少し理解できた。
“プレゼントを贈られて嬉しいと思いますか?”
“ののしられて悲しいと思いますか?”
“眠っていて幸せを感じますか?”
そんな感情を訊ねる質問が続いた。
チルトは問いそのものに喜怒哀楽を感じながらも、机に筆を走らせていった。
また、“第九の情について特性や性質を示せ“などといった、授業で扱ったような内容の問題も出て、チルトは頭を悩ませながら解いた。
コンパスが必要な問題何かは、やはり机の中にそれが入っていたりもした。
問いが途絶えると、前の板に“End”の文字。
同時に、小さな硝子を叩く音が、三つ、机の中からそれぞれ響いた。
腰を浮かせて抽斗を開けると、柄に宮殿を模したような装飾の、硝子の鍵があった。
三人とも拾い上げて眺めた。
鍵にはタグが付いていた。
チルトは書かれていた文字を読み上げる。
“happy”
前を見ると、再び硝子板の表記が変わる。
浮かび上がったのは、三つの扉の絵だった。
キヅタをあしらった紋様が絡みつくように模られていた。
「“happy”への扉ってことかな、」
「いや、逆みたいだぜ、」
エルアは三つの扉の上に大きく横たわる文字を示す。
“You should lose《あなたは失うべきだ》”
チルトは顔を顰めた。
「陰険。二人のは何て書いてあるの、」
訊ねると、ルビーはタグの輪を摘み上げて読み上げた。
「私は“sorrow”。ああ、きっとリラシーラのことだわ。」
「俺のは面白いぜ、見てみなよ」
エルアは皮肉げに笑いながら鍵を示す。
二人で覗き込むと、こう書かれていた。
「“Lie”」
三人は吹き出した。
「さて、次か、」
「これは前に描かれた扉を、この鍵で開ければいいのかな、」
「やってみましょう、」
硝子板に行って、それぞれ鍵を、描かれた鍵穴に差し込む。
入った。
ゆっくりと時計回りに回すと、鍵の外れる音が小さく響いた。
「こっちに進めってことみたいだから、ひとまずお別れね、」
扉を開くと、チルトであればそのまま進めそうな程度の大きさの道が、つまりエルアだと屈まなければ入れない程度の小ささの路が、硝子板の奥に続いていた。
「ああ、それじゃあな」
エルアは頷いて、そのまま行こうとするのを、チルトは止めた。
「待って、」
二人が振り返って、チルトの顔をまじまじと見る。
「二人とも、必ず通り抜けて、」
その言葉に、ルビーとエルアは薄く笑った。
「上で会いましょ、」
「ああ、だから、」
ルビーも入り、エルアは大雑把なふうに手を振って入っていった。
「そんな心配そうな顔すんな。」




