13、桔梗
13、桔梗
いつも朝から夕暮れ時まで授業が続き、その後は夕飯までこの四人でしゃべり倒したり、授業内容の実験何かをして終わる。
興味の向いた方向に、全員で突進してゆく感じである。
チルトたちは、教室から女の子を尾行していた。
自分たちの教室の上には、使われていない教室が一層だけあり、もう一階分階段を上ると、そこは硝子の迷路となる。
その先には確かに上階があるはずなのだが、そこにいたる階段を、生徒は誰一人として見たことがない。
一つ上の階を、四人は歩いていく。
広がるのは机と椅子だけが並ぶがらんの教室。
通りすぎようとした一室を覗くと、人影が二つ見える。
机を挟み、向かい合って腰掛けているようだったが、瞬きした次の瞬間にはすでに姿はなく、チルトは眼を擦ってまでじいっと見入ってしまった。
先の硝子は澄明だった。
「どうしたんだ、チルト、」
エルアが認めて訊ねる。
「そこに、誰かいたような、」
それを受けたエルアは教室を見回すが、何も見つからない。
「誰もいないぜ、」
チルトは首を傾げた。
ルビーが浮ついた調子で、会話の続きを始める。
「それじゃあこんな噂は知ってる? 斜塔の“ 私のもの”を盗んだ“怪盗”のこと。」
「斜塔の、“ 私のもの”“怪盗”?」
チルトは言葉の意味が分からずにただ反芻してしまった。
リラシーラが呆れる。
「オランジェは噂に疎いのね。」
「知らないよ。何サ、“ 私のもの”て、斜塔に私物があるわけ?」
“ 私のもの”とは、斜塔の中に、一つだけ生徒が持ち込むことを許されている私物のことである。
その他の生活品は、靴も、服も、筆記具も、全て斜塔側から支給されたものなのだった。
そして支給品は、大抵硝子で造られている。
「そう。 硝子の斜塔には意思がある。斜塔の硝子は全て自身のもの。だけどそれは、斜塔のものではない、斜塔の意に介さない硝子なの。斜塔に持ち込まれた、異質の硝子。その異質を、斜塔は深く愛していると言われる。その硝子は感情をそのままに、触れたものの重さを取り去ってしまう、自由な硝子なの。」
人差し指を立てるルビーの気取ったふうな長い説明にも、チルトは首を傾げるだけだった。
「異質で自由な硝子、よく分からない、その上に、“怪盗”」
「そうは言うけど、チルトの“もの”だって変わってるわよ。」
笑うルビーに、手に提げたバケツを示されて、チルトは少し不機嫌になる。
「あ、別にからかってるわけじゃないわよ。」
「バケツよ、バケツよ、バケツさん、何をそんなに拗ねているの?」
リラシーラがからかってくる。
チルトはバケツで顔を隠しながら、揺らして答える。
「拗ねて、ない、」
「久しぶりに見た、しゃべるバケツ。」
エルアが口を挟む。
調子に乗ったルビーが加える。
「バケツよバケツよバケツさん、“怪盗”の噂は本当、?」
「ルビーの知ったかぶり。」
「バケツが言うからにはそうなんだろう。」
エルアが納得すると、そちらに肘が飛んだ。
「まあ、かわいくも憎いバケツ。妹のリラシーラ、今度養子届けを持ってきましょうね。」
「なら俺も、兄として家族に加えるべきだな。」
「アクアマリン、がさつなヒトはいらないわ。」
「リラシーラ、ルビーの制服の皺を見な。がさつなのは一体誰だ?」
「二人ともがさつだよ。」
言ったチルトは二人に叩かれた。
途中まで追うことができていたチルトたちだったが、迷宮に差し当たり、女の子を見失ってしまった。
「どうしようか。」
ぽつりと、チルトは硝子細工の花を手で玩びながら呟いた。
空は暮れかけ、夕泥む陽の橙色が、深翠の硝子を透かして差し込んでくる。
その光を遮る幾重もの迷路の硝子が重なって、雨を湛える水溜りや、朝露に萌える芽、月を浮かべる浅瀬に、深い森の夕靄を思い起こさせては、果敢なげにはじけていく。
「オランジェ、カボチャのランタン、持って来ればよかったな、」
リラシーラは段々と明度が落ちてくる塔に、後悔を零していた。チルトに言われても困る。
四人は、角に小さなコォナァティブルの置かれた迷路の一角に立ち尽くしていた。
机の上には小さな花瓶があり、ここはさっき通った場所であることを暗示している。
迷路はちゃんとした道順を踏めば抜けられるとも言うが、それを知らないチルトたちは、ただ迷うしかなかった。
あの女の子は、迷路を抜けて行ったのか、すでに帰ったものかも分からなくなっていた。
「消えちまったな。」
「そうね。陽も暮れてきたし、帰りましょうか。」
「しかしここまで来るのは怪しかった。本当に“幽霊”なのかもな。」
「どうだかね、ここで夕陽を見るのが好きなのかも。ここ、奇麗な場所だから。」
「ふうん、色硝子越しにしか、見えないじゃないか。」
「それが好きなのよ、きっと。」
二人は言いながら踵を返し、リラシーラもルビーに手を引かれ、帰り始める。
「チルトも行こうぜ」
エルアに促されるが、チルトは躊躇していた。
あの女の子は、まだそこらにいる。
理由はなかったが、何ともなしに、そんな気がするのだ。
「ぼくはもう少し探してみる。」
「そうか、ほどほどに、」
エルアはニタニタ笑う。
そのまま三人は行ってしまった。
チルトは暗中模索を始める。
あの少女を見た時に、何かチルトは断片が抜け落ちている気がしてならなかった。
見慣れた彼女に喪失感にも似た違和感を感じていた。
その正体が何なのかチルトには分からなかったが、その一部を見つるけるためにもチルトは彷徨おうと思った。
壁に手をついて歩いてみる。
迷路を抜ける手法だ。
しかし、やはりコォナァティブルのところに戻って来てしまう。
そんなやり方では、迷路はまるで通してくれない。
上の花瓶が、口を開けて嘲笑っているようだった。
「見つからないか、」
落胆して、目前の紫の壁に手をついてもたれかかる。
すると、チルトはそのまま右に倒れこんだ。
「何、」
驚いて、声を上げた時には、床に転がっていた。
見ると、硝子の壁が左側に来ていた。
きょろきょろと、辺りを見回したり床を触って確かめたりして、チルトは自分に起こった事態を慌てて確かめた。
そうすると確かに気付いた。
チルトは硝子をすり抜けていた。
不意に持っていた硝子細工を、翳してみる。
桔梗と硝子は透けて重なる。
「同じ色だ。」




