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12、あの少女

12、あの少女



朝になって、気になったチルトは“504”という寄宿部屋を探した。

長くゆったりと歪曲していく階層の廊下に、チルトは幾らか行ったり来たりもしたのだが、しかし“504”という部屋番号を、見つけることができなかった。

昨日部屋に帰ってから、チルトは気付いたことがあった。

それはチルトのポケットに、いつのまにかに、青く透明な、綺麗な固まりが入っていたことだった。

それは確実に、あの女の子が入れたものだった。

おそらくこれが、彼女のお礼のつもりなのだろう。

しかしいつのまに入れられたものなのかと、チルトはそれを見つけた時にとても驚いた。

前にも一度こんなことがあったように思えて、少し戸惑いながらも、チルトは寝ることも忘れてしばらく見入っていた。

青く透明な、固まりは透かしても、硝子なのか石なのか、チルトにはよく判別がつかなかった。

何か感情がたくされているのなら、重さだって違ってしまう。

しかしそうならと、チルトは危惧して、またあの部屋のように割ってしまわないように、チルトは青い硝子石を、丁寧な弱い力の指先で、眠りにつくまでずっと触れて転がした。


今日あった、サントマルテ先生の授業は休講。

レイシー先生から、そんな報告があった。

その事実は、昨日の夜中にあったことが、チルトの夢何かではないことを示していた。

そんなレイシー先生の報告を聞いて初めて、チルトはあの女の子とあったことを、実感として感じたような気がした。

結局、何が何だったのかチルトは理解できずに終わってしまったので、エルアやルビーたちに話す気すら起きなかった。

実感として感じていても、やはり夢見心地の記憶に留まってしまうのだとも、チルトは薄薄感じていた。

授業中、チルトはまた、教室の最前列の左隅に席を取る、あの少女を見つめていた。

軽く肘をついて、ぼうっと眺めていた。

あの女の子は、席もしゃんとした姿勢も変わりない。

硝子ペンで、ノオトにインクを走らせていく。


授業が終わると、チルトの席に三人が集まってきた。

「サントマルテ先生がいないな。」

「どうしてかしらね、」

「ねえアクアマリン。あのバルーン。とうとう癇癪起こして落ちてしまったのではないかしら、見た目からして、軽そうには見えないもの。」

 リラシーラが呟いて、エルアが頷く。

「そうだよなあ。」

「うるさいのがいなくなったわね。」

「そうだよなあ。」

ルビーが言うことにも、エルアが頷く。

「オランジェ、良かったわよ、良かったわよ。」

「全くだ。」

三人は三人して、頷きあった。

するとチルトに三人の視線が飛んだので、チルトは深々と頷いておいた。

“何だか昨日、見知らぬ街で生活していたんだ。何だかよく分からない間は歩き回っていたんだけど、やっぱり眠くなってさ。寝台の灯りを点けたんだ、それでベッドにもたれながら眠ってしまった。”

 教室の隅で、トラスがそんなことをアイオリータたちに語っているのがうっすらと聞こえてきた。

リラシーラが綿のような髪を跳ねかせて、また机の上に本を開いた。

乳白色の頬が覗き込む。

急に広げたので、あちらの端で何かが動いたからといって咄嗟に眼をやってしまうように釣られて、三人も覗き込んだ。

 何の本か首を傾げていると、リラシーラは語り始めた。

「アクアマリン、アクアマリン。昨日“寒鴉(アルテリア)”が、この斜塔にぶつかって硝子を割って入ってくることがあるって言っていたでしょうよ、それで調べてみたのよ。そうしたらこの本を見つけたのよ、“渡り鳥が化けて出る報告例”、知っていた? 渡り鳥って、化けるのよ。」

エルアが訝しそうな眼で見ていた。

外の世界でも、その手の伝承話を、チルトは聞いたことがあったが、実際に見たことはない。

へえ、すごいわねえ、と、ルビーは何だか子どもをあやすような態度で相槌を打っていた。

“二つ目の三、寒い冬の中で、黒い衣服を纏った男が現れたと、シェイディグスの糸編みは報告する。

一晩泊めると、毛布の中には宿代代わりに羽が幾つか散らばっていた。”

本には挿絵とともにそんなことが書かれる。

「オランジェ、私はこれを考えて予想するわ、“幽霊”とは、渡り鳥が化けたものなんじゃないかしら、」

 リラシーラはこういうところで、たまに子どもらしい発想をする。

すると何故だか、ルビーはこういう時、かわいくて仕方ないという、親のような顔をするのだ。

エルアが小馬鹿にするように、小さく鼻で笑っているところで、チルトはただ開かれた本を見つめていた。

 意識を取られているうちに、伸ばしていたつま先が揺らぐ。

足取りがおぼろになって倒れかけたそのとき、背後の生徒にもたれるようにぶつかる。

 その生徒は不意なことに支えきれず、チルトとともに倒れる。

持っていた数冊のノォトや紙束、硝子ペンやインク壺が、音を立てて硝子の床に散らばる。

「ごめんなさ……、」

 チルトは急いで立ち上がり振り返ると、それはあの優等生の少女だった。

 広い額に端正な眉目、大理石のように白い肌が際立つ。

 しかし、女の子は眼も合わせず、表情も微動に変えず、黙々と立ち上がり、散らかったものを拾い上げ始める。

 制服にはしわもなく、エルアのようにだらしなく着ているわけもなく、しゃんとしている。

しかし、何かが足りない。

 チルトが手伝って手渡すと、黙って受け取り、すぐに教室から出て行ってしまった。

 エルアはにやりとしながら口を開く。

「“幽霊”」

 ある噂のことを、エルアは持ち出して来た。

「噂、あの女が、“幽霊”なんじゃないか?」

「そんな、」

 些か不躾だと、チルトは言いかけたが、止めた。

 彼女とぶつかった時、拭い切れぬ奇妙な感覚があった。

それを疑うのは、噂を好奇の眼で肯定するのは酷いことだと思っていたが、疑っている自分が確かにいることにチルトは気づき、言えなかった。

そして、それだけではない。

チルトは、“展覧会”で遭遇した時にも、昨日の夜中に柵の上を跳ねていた時にも、チルトは感じていたし、疑っていた。彼女は、もしかして、と。

彼女はもしかして、“幽霊”なのではないかと。

「確かに、そういう噂もないことはないわよ」

 ルビーは嬉々とした眼で告げた。

どこの噂なのか、体重の軽いのに、面白そうなことに対してはいつも感情を高ぶらせる。

「ルビー、私もそれ知ってる。」

リラシーラも同意した。

「決まりだな。」

 エルアが言って、三人は一斉にチルトに眼を向けた。

 「決まりだな」とは、つまりそういうことだった。

 チルトに同意を求めてはいるが、この場合チルトに選択権などない。

 それに、この誘いを断るほど、チルトも真面目なわけではない。

好奇心も、その体重も、ないわけではない。

 頷く代わりにぴっと右腕を出すと、三人とも一斉に、軍隊のように腕を突き出して返した。

結託の合図。

 翻って進み始めようとすると、床に、硝子細工が落ちているのが眼に入る。

さっきに少女が拾い忘れたものだろう。

チルトはそれを拾い上げる。

「桔梗。」

 それは、桔梗の花の形に造られた硝子細工だった。

 つやつやとした花や葉は、本当に潤んでいるように、深い紫色を湛えていた。




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