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あの道と、この道のあいだで  作者: あんばたみや
運命を引き寄せる手
15/19

6

 車が静かに減速し、ゆっくりと止まる。窓の外に広がるのは、海沿いに佇む大きなホテル。帆を広げたような独特の外観が、夜の光に照らされて浮かび上がっている。……ここ、なの?思わず、言葉を失う。


 知っている。というか、みんな知っているホテル。ホテルのエントランス前に車が止まり、ドアマンが恭しくドアが開ける。水瀬さんが反対側から先に降り、双葉側のドアまで回ってきて、自然に手を差し出された。一瞬だけ迷ってから、その手を取る。ヒールの不安定さが、少しだけ軽くなる。

 「ありがとうございます」

 「いえ」

 短い返答。それだけなのに、なぜか落ち着く。エントランスへと続くアプローチ。すぐ横には、夜の海。黒く静かな水面に、街の灯りが揺れている。潮の香りが、ほんのりと混じる空気。遠くから、控えめな音楽が流れてくる。これ、……思っていたより、ずっと大きなパーティなのでは…。


 「身内の」パーティという言葉から想像していたものとは、まるで違う。もっと閉じられていて、もっと、選ばれた人だけの場所。無意識に、隣を見る。水瀬さんは、いつもと変わらない表情で歩いている。この場所に、何の違和感もなく馴染んでいる。……水瀬さんにとっては、普通なんだ。そう思った瞬間、ほんの少しだけ、距離を感じる。それでも。ここにいる理由を、思い出す。隣に立つ人として来ている。その事実をむねに刻み、しっかりと役目を果たさなくては、と背筋を伸ばす。自然と口角はあがっていた。

 大きなガラス扉の前で、足が止まる。中には、柔らかな光と人の気配。静かに行き交う人たちの姿が見える。誰もが自然に、この空間に溶け込んでいる。私だけ、浮いてないかな…。小さな不安を抱く。

「大丈夫です」


 低く、落ち着いた声。視線を上げると、水瀬さんがこちらを見ていた。見透かしたように、優しい声をかけてくれる。不思議と心が静まる。小さく息を吸う。ドレスの裾を整えて。もう一度、背筋を伸ばす。大丈夫。今度は自分で言い聞かせる。


 扉が、静かに開く。会場に足を踏み入れた瞬間、空気が変わる。視線が一斉に集まる。その中心にいるのは、水瀬さんだった。高身長で、整った立ち姿。無駄のない所作。周囲の女性たちの視線が、自然と引き寄せられているのがわかる。すごい……。その隣に立っている自分にも、大勢の意識が向いているような気がする。見定められているような。値踏みされているような。胸の奥が、強く緊張する。そのとき。腰に、そっと手が添えられた。一瞬、驚く。けれど。触れられた体温が、自然と馴染む。そうだった。この人がいれば、大丈夫。不思議とそう思える自分に驚く。いつの間にこんなに心を許してしまったのだろう。


 挨拶に来る人が、次々と増えていく。その中で、自分でも驚くほど自然に言葉が出る。いつものように、相手の表情を見て、言葉を選び、距離を測る。笑顔が、自然と引き出される。気づけば、会話の中心にいた。


 「素敵な方ですね」「とても感じがいい」

 そんな声が、どこかで聞こえる。水瀬に向けられていた視線の一部が、こちらへと移っていく。


 少し離れた場所でこんな会話が繰り広げられているとはつゆ知らず。

 「……初めてみた。あんな笑顔。」

 「蒼真があんな表情するなんて。」

 「彼女、とても素敵ね。」

 「蒼真はもう、逃がすつもりはないだろうな。」

 「いえ、あんな貴重なお嬢さん、逃がしてはいけないわ!お話してこようかしら!お近づきになりたいわ!」

 「いや、今はまだ、そっとしておこう。そのうち、また会える日がくるさ」


 水瀬の両親が遠くで談笑しながら、水瀬を見ている。確信めいた言葉を放つのは、蒼真の父親だ。蒼真の顔を見ればわかる。あれはもう、恋に落ちた男の顔だ。うまくいくことを願うまでもなく、自分のものにするに違いない。蒼真は幼いころから、欲しいと思ったものは必ず手に入れる男だった。強かに、狡猾に。それでいて、周りを納得させるように用意周到さも併せ持っている。

 「きゃー!初恋?」なんて少女のようにはしゃいでいる妻を見ながら、自分が妻を手に入れたときのように、苦労しなければいいと思う。

 「あの子、もう恋とか愛とかとは縁がないと思って諦めていたけれど、こんな素敵なお嬢さんがいらっしゃったのね!見て!腰に手まで回しているわよ!」

 「あまり見つめすぎて、相手のお嬢さんに気づかれて、あまつさえ逃げられたりしたら、後で蒼真に何と言われるか。今日はひとまず、見守ろう。」

 「仕方ないけれど。そうね。そうしますわ。これで手に入れられないような男なら、蒼真はそこまでの器だったということよ。でも、さっきお嬢さんとお話ししていた方にご様子を聞いてきますわっ!」


 




 気づけば、時間が過ぎている。視界の端にスイーツが目に入る。あ、これ……!このホテルの有名な色とりどりなマカロンが、可愛らしく並んでいる。ゆっくり食べたかったな。そんなことを思いながら、グラスに注がれたシャンパンを、少し口にする。思ったよりも軽くて飲みやすい。緊張からか、気づけば何度も口にしていた。


 ふと。少しだけ、視界が揺れる。体温が、少しだけ不安定な気がする。でも、気のせいだと思う。姿勢を整えて、また笑顔を向ける。けれど。歩くとき、ほんのわずかに軸がぶれる。大丈夫、大丈夫。気づかれないように、意識して整える。それでも。どこか、足元が頼りない。

 夜は、まだ終わっていないのに。


 会場を出ると、海辺独特の澄んだ空気を感じる。一気に気持ちが軽くなった気がした。けれど、足取りがうまく定まらない。


 「大丈夫ですか」

 横からかけられた声に、反射的に頷く。

 「はい……少し、緊張していたみたいで」

 笑おうとするが、うまく力が入らない。ロビーの灯りが、やけに眩しい。


 「藤宮さん」

 名前を呼ばれて、顔を上げる。そのとき、自分でもはっきりわかるくらい、視界が揺れた。

 「あ……」

 体が、ふらつく。すぐに、温かい腕で支えられる。

 「顔色が、よくない。このまま1人で帰すのは、心配です。」

 やさしい、低い声。

 「でも……」

 「無理に動かない方がいい」

 落ち着いた声が、近くで響く。確かに、慣れない場所でずっと緊張していたのに加え、おいしいシャンパンが追い打ちをかけたのだと思う。家、ここから2時間はかかるんだよね。今日はもう、近くのホテルに泊まってしまおうかな。などと考えていた。

 「近くに、私の自宅があります」

 一瞬、言葉の意味を考える前に、静かに、続けられる。

 「決して、やましい思いはありません。ただ、少し休まれた方がいい。」

 押しつけるでもなく、選択を委ねるでもなく、ただ、そこに“正しい答え”を置かれたような言い方だった。一瞬、迷う。けれど、考える余裕もすでにない。

 「……少しだけ、お世話になってもいいですか」

 自分の声が、やけに頼りなかった。

 「もちろんです。」

 そのまま、静かに支えられながら歩き出す。夜の街は、どこか現実から切り離されたように見えた。



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