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翌日の朝。 今日は休みだと気を抜いて、ベッドの中でだらだらと過ごしていると、スマートフォンが震えた。差出人は、水瀬蒼真。思わず飛び起きて、なぜか正座する。
『お疲れさまです。 先日の件でご相談がありまして』
——そうだった。パーティに誘われたんだった。どんなパーティなんだろう。 “身内の”とは言っていたけれど。深く考えずに了承してしまったことを、今さら思い出す。
『ドレスコードがありまして。こちらがお誘いしている立場でもありますので、 差し支えなければ、ドレスを用意させていただけないかと。』
ドレスコードがある“身内のパーティ”って、何?画面を見たまま、思考が固まる。——ドレス?
慌てて文字を打つ。
『そんな、大丈夫です。自分で用意します』
『そう仰ると思っていました。ですが、今回は私の都合でお付き合いいただく形になりますので。
せっかくですから、きちんとしたものをご用意したいと思っています。 ご負担をかけるつもりはありません。 ご一緒に、選ばせていただくお時間をいただけませんか。』
“買う”ではなく“選ぶ”。その言い方が、妙に自然で。選んでくれる、ってこと?戸惑いながらも、もう断る理由が見つからない。
『では、お手数ですが、よろしくお願いします』
送信して、小さく息を吐く。ドレスなんて、いつぶりだろう。少しだけ嬉しくて、 でも——無意識に、お腹に手を当てる。……ちょっと、おやつ控えよう。
待ち合わせ場所に指定されたのは、丸の内の静かな通りだった。休日の昼間。 人通りはあるのに、どこか落ち着いている。
「こちらです」
案内されたのは、表からは目立たないブティック。ガラス越しに見えるドレスに、思わず息を呑む。
「……こんな素敵なところ、私、場違いではないでしょうか」
「いいえ、全く」
水瀬は、何でもないように答える。その迷いのなさが、かえって現実味を薄くする。店内に入ると、わずかに甘い香りが広がった。暖かなクリーム色の壁。 中央には、大きなシャンデリア。色とりどりのドレスが、静かに並んでいる。まるで選ばれる瞬間を待っているみたいに。
「わぁ……すごい」
思わず、息が漏れる。そして、双葉は気づいてしまった。——値札が、ない。どうしよう、絶対高い……。
「藤宮さんなら、どれでも似合いますよ」
背後から、穏やかな声。振り返ると、蒼真が壁にもたれてこちらを見ていた。
「そんなこと、ないです。どれも素敵すぎて、私にはもったいない」
即座に否定すると、彼は小さく笑う。
「それなら、私が選びます」
そう言って水瀬さんは少し考えたあと、迷いなく、一着を引き抜く。深い青。夜の底みたいな色。肩にはパールの細いストラップ。 胸元と裾には縁取る様に、シルバーとゴールドの繊細な刺繍。マーメイドラインが、静かに体の曲線をなぞる。触れた瞬間、わかる。……これ、すごくいい。だけど。
「……私に、似合うでしょうか」
思わず、弱気な声がこぼれる。スタッフに促され、試着室へ。カーテンを閉めると、外の気配が遠ざかる。心臓の音だけが、やけに大きい。——ただのドレスなのに。でも。袖を通した瞬間、息が止まる。鏡の中にいたのは、知らない自分だった。
「……どうですか」
カーテン越しの声。少しだけ迷ってから、そっと開ける。蒼真が、一歩近づいた。
「思ったとおりだ。とても似合っています。……綺麗だ」
思わず、顔が赤くなってしまい、視線を背けてしまう。褒められたはずなのに、浮かれている自分まで見透かされたような気がして。
「では、……こちらで、お願いします。」
結局、「お支払いします!」と食い下がった双葉を、彼は静かに制した。
「私が、あなたに着て欲しいものを、選んだだけですので」
そう言われてしまうと、何も言えなくなってしまう。
「それと。こちらも、ドレスに合わせてつけていただきたいのですが。」
何でもないように、差し出された小さな箱。戸惑いながら開けると、ネックレスとピアスが収められていた。繊細な輝きが、静かに光を返す。これは……。思わず、息を呑む。とても素敵だけど、さすがに。
「そんな……。こちらは、さすがにいただけません」
今度は、はっきりと断る。水瀬さんは、少しだけこちらを見て、それから、静かに言った。
「パーティで身につけていただく前提で、あなたに似合うと思って、誂えました。」
逃げ道を塞ぐように、しかし穏やかに。その言い方が、あまりにも自然で。強く否定することができない。
「……でも」
「こちらも、私があなたにつけて欲しくて、お渡しするのです。むしろ、つけていただいた方が私としては安心できます」
何で水瀬さんが安心するんだろう。よくわからないけれど、もう、郷に入っては郷に従えということなのだろうか。
「では、ありがたく、お借りします。」
小さく、そう言ってしまう。受け取った箱が、やけに重く感じた。まだ少しだけ現実感が追いつかないまま、店を出る。
「本当に……ありがとうございます」
何度目かわからない言葉を、もう一度口にする。
「いえ、私の都合に付き合っていただき、ありがとうございます。それと、当日ですが、車を手配しておりますので。」
「……車、ですか?」
「ええ。ご自宅までお迎えに伺います」
「え……そこまでしていただくのは、申し訳ないです。自分で行けます!」
思わず言う。けれど、水瀬はわずかに首を振る。
「ドレスとヒールですと、歩きにくいですし。それに、お一人で向かわれるのも、心配ですので。来週の土曜日の午後5時に、ご自宅までお迎えに伺います」
提案の形をしているのに、選択肢は最初から用意されていない気がした。少しだけ迷って、それでも。
「では、……よろしくお願いします。」
「はい。」
短く、それだけ。まるで最初から決まっていたことのように。
手元の紙袋と、小さな箱が、やけに重く感じた。




